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大企業の社員がなぜ、猟師とシカを追ったのか? 〜フィールドワークが切り開く組織変革の新たな可能性〜
*本コラムは2024年MIMIGURIアドベントカレンダー Day24の記事です。
こんにちは、MIMIGURIでファシリテーターをしている押田です。
弊社MIMIGURI Co-CEOの安斎が、来年1月に「冒険する組織のつくりかた「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法」という新著を出すのですが、この新著のテーマにちなんで、MIMIGURIでは #わたしたちの冒険 というテーマでアドベントカレンダーを書いています。
そんなわけで、私も「冒険」をテーマにしたnoteを書いてみました。
他のメンバーのnoteもこちらで紹介されているため、お時間があればぜひ読んでみてください。
大企業の社員がなぜ、猟師とシカを追ったのか?
ある大企業が組織を変革するために、猟師と共に山に入り、シカの罠猟を行ったと聞いたら、あなたはどう思うだろうか。
おそらく多くの人は、なんの話をしているのかまったく理解ができず、中には「だ、大丈夫…?」と戸惑いを覚える人も出てくるかもしれない。
しかし、実はこの話は、日本を代表するモビリティメーカーであるHondaが、実際に試みたプログラムの一例だ。私はこのような、未知のフィールドでまったく未知の体験をする「フィールドワーク」が、企業の組織変革に対して新しい可能性を切り拓くのではないかと強く感じている。
今回はそのことについて、Hondaの「MINERVA」というプログラムの事例を紹介しながら、書いてみたいと思う。
「MINERVA(ミネルヴァ)」という冒険
私にとって今年大きな冒険だったことの一つは、Hondaが新たに始動した「MINERVA(ミネルヴァ)」という探究プログラムの立ち上げに携わらせてもらったことだ。
MINERVAは、Hondaが世の中に提供すべき新価値の探索をするために、2024年5月に開始した、Honda従業員向けの新価値探索プログラムだ。
Hondaが目指す「自由な移動の喜び」を、社員一人ひとりが自ら解釈・定義し、自由に表現することをプログラムのテーマとしており、第一期となる今年は、Honda従業員55名が参加し、約半年にわたり「移動」をめぐる探究を行った。
このプログラムは非常に挑戦的なプログラムで、その魅力や面白さは簡単には語り尽くせない。しかし、その大きな特徴の一つは、「未知のフィールドでのフィールドワークの体験」を出発点にしているということだ。
第一期MINERVAでは、多くのパートナーにご協力を頂きながら、さまざまなフィールドを訪れ、それぞれに特色のあるフィールドワークを実施した。例えば、あるコースでは、猟師と共に上田の里山を歩き、シカの罠猟を体験したり、別のコースでは、柳田國男の「遠野物語」の舞台でもある遠野や、熊野古道で有名な熊野を訪れ、そこで生きてきた人々の歴史や土地の信仰に想いを馳せたりした。また、軽井沢の学校に滞在して、子ども達と一緒に遊びながら学んだコースもあった。
しかし、どのフィールドワークも、表面的にはHondaの企業活動とは無関係な活動のように見える。シカ猟の罠を仕掛ける体験とHondaの企業活動に繋がりを見出すことは容易ではないだろう。はたして、企業がこのような活動をすることに、一体どんな意味があるのだろうか?
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そこで今回のnoteでは、企業がフィールドワークを実践することの意味について、最近私なりに考えていたことを、生煮えだが言葉にしてみた。私は人類学やフィールドワークの専門家ではないため、あくまで組織コンサルタントとしての立場からの意見になるが、そうした実践が企業にどのような価値をもたらすのかを考えてみたいと思う。
MINERVAでどんな挑戦が行われていたのか詳しく知りたい方は、第一期MINERVAの最終発表会として開催された「 から、 へ。展」のトークセッション動画をぜひご覧頂きたい。少し長い動画となっているが、かなり面白い内容になっていると思うので、年末年始のお供にどうぞ。
MINERVAの「 から、 へ。」トークセッション
今回ご協力をいただいた探究パートナーのみなさま
「学び続ける組織」を作るために
いまや多くの人が語るように、現代の社会は変化のスピードが加速し、複雑性がますます増大している。
先行きが不透明で、将来の予測が困難なVUCA時代においては、常に新しいものの見方やアイデアが生まれ、複雑な課題にも対応ができる、「学び続ける組織」を作ることが重要だ。しかしそのためには、組織の中で求められる専門家像も見直される必要がある。
これまでのような、ある特定の専門分野に習熟し、一つの領域で技術を磨き続ける従来型の専門家だけでは、複雑な課題に対応することは難しい。
このような時代においては、専門性の枠を越えるような問題にも果敢に挑戦し、実践と省察を絶えず繰り返しながら、自らの専門性を拡張・再解釈し続けられるような新しい専門家モデル、いわゆる「省察的実践家」を目指すことが重要だと考えられている。
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「絶えず専門性を拡張し、自らの専門家アイデンティティを刷新し続ける」という新しい専門家としてのあり方を、私たちが目指していくためには、単に新たな知識やスキルを習得するだけではなく、ものの見方や、価値観・信念といった、個人の深層に根差す部分、つまり「自己」を構成している基盤そのものを変容し続けていく必要がある。
しかし、そのようなアイデンティティ・レベルでの変容は、学習者自身や、周囲の支援者が変えたいと思っても、簡単に変えられるものではない。
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そこで、そのような深い変容を促す手段の一つとして、「フィールドワーク」に可能性があるのではないか、と私は考えている。
フィールドでなぜ自己変容が起きるのか?
