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成功者と不成功者の差は実はこれだけ🍁

 単純な問題でも欲が絡むと複雑になる。私欲から離れた考え方が真の成功へと導いてくれると私は信じています。
 物事をあるがままに見る勇気を持つことが大切だと思います。澄んだ純粋な心にしか真実は見えません。利己心に満ちた心には、複雑な事象しか見えないのです。例えば、もし、「この仕事から、この人と関わることでどんな利益があるだろうか」、最近の若者だとメリット・デメリットという言葉を使うのでしょうか。このような私欲を抱いて仕事に取り掛かると、その欲望が単純な問題さえも複雑にしてしまうのです。私たちは往々にして、自分を良く見せようとしますが、その利己的な動機は問題の焦点をぼやけさせ、解決を遅らせてしまうのです。最近よくブランディングという言葉をよく使う方が多いですが、もちろん時として必要なこともありますが、間違った認識で使ってしまうとかえって逆効果になることもあります。今から話すことは私の営業マン時代に実際に経験したことです。私は、仕事柄日々見込み客発見や紹介をもらえるように努力し続けなければなりませんでした。転職した当時の私は、結果を出せばその分報酬として評価してもらえる環境下であったがために、数字(結果)をあげるためなら手段を選びませんでした。しかし、これが営業マンやお金持ちになりたい、成功したいと思っている多くの人が陥りやすい罠でもあったのです。本来、営業マンはお客様にある課題や問題点を解決するために、その解決策として商品提供するというのが営業マンの本質であると私は考えます。しかし、先ほどの私の考え方や仕事に取り組む姿勢はどうだったでしょうか。お客様のためという気持ちより、自分の利益追求のために仕事をしていたのです。もちろん結果や数字にこだわるなとは言いません。結果が伴わなければ周りから評価されることもありませんからね。ただ、その気持ちだけではうまくいかないということも事実なのです。利益追求だけを考えてしまうと、成功したいという気持ちとは別に、「これはやりたくない」「テレアポはしたくない」などの感情も生まれてきてしまうのです。つまり、できないことを認めることは大切ですが、いつしかやりたくないこともできないことだと人は間違った錯覚をする様になり、問題や課題を複雑化してしまうのです。大事なのは、1人の人間として、経営者として、営業マンとして、これは正しい行動言動なのか、人間として正しい選択とはなんだろうかと一度立ち止まり考えることがとても大切なことだと私は思います。物事をあるがままに、見ることのできる純粋な心を持つよう努力すべきだと私は思います。利己的な欲望に駆られた目には単純な問題さえ、非常に複雑に見えてしまうのです。たとえ自分にとって不利益であったとしても、物事をあるがままに見て、自分に非があれば認める。純粋な目で物事を見始めた時、突然問題が解け、簡単な解決方法が現れることはよくあるんです。ところが、自分自身が快楽や贅沢を追い求めるような利己的な心から離れることができなければ、自分の目を曇らせてしまい、物事の真実は曖昧なままになってしまうでしょう。物事をあるがままに見て、さらに自己犠牲を払ってでも成し遂げようという心構えができていれば、結局は克服できない問題などないのです。前の投稿でも話していますが、自分の弱さを認め、あるがままに受け入れることから始めなければならないということですよね。皆心の中に物事を判断する際の基準となるべきものを持っています。フィロソフィとも言いますが、これらの判断基準は、人間として何が正しいかという問いに対する答え。つまり、道徳や倫理のような原理原則に基づくものであるべきです。自らの内にあるフィロソフィが、わたしたちを正しい意思決定へと導いてくれるのです。ありきたりな知恵や慣習に頼って判断を下すのは避けるべきです。なぜなら新しい局面に直面した時うろたえることになるからです。真の革新者たちが新しい世界を切り拓き、開拓することができるのは、彼らが経験豊富であるからではなく、また常識があるからでもないと私は思います。彼らが本当に崇高な人間の本質を知っており、基本的な原理原則に基づいて判断を下しているからだと考えます。

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