インドのカースト制のことを知らなすぎるので調べたまとめ
人とインドの経済発展の話をしているとき、「IT系はカーストの影響を受けないみたいだから」と受け売りの知識を披露した。その時、ふと思った。
え、インドって今でもカースト制があるの?
うっすらと学校か何かで勉強したような気もするが、社会科は苦手というか、ほぼ興味がなかったので全く覚えていない。
強いて言うなら手塚治虫の「ブッダ」に出てきた、すごく出てきたという記憶はある。あれでしょ、クシャトリヤとかスードラとかのやつ。確か、王族なんだけど母親の身分を「スードラ」と言われてすごく怒ってた人がいたはずだ。
しかしブッダって昔の人だ。少なくとも紀元前。
え、今でもやってるの?カースト制?マジで?
うっすらと「インドにはカースト制がある、または、あった」程度の認識でこれまで生きてきたが、急に実態が気になり始めたので何冊か本を読んでみた。
そもそもマジであるのか、カースト制
とりあえず、生活レベルでどんな感覚なのか知りたいので、日本からインドに渡り、結婚して暮らしている人の本を読む。
うわあ。
ゴリゴリにあるじゃないかカースト制。今でも。
町の安食堂などでは、料理を作る人と料理を運ぶ人と食べ終わった皿を下げて洗う人とテーブルを拭く人と床を拭く人とトイレを掃除する人のカーストが全部違う、とある。カーストによって「浄/不浄」のどの位置に属するかが決まるためだ。(これを著者は「えんがちょ」に例えている。)
そしてカーストは生まれで決まり、男性の場合は生涯変わることはない。(女性は結婚で変わる場合がある。)
…非効率とか、不自由とか、そういう言葉が頭に浮かぶ。
しかし「ヤノマミ」を読んで「西洋的価値観だけで世界を見ていてはだめだ!多様性!大事!」とか考えていた私が、ただ非効率だとか気に入らないとか私だったら嫌だという理由でカースト制を否定して良いものとも思えない。
(「ヤノマミ」はすごく面白い本なのでお勧めです。)
「サトコとナダ」を読んで「生まれた時からの文化は、外から見てどう思ったとしても本人が大切にしているならひとまず尊重すべきなのだ…」と唸った私じゃないか。
(「サトコとナダ」もとても良い漫画なのでお勧めです。全4巻。)
実態どういうものなんだカースト制
どうなんだ。
どうなんですか先生。
この本は、なんと13人もの学者さんが分担して書かれている。こりゃいいや。本は良い。
さて学んだことを書く。
カーストを大まかに分けると、以下のようになるようだ。
・ ブラーマン(司祭や学者の階級。「ブッダ」でバラモンと呼ばれていたやつ。)
・ クシャトリヤ(王侯・戦士の階級。ブッダはここ出身。)
・ ヴァイシャ(商人・平民の階級。)
・ シュードラ(上記3階級に奉仕する隷属民。農民・職人。)
・ 不可触民(現在でいう「指定カースト」とほぼイコール。)
ただし、この5つの分類を示して「カースト」というのかと言えばそうではなく、各階級の中に更に様々な集団が属しており、それもカーストと呼ばれている。
ちなみに「カースト」はポルトガル語の「カスタ」(家柄/血統)が語源で、元はインド外から見た表現ということになる。インドではこの社会集団を「ジャーティ」(生まれを同じくする集団)と呼んでいた。そして現在では「サマージ」(社会/協会)とも呼ばれているらしい。
情報を追加しつつ図にしてみる。
本当はもっとありがちなピラミッド型の図を描きたかったのだが、各集団の人口比率がよく分からなかったので一応やめておいた。(1930年のデータから推測すると、シュードラと不可触民が人口の大半を占めていると思われる。)
カースト関係の本を何冊か読んだけれど、びっくりするくらい「図」が出てこない。何かこう、大雑把に図解して誤解を招くと嫌だからなー…みたいな空気を感じるので、ここで勝手に図っぽくまとめたことを謝っておきたい。
伝統的なカーストのありかたは、たぶんこんな感じ。
・カーストは生まれによって決まる。
・職業はカーストによって定められている。
・カーストには浄/不浄のレベルがある。
・結婚は基本的にカースト内で行う。
・同一カースト内には強い横の繋がりがある。
・カーストはアイデンティティの一部である。
実際のありかたは、こんな感じだろうか。
・カーストは生まれによって決まる。
→決まる。
・職業はカーストによって定められている。
→今では需要がなくなった職もあり、カーストと関係ない仕事をしている人も多い。
・カーストには浄/不浄のレベルがある。
→あるけれど、都市部では場によって気にしないことになっていたりもする。
・結婚は基本的にカースト内で行う。