すでに教育業界の一部の領域では、「自己変容型フィールド学習(Self-transformation-oriented Field Learning:SFL)」という、フィールドワークを活用した教育の可能性が注目されているという。
SFLは、学習者が日常の慣れ親しんだ環境から離れ、未知のフィールドで実践的な課題に取り組むことを通じて、自己の暗黙の前提や価値観に気づき、それらを問い直し、変容させることを目的とした学習手法だ。
この学習手法は、特に人類学の教育現場で注目されており、学生がフィールドでの経験を通じて、自己変容を遂げることを目指して実践が進められている。
しかし、なぜフィールドワークを通じて、そのような自己変容が起きるのだろうか?
「人類学者たちのフィールド教育−自己変容に向けた学びのデザイン」では、フィールドワークを通じて自己変容が起きる理由を、「他者との出会い」を軸に、次のように説明している。
他者は自己の鏡像としてその姿を立ち現す。その意味で他者に出会い他者について考えることは、自己について考えることと同義である。概して自己省察とは、他者との邂逅を介した、「自己とは何か」を改めて問おうとする心的かつ知的な運動と言えるだろう。そしてこれが自己変容を引き起こす起爆剤となる。社会的文脈に基づきながら他者を理解し、時に偶然性に巻き込まれながら他者の世界へと身を沈め、既存の認識枠組みを自己省察することで、その経験は知識としてではなく知恵として身体化され、自己変容へとつながっていくからである。
私たちは、フィールドで「誰」と出会うのだろうか?
日常から離れた未知のフィールドで、私たちはこれまで決して出会うことのなかった「他者」と出会う。しかし、他者とは自分自身を映し出す鏡であり、他者と出会うことは「私自身」と出会うことと同義なのだ。私たちは未知なる他者と向き合う中で、これまで当たり前だと思っていたことが激しく揺さぶられ、その中で初めて自分が何者なのかに気づく。深い自己変容は、そのような「自己の再発見」を起点にして始まる。
私たちがフィールドで出会うのは、実は「私自身」なのだ。
実際、MINERVAでもこのような「自己の再発見」を通じた自己変容を、プログラムの狙いの一つとしていた。
自分の価値観はなんですか?と問われても、出すのは結構むずかしい。でも、その価値観や暗黙知がないと、ワイガヤの出発点にも立てない。まずはそれを炙り出すために、自分とまったく違う、普段の仕事の中では絶対に接さない、価値観だったり、文化に触れて、揺さぶられることで、自分の軸はここにあったんだ、自分が大事にしたいものはここにあったんだ、ということに気づいたり、もしくはそこがアップデートされたり、というところをまず最初に(フィールドワークの体験を通じて:筆者注)経験してもらった。
シカ猟を体験したMINERVA参加者も、里山に生きる猟師という、ビジネスの世界とはまったく異なる世界に生きる未知の「他者」と向き合う中で、また、普段当たり前にやっていた「いただきます」に至るまでの命のプロセスを初めて知ったことで、激しく感情を揺さぶられ、時に混乱しながらも、結果として自分自身の持っていた価値観や信念を深く見つめ直すことになった。そして、他者の世界と複雑に絡まり合いながら、自分自身の価値観や感性がさらに変化し、それぞれの自己変容へと至っていった(もちろん、人類学者が行っているような、長期間のフィールドワークで経験できる自己変容と比較したら、それはささやかな変化かもしれないが)。
未知なる他者と出会い、他者を理解しようとする過程で自分自身と出会い直し、自己の再発見とその問い直しを通じて、自己変容へと至る。
人が自己変容へと至るプロセスをこのようなモデルで捉えた時に、フィールドワークという営みは、自己の再発見と自己変容を引き起こすための、ある種の起爆剤になりうる可能性を秘めているのではないだろうか。
ミハイル・バフチンの言葉を借りれば、フィールドとは、他者との「闘争」が巻き起こる舞台とも言えるのかもしれない。
フィールドワークが切り開く組織変革の新たな可能性
