"天才"・後藤英一
日本のコンピュータ開発のパイオニアたちの中で、最も「天才」と呼ばれることが多いのは、どうやら後藤英一のようだ。
東大の院生時代、電子計算機作りに役立つ論理素子・パラメトロンを発明したのを皮切りに、多岐にわたる活躍を見せた。
http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/gotou.html
指導教授の高橋秀俊は、「彼こそは10年待ってはじめて得たすばらしい学生だ」と賛辞を惜しまなかった。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri1946/41/1/41_KJ00002748694/_article/-char/ja/
高橋の研究室で1年先輩だった山田博は「後藤英一さんは本当に天才ですね」と語り、後藤が独力でテレビを作ったエピソードを紹介している。
httpsは//ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=8&item_id=96548&item_no=1
京大の院生時代から日立製作所で活躍した矢島脩三も、後藤を含む高橋研究室の面々を「才気煥発で天才的な閃きタイプ」と振り返る。
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=10883&item_no=1&page_id=13&block_id=21
また矢島は、MUSASINO-1(電電公社、1957)の開発などで知られる喜安善市を「すばらしい,人が気づかないようなことをポッポッポッとおっしゃる天才的な先生」と評している。
https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=8&item_id=163794&item_no=1
だが後藤によるパラメトロン発明当時、喜安は「自分の能力がいかに貧弱かと[…]恥ずかしく思い」、「後藤英一君の天才的な能力を知った」という。
https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=8&item_id=71936&item_no=1
天才が認める天才、それが後藤英一。
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