大人には大人の事情がある、ってことなんですよね?
正直、ショックを通り越して呆然としています。
私は今、自分の気持ちの持っていきどころをどうしたら良いのか、分かりません。
どう気持ちを整理したら良いのでしょうか?
※今日の記事は、ひたすら橋本拳人選手について語っています。
またこの世界に引き戻してくれた選手
以前の記事にも書いたことがありましたが、プロフィールでは2004年~のFC東京サポと書いていますが、実は数年間FC東京から離れていた時期がありました。
就職が重なり、元々私の周りにはFC東京どころか、サッカーファンが誰もいなかったので、楽しさを共有できる人もおらず、社会人生活に忙殺されていました。
そんな中、本当に偶然だったのですが、同僚の中にサッカーファンがいたことが判明し、サッカー観戦に誘ってくれたことが、またこの世界に戻ってこれたきっかけでした。
(詳しくは下記の記事)
2018年11月24日
FC東京vs川崎フロンターレ
運命の試合でした。
上記の記事では、健太さんが私をサポーターに戻してくれたと書きましたが、実はもう一人いました。
それが、橋本拳人選手でした。
この試合は最終的に0-2で負けてしまうのですが、今でも覚えているのが1失点目のシーン。
今や日本代表まで登りつめた田中碧選手からのプレッシャーで、橋本選手がパスミス(?)をしてしまい、ボールを拾った知念選手がゴールネットを揺らします。
「…え?」
見てる側としては一体何が起こったのか、一瞬理解ができなかったのですが、ふと我に返ってFC東京のミスでの失点だっだことが、じわじわと分かってきました。
実は当時、FC東京に誰が在籍しているのかも分からない状態で(モリゲさんは知ってたけれど、東選手や永井選手、高萩選手までいるとは思っていませんでした)、後で調べてミスをしてしまったのは橋本選手だったということを知りました。
結果的に敗戦に繋がってしまったプレーをしてしまった選手。
普通なら怒っても仕方ない状況なのですが、何故なのか、その時から私は橋本選手が気になってしまい、気付けばFC東京で一番の注目するようになっていました。
海外へ行っても応援したいと思った初めての選手
2019シーズン。
私にとって橋本選手は、「名前すら知らなった選手」から、普段からすっかり「ケント」と呼び、目が離せない存在となっていました。
しかも、小学生の頃からのFC東京の生え抜き選手。
応援しない訳がありませんでした。
気付けば健太トーキョーの申し子としてみるみる急成長し、日本代表にまで選ばれるようになっていました。
(特集が組まれたJリーグタイムは今でも残っています。)
「あんなミスも犯していたのに…逞しくなったな…。」なんて、しみじみしていた矢先に出てきた海外移籍の報道。
国内で活躍すれば海外チームが黙っていないことは分かっていましたし、いつかは来ると覚悟していたけれど、いざ報道が出ると寂しい気持ちでした。
しかし!
2019シーズン終了後に移籍すると思いきや、契約更新をしてくれて、最終的には2020シーズンの夏にロストフ移籍となりました。
2019シーズン、1年を通してFC東京どっぷりだった私は、2020シーズンからユニフォームデビューをしようと意気込んでいたため、契約更新で残ってくれたケントのユニフォームを迷わず購入。
18番のユニフォームを着て、スタジアムでケントの応援をするんだ!
そう楽しみにしていのたですが…
―――コロナ禍によるJリーグ中断
結局、ユニフォームを着てスタジアムで応援する、と言う夢は彼の移籍前に叶うことはありませんでした。
2020年7月18日。
味の素スタジアム開催の浦和レッズ戦を最後に、彼は海外へと旅立っていきました。
(この試合、セレモニーまでNHK中継されており、今でも録画して大事に取っておいています。)
長年の鬼門だった浦和レッズに勝利し、ケントの旅立ちに花を添え、私はテレビの前で涙ぐみながら、力強いセレモニーの挨拶を聞いていました。
「海外に行っても、頑張ってきてね。応援しているから。」
当時は悲しい、寂しい気持ちで胸がいっぱいでしたが、彼にとってステップアップのための移籍だと思い、精一杯前向きな気持ちで送りだそうと言い聞かせていたのを覚えています。
海外移籍をした選手の後追いをすることは今まであまりなかったのですが、ケントだけは違いました。
FCロストフの日本語公式ツイッターをフォローし、彼が試合に出ている時も、ケガでリハビリをしている時も、応援し続けてきました。
どうしてそんなにケントを応援してきたのか。
正直自分でも分からないのですが、恐らくファーストインプレッションが強烈だったからこそ、その後の活躍に感動したからなのかもしれません。
そして、彼の熱い泥臭いプレーが、私が好きな「FC東京」を体現してくれる存在だったからかもしれません。
いずれにしても、私にとって、とても大事な思い入れのある選手でした。
ありがとう、ナオ。
今回の神戸移籍は、セレモニーで、必ずFC東京に帰って来る、そう言った言葉を信じて、もう少し先になるであろう帰還を楽しみに待っていた矢先の出来事でした。
報道各所が神戸移籍を報じてたので、数日前から気が気ではない状態だったのですが、正式リリースをみて「ついに来ちゃったか…。」と肩を落としています。
(昨夏のよっちショックから、やっと立ち直ってきたというのに…)
そんな矢先のナオのツイート。
正直今でも気持ちは納得できていないし、複雑な想いだし、なんなら数日寝込みたい気分ですが、ナオのこの言葉で少しだけ救われた気持ちになった自分がいました。
そうだよね。
今回は、特殊な事情が背景にあったし、契約も短期間だし(ただし7月以降完全移籍になってしまったら泡吹いちゃいそう…)、何よりケントはケントだ。
別チームへ移籍が決まったけれど、彼がFC東京を愛し、愛された事実は変わらないんです。
大人には大人の事情がある。
「ここ1ヶ月間難しい状況だった」という言葉にすべてが詰まっているように感じてしまいます。
難しい状況だったからこその今回の移籍であって、彼にFC東京に戻りたい、という気持ちがあったことは信じたいし、悩んで移籍を決めたのだと思いたい。
きっと、大人の事情があったんですよね?
どんな事情があるにしろ、まずは彼が帰国できたことを喜びたいと思います。
紛争地(特にロストフは国境付近の地区ですし)でプレーすることは、本当に心配でした。
インスタのストーリーを一度更新してから、ぱったりと音沙汰が無くなってしまったので、彼は大丈夫なのか、サッカーができているのか気になっていましたし。
タマが一度移籍してまた戻ってきてくれたように、ケントもまたいつか、FC東京に戻ってきてくれる日を信じて、一日も早く平和な世が訪れることを願いたいと思います。
でも、何度も繰り返すようで心が狭いかもしれませんが…
やっぱりショックはショックです。
青赤以外のユニフォームを着た彼を、目にできる自信がありません…
頭ではわかっているのですが、気持ちを切り替えられるには、まだもう少し時間がかかってしまいそうです。
おかえりなさい、ケント。
日本に帰ってこられてよかった。
悲しい気持ちで胸がいっぱいになるときは、そう思うことにします。