頼りなさだけは子どもの頃のように
「足に絡まった」
「鎖切り裂いて」
「自由になれよ」
全くもって不自由だと感じていなかった中学生は、
なぜだか、激しくその歌詞に心震わせた。
本当に思春期にBOOWYに出会ったのは、僕という人格形成にものすごい影響だった。あれがなかったら音楽やろうと思わなかった。
CASE OF BOOWYのビデオ、兄が持っていたビデオを
毎朝見てから学校に行くのが日課になった。
キン肉マンより、聖闘士星矢より、冴羽獠より、
布袋さんは格好良かった。
同じになりたかった。
そのビデオで知ったLike A Child、余すところなく好きになった。
当時20代のBOOWYが作った音に今でも心揺さぶられる。
中学生の頃は、世の中の不自由さも知らずに、なんか自由になれよって歌詞にドラマを感じていた。
時が経って46歳の僕がすんごく久しぶりに聴いて、
やっぱりいいなってしみじみ思う。
同じにはなれなかったな。
足に絡まった鎖は自分が巻きつけてきた。
その鎖が心地良くもあれば、その鎖を解くきっかけも探している。
あわよくば鎖が絡まったまま自由にやれないもんかなと思っている。
縛られているっていうのは、安心感。
誰かの手のひらの上っていうのも、安心感。
だけどたまにやりきれない気持ちにもなる。
自由にはならなくてはいいけれど、
もう少しこんがらがった鎖は解いてみたい。
それすら怖いんだけれど。
「頼りない奴らに愛想をつかしたのか」
いやいや頼りないは自分自身だ。それでも愛想つかせない自分。
子供のようにはなれないな。