顧客ニーズや生活者の行動実態を探り、新しいアイデアを発見するための現地調査として行われるようなフィールドワークは、企業活動の中ですでに実践されている。しかし、今後は社員の「自己変容」を目的とした人材開発や組織開発の方法の一つとして、フィールドワークがさらに注目され、MINERVAのような人事部サイドが主導する実践も増えていくのではないか、と個人的に期待している。
私が所属するMIMIGURIでは、組織が豊かな創造性を発揮するために、「個人の衝動」が最も重要な原点になると考えている。しかし、企業で働く多くの人にとって、自分自身の衝動や価値観と深く向き合う機会は限られており、考えられている以上に、私たちは「私自身」のことを知らないことが多い。
だからこそ、他者との出会いを通じて、自己と向き合い、自己変容を促すための場として、フィールドワークには大きな可能性があるのではないか、と感じている。
また、地域コミュニティの活動家や地域住民、教育者やNPOスタッフ、研究者やアーティストなど、ビジネスの世界とは異なる論理で成り立つ領域で生きる人々に企業が関わり、彼らと共に対話し、複雑に絡まり合う中で、自己変容を遂げた社員から、資本主義的な発想では捉えきれない新たなアイデアや価値が生まれてくるという可能性もあるのではないだろうか。
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まだまだ私の推測や妄想の域を出ないが、組織変革におけるフィールドワークが持つこのような可能性に、個人的に大きな期待と興奮を感じている。また私自身も、引き続きこのテーマの探究を続けていきたいと思っている。
最後に自戒も込めて
なお、最後に一つだけ、自戒も込めて書いておきたいことがある。
フィールドには、そこに暮らす人々がいて、彼らの生活が息づいている。私自身も本noteで、組織変革のためのフィールドワークといった、企業の視点を強調した表現をしてしまったが、企業が自らの目的や利益のためだけに、フィールドから一方的に搾取するような関係性は避けなければならないと考えている。
MINERVAで特に重要だったと感じている点は、フィールドにいる方々との関係性が、フィールドの提供者と受け手という関係性ではなく、共に問いを分かち合い、共に探究を進める「探究パートナー」という形で築かれていたことだ。パートナー自身にとって意味や価値のある活動になっているか、運営側が何度も問い直し、パートナー自身とも対話をしながら、協働的に活動をデザインすることを心がけていた。
企業は自分たちが大きな力を持った存在であること、その非対称な権力関係とその影響を常に意識し、フィールドに暮らす人々へ敬意を払い、お互いにとって意味のある協働を目指すべきだろう。この点は決して忘れないようにしていきたい。
一緒に探究しませんか?
今回のテーマについて、もしも興味を持って頂ける方がいれば、ぜひ一緒に探究を深めていければと思っているため、気軽に声をかけてもらえると嬉しいです。
個人的に押田と話してみたいという方は、X(旧:Twitter)やFacebookで気軽にDMを送ってください。お茶会しましょう!
お仕事のご相談は、MIMIGURIの問い合わせフォームをご利用ください。まずはラフな相談ベース、雑談ベースでも全くかまいません。
なお、MIMIGURIで一緒に、MINERVAのような探究実践をやってみたい!という方も、ぜひぜひご連絡ください!
また今回、自身の専門外の領域にも触れるnoteを書く中で、自分自身の力不足と勉強不足を本当に痛感しました。
私自身、今後も新しいことを学び、変容し続けていきたいため、人類学や教育の領域の専門家の方々や、すでにこのような実践をされている企業の諸先輩方からも、ぜひご意見やご批判を頂けると助かります。
効率だけを考える輸送のような探究ではなく、どこに辿り着くかわからない散歩のような探究を、みなさんと一緒に進められたら嬉しいです。
明日はいよいよ最終回!
MIMIGURI Co-CEO 安斎が担当します。お楽しみに!
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