241105 日常

時刻は6:30。日が出ていない薄暗いリビングのソファーで娘が太宰治の『人間失格』を読んでいた。
いわゆる「本の虫」というのだろうか、いつも平日の朝は本を1~2冊読んでから学校に向かう。

今日は娘が小学校の遠足でミュージカルを見に行くので
お弁当づくりのためにキッチンに立たねばならない。
普段、朝にたいした会話を交わした記憶がない。
わたしはどちらかといえば朝は静かに過ごしたいのだけど、娘はアップテンポな音楽を流しながら本を読んでいることが多いので、過ごす空間を分けている。
珍しく朝から同じ空間を共有したからか、普段では生まれない会話が生まれる。

『人間失格』はここ1週間で何度か読んでいる姿を目にしていた。
―それ、何回読んでるの?
―うーん、たぶん3~4回くらい?
―面白いの?
―いや、視界に入ったから読んでる
―ふーん、難しくない?感想とかないの?

娘は小説をはじめとした本の感想を聞くと、スラスラと話し始めることもあれば、逡巡するような表情をしはじめて、言葉が出なくなることもある。
今朝は後者の反応だった。
なんでもいいから、と答えることを促すと「ちょっと待って」と言いながら泣き始め、5分間、泣き続けた。
落ち着いたタイミングを見計らって話しかける。


―なんで人は物語を読むんだろうね。

―自分では体験できない別の世界を体験したいからじゃないかな。

―いつも小説をどういう風に読んでるの?登場人物に共感したりしないの?

―小説を読んでるときって自分がその世界の中にいるっていうよりも、主人公とか登場人物のことをビデオカメラを持って追ってるような感覚なんだよね。だから、その世界に没入するっていうよりも、映画監督みたいな気持ち。リアクションは視聴者に任せる。

―不思議な感覚だね。だって、小説家の立場からしたら、あなたが視聴者なんだよ。そういえば、わたしもあなたがさっき泣いたとき、心配したり焦るよりも「泣いてる」って現象として眺めちゃってたんだけど、それと近いのかな?

―それはちょっと違うんじゃない。


弱々しい声でぽつりぽつりと喋っていたが、
この辺りから話し声に覇気が出てきた。

―なんで感想を言おうとすると泣いちゃうんだろう。頭が真っ白になって何も考えられないの?それとも考えすぎて何も出てこなくなるの?

―答えはないからなんでもいいよって言われるとき、そのなんでもいいの裏に実は模範解答があったりするじゃん。それを期待されているように感じる場面だと、相手が何を答えてほしいのか延々と考えちゃって、何も答えられなくなる。例えば、国語の授業とかで、小説を読んで「何を感じたか?」と聞かれたときに、先生は「感動した」という答えがほしいのだろうか…と考えこんじゃうし、自信をもって答えられない。算数みたいに明確な答えがあるものだと自信をもって答えられるのだけど。逆に、「SDGsのために今私たちができることはなにか?」みたいな、絶対に答えがないと分かっている問いだったら気兼ねなく答えられる。

―でもさ、小説の感想を聞いているのは、あなたの主観を知りたいの。主観は答えがないから。「あなた視点」が知りたいの。

―その「あなた視点」について、わたしが相手からどういうイメージを持たれてるのかが分からない。分からないから悩んじゃう。

―じゃあ、ダイレクトに感想を聞かなきゃいいのかな。登場人物のセリフはよく覚えてるようだし、覚えてるセリフを最初に思い浮かべて、それをとっかかりにして感想を組み立てていけばいいんじゃない?覚えてるってことは何かしら印象に残ってるってことだし。

―うーん、そうかも。それでいうと「ワザ。ワザ」って葉蔵が竹一に囁かれるシーンを覚えてる。

―どんな場面なの?

―主人公の葉蔵は友だちの前ではひょうきん者を演じてたんだけど、わざと尻もちをついてみんなの笑いを買ったところで、竹一に背後から「ワザ。ワザ」って言われたところ。葉蔵はいつも人前で取り繕ってるんだけど、それを見破られて恥ずかしい気持ちになったのを「地獄の業火に包まれる」ように感じたって表現してたの。

―へー、取り繕う気持ちが自分にはよく分かるってこと?それとも逆に分からなかったの?

―なんだろう…。文スト(文豪ストレイドッグス)の太宰はひょうきん者の性格が強くて「お姉さん、私はあなたと心中する為に今日まで生きてきたのです」って言ってるようなキャラなのに、小説家の太宰はすごいネガティブだったんだなって。

―文ストの太宰とのギャップがあったのが印象深かったんだね。聞いてて思ったんだけどさ、人が思う「あなた視点」を気にするところが、道化を演じちゃう太宰と重なるんじゃないかな。

―そうかもしれない。

―あんまり気にしすぎない方がいいかもね。

―そうだね。

―もしさ、この世がつらくなっても急に入水自殺しないでね。とりあえずわたしに心中の相談をするところからして!!!

―絶対しないから大丈夫だって(笑)


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