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かなしみが顔を隠して私を抱き抱えている
これは私が愛してやまない東京事変の「絶体絶命」という曲の一節である。私はこの曲に何度救われてきたかわからない。
椎名林檎様がタンバリンをチャンチャン♪と軽快に演りながら、高く可愛い声でデカダンス文学みたいなことを言っているのがとてつもなく好きだ。
もう知っている人が大半だと思うが、好きすぎる故に貼り付けておく。
とはいえ、いつもより言葉の持つ空気感が重くて申し訳ない。
実は最近、なにかきっかけがあった訳でもないのに気分がひどく落ち込むことがあり、何も手につかなくなってしまっていた。noteの更新ができなかったのもそのせいである。
元来、気分の波が激しく、昔から苦労してきたのだが、こんなに悪化したのは久しぶりだった。
こういう時に私がよくすることを客観的に考えて列挙してみよう。もしかすると同じ人がいるかもしれないという期待を込めて。
①病名について熱心に調べ始める
②親のことや境遇について、実際より少しオーバーに嫌なことを思い出す
③薄らと希死念慮が芽生えるが方法を考えるうちにめんどくさくてやめる
④普段あんなに好んでいる孤独を憂いて泣く
ざっとこんなものだろうか。
①に関して、例えば【うつ病 初期症状】とか、【躁鬱 病院】、【うつ病チェック 無料】などと検索をかけてしまう。
ちなみに、大抵の場合「あなたは軽いうつ傾向にあります。早めの受診をお勧めします。」
という非常に当たり障りのない文言に行き着くだけで得られるものはない。
②に関しては、実際私のこういう性質について、半分くらいは生まれ育った家庭での境遇に原因があると考えている。ただ、比較的冷静な今思えば若干オーバーに悲観してしまう節がある。普段は普通に感謝している気持ちもあるのに、憂鬱な時にはその気持ちが一気にゼロになってしまう。
③に関してはそのままである。なんとなく死にたいな、消えてしまいたいなと思うのだが、実際に行動に移したことは無い。
リストカットやオーバードーズは最期に気持ち悪くしんどくなるから嫌だ。飛び降り飛び込み系は関係ない大勢に迷惑をかけるから絶対に何があっても嫌だ。
要するにどの方法も辛い中生きていくよりもっと嫌なのである。
という訳で、実際は死にたいのではなく死んだように何も考えずに寝ていたいだけなのだということに気づく。そこまでがセットである。
④は深刻だ。普段あんなに自分のことを孤高の天才みたいに思って(勘違いして)いるにも拘らず、「私は孤独だ、私のことを解ってくれる人は地球上の何処にも居ない」みたいなことを考え出して涙が溢れてくる。
通常時は自分を解ってもらいたいなんて思っていないし、自分の崇高な思想が理解されるとも思わないし、そもそもどんなに仲のいい人にも「解ってる」顔されることが何よりも大嫌いなくせに、だ。
ここまで考えると自分がいかに自分勝手な人間なのかが解ってくる。
そしてこれを自覚することによってまた落ち込む。
頭のうちでは言葉が何より正しい。だから自分が自分に掛ける何気ない一言が、自分にピッタリすぎる故に自分を深く傷つけてしまう。
「かなしみが顔を隠して私を抱き抱えている」というのは、私の通常時なのかもしれないと思う。いつも「かなしい」ことに気が付かないまま、頑張っているのだろう。それ故に、ふと自分について考えた時にその頑張りの空虚さを悲観してしまう。
(かなしみ、が平仮名なのは「愛しみ」の意味もあるのではないかと、椎名林檎ファンとしては考察できる。私は愛を愛だとわかっていないけれど、常時誰かからの愛に抱き抱えられているのかもしれない。)
この憂鬱から脱却するにはそこそこの時間を要する。表面上明るく振る舞えるようになっても、少しの変化で(それは気温、気圧、湿度などのレベルで)またひどく気持ちが沈んでゆく。
この気質に私はもっと慣れていくしかないのだと思う。
できれば、他の人に迷惑をかけないように。
とりあえず、今日も東京事変を聴きながら学校に行こうと思う。
結論。作詞作曲した椎名林檎、伊澤一葉は神。