→もっと大事と思うものがあればカーストに関係なく結婚したりもする。特に都市部では。
・同一カースト内には強い横の繋がりがある。
→ある。
・カーストはアイデンティティの一部である。
→たぶんそう。
例えば、日本中の八百屋さんが八百屋さん同士で結婚を繰り返してきた過去があるとする。日本中の八百屋さんが親戚同士、いとこのいとこのまたいとこみたいな、血縁的にはほぼ他人みたいな八百屋さん同士でも、「同じ八百屋じゃないか」で心が通じ合う。
大手スーパーの台頭で店を閉める八百屋もいるけれど、店を閉めたって心は八百屋だ。うちも先代で店をたたんだけど八百屋だ。息子には立派な八百屋娘を嫁にもらうんだ。
…みたいな感じかなあ、と漠然と想像する。
靴屋さんもお肉屋さんも、お医者さんもクリーニング屋さんも眼鏡屋さんも、それぞれがそんなコミュニティを持っている社会。
それがカースト社会。多分そんな感じだ。
カーストというと専ら上下関係を思い浮かべてしまうけれど、本を読む限りではとにかく「浄/不浄」の感覚が強いらしい。ケガレというと、少し日本ぽく想像しやすくなるだろうか。
神に仕えたり、学問を司ったりする(つまりフワッとしたものを扱っている)のは上位カーストで、死体や糞尿を扱うのは下位カースト。上位カーストが下位カーストを触るとばっちいのがうつる。地域によっては近づいただけでもうつる。
そういう感じらしい。
(ブラーマンがスーパー清らかだからってカーストオールマイティー料理人として下位カーストの裕福なおうちに雇われているというエピソードはマジのマジなのだろうか…。)
さて、なんとなくカースト社会がどんな感じかうっすら把握できてきた。
しかし次の疑問が湧く。
え、なんで下位カーストの人は下位カーストになったの。
下位カーストはどのようにできたのか
上位カーストは何となくわかる。良い感じの職業だからだ。
神様とか学問とか、楽そうというわけではないけれど、なんというかこう「やりたい人多そう」感がある。たぶんむかし権力があった人々が「おれコレ~」とか言ってゲットしたに違いない。
下位カーストの「追いやられた」感が気になる。
先に言っておくと、現在カーストに組み込まれている人はヒンドゥー教徒に限らない。イスラム教徒や仏教徒のインド人も各々カーストに属しているらしい。改宗しても生活上は何らかのカーストに属さざるを得ないということだろうか。
で、下位カーストについて。
かつてのインドにおいて、侵入者であるアーリヤ人が先住民を征服した。アーリヤ人は肌の色が薄く、先住民は濃かった。ここで、支配者と被支配者の違いを「ヴァルナ」(色/肌色)という言葉で示した。
アーリヤ人の下に、「ダーサ」(奴隷)ができた。後のシュードラである。
ということらしい。
図中の「再生族」「一生族」というのは宗教上の在り方である。
再生族(ドヴィジャ)は、少年期になるとヒンドゥー教の教えに従い師についてヴェーダ(聖典)を学び始め、宗教的に「再び生まれる」民。
一生族(エーカジャ)は、ヴェーダを学ぶ資格を持たず、女の腹から「一度きり生まれる」民である。
シュードラ、まして不可触民は宗教上も上位3カーストとは全く別の存在とされたことが分かる。
(ちなみに幼児及び女性は、ヴェーダを学ぶ資格を持たないため宗教上はシュードラ扱いとなる。)
時代が下り、シュードラの中でヒンドゥー教的に不浄とされる仕事(死、血、排泄に関わるもの)をしていた人々が忌まれ、ヴァルナからはじき出された。
山岳部族や、掟を破った結婚などを理由に集団から追放された者などと共に、ヴァルナの外、全カーストの下にいる者としての不可触民が生まれた。
なんか…どっかで聞いたような話とどっかで聞いたような話だな、という感想を持つ。
ともかくこれで下位カーストがどのようにできたのかはなんとなく理解できた。と思う。
感想と教えてほしいこと
しかしまあ、本当にカースト制のことを何も知らなかったなあ…と思う。
冒頭の「あれでしょ、クシャトリヤとかスードラとかのやつ。」というのも、半分あたりで半分はずれといったところだった。
私が挙げた本には実例もいろいろ載っていて興味深いので、こんなnoteを読んでいる方はぜひ手に取られると面白いのではないかと思います。
あと色々読んではみたものの、もうひとつ出てきた疑問がある。
インドの外でインド人同士が出会った時、カーストはどのような扱いになるのか?
なんとなくの予想では、「都市部では無効」の延長で気にしないけれど、話しているうちに「へーこの人あのカーストなんだ」と察する…とか、そのあたり。
どうなのでしょうか。ご存知の方がいらしたら教えて下さい。