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TMS一回目が終わった

椅子に座って、左前頭部に機械を当てた。
BPM150くらいで、20回ほど連続で電気が流される。物差しを縦にして叩かれる感じ。結構痛い。慣れるけど。その後30秒のインターバル。

これが40分間で1日分は終わった。


TMS治療を受ける前に、医師によるアンケート時間があったを2種類のテスト方式があったが、どちらも鬱症状の程度や、双極性障害(躁鬱)の気がないか、希死念慮はないか、統合失調症の気がないかの判断に使うんだと思う。信頼性を高めるために2種類試すのかな。

「鬱じゃないですね」とか「躁鬱の気があるのでダメです」とか言われないかなってヒヤヒヤしながら受けてた。問題なかったみたい。

同意書等の説明があったのちに、そのまま検査室に移動。冒頭のようにTMSを受けた。

目の前は白い壁で右側にはTMS治療の手順書のポスター。視線の先に8cmくらいの「🙂」こんなシールが貼られている。頭が固定されてるので視野は基本こんな感じ。クリック音がうるさいらしく、耳栓をつけた。

最中は携帯も触れないので、ただ頭の中で色々考えて過ごしてた。せめて紙とペンでなんか書けたらなと思って、処置終了後に技師に聞いてみたけどダメだった。あと、寝るのも良くないらしい。

そうしてたら特に大きな何かはなく終わった。CTも撮るぞということで撮った。


TMS後の思考や状態について。

TMS受けてる最中の、だいたい7号目くらいで、「ああしたいこうしたい」が湧いてきた感じがした。

措置が終わって椅子から降りて立って受付に向かう道中で、病院内の景色とか設備、人が見えるようになった。行きは全然見えてなかった、見えなかった、多分視野がきゅうっと縮まってたのが、広くなった感じがした。プラシーボかもだけど。

ひとつ気になるとしたら、TMS前のnoteの文体が、「だ」「である」口調だったのが、今の記事だと柔らかい言い方になってる。何だろう。

これは自分に対する考察の一つで、「愛媛頃の純朴な少年」と「東京サバンナで生き抜く疑り深い男」が自分の中に共存しているのでは、と思うようになった。これは解離性同一性障害、いわゆる多重人格ほどのものではない、人格の交代も無いし。ただ、思考の視点の違いの話で、昔から極度に客観視ができるのでそれの応用とか。

純朴な少年が傷つかないように、サバンナ男が気を張ったり先回りしたりリスクヘッジをしている。と考えてみると、自分の人付き合いの良さと冷徹さの共存に対するアンサーになる。

ここまでを仮定した上で、noteの記事の文体の話に戻ると、tms前はサバンナ男が優位で、後はサバンナ男が引っ込んだのかな、とか。

とりあえず、自身の視野の広がりを少し感じた。

あと、思考の散らかりは減った、気がする?なんていうか、地に足がついてるというか、土台がしっかりしているというか。
行きは今書こうとしている技術記事の内容を考えてたのだけど、移動するために必要な最低限しか頭のリソースを割かずに、残りを全て記事の内容に振り切ってる感じが、今振り返ってみたらあるけれど、今はこの記事を書きながらも、この後何食べようかなとか、反対方向の電車が出たなとか分かるようになった感じがある。

今電車なんだけど、なんか単純に頭の重さ、自重が軽くなっている気がする!首がなんかめっちゃ動く(勝手に動くとかじゃなくて摩擦係数が減った感じ)

ちょっとまだ頭使うPC作業をしていないから、頭悪くなってるとか、脳内メモリ増えたなとか、集中できなくなったとかとか、良いも悪いも分からないけど、家帰ったら作業しようと思える。

この記事書く以外の創作活動をまだしていないから、自身の感性や情熱がどう変わったかも分からないけど、何かになったら何かになったでそのカードで如何に生きるかの話になるんだと思う。

ちょっと前にサカナクションの山口一郎が鬱である事を公表してた。彼曰く、「鬱になったら鬱以前の状態に戻ろうとするのではなく、新しい自分として生きていく必要がある」。
これは僕も重々感じていて、鬱以前は何か小さなストレスとかを気にしないようにしていた、麻痺していたけど、ちゃんと自分に優しくなってあげようと思えた。

とりあえず、自分が自分の時間を、人生をフルに活用できる状態をゴールとして、それを諦めず、そこに行き着くまでにはトライアンドエラー、自己投資をしていこうと思う。

これから出来るだけTMSのレポは残しておくことにする。
これも一つのコンテンツになりうるので。財産として。

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