渡米してコンピュータを作った男たち
1960年代、多くの日本人がアメリカに渡ってコンピュータ作りに関わっている。
彼らが参加したのは、イリノイ大学のILLIAC Ⅱ、ILLIAC Ⅲ、ILLIAC Ⅳの研究開発である。
https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=8&item_id=4577&item_no=1
ILLIACと日本人との出会いは1954年に遡る。
留学生だった室賀三郎が、ILLIAC Ⅰを使用したのだ。
これは、大型コンピュータと日本人との初めての出会いでもあった。
https://museum.ipsj.or.jp/pioneer/muroga.html
そして帰国後、室賀はILLIAC体験を活かし、MUSASINO-1の製作に取りかかる。
https://museum.ipsj.or.jp/computer/dawn/0013.html
ここまでは、言ってみれば本場アメリカの技術の吸収と模倣だ。
だが60年代に入ると、渡米した相磯秀夫、淵一博らが留学生ながらILLIAC Ⅱ(1962)の研究開発に従事することになる。
https://museum.ipsj.or.jp/pioneer/aiso.html
https://museum.ipsj.or.jp/pioneer/fuchi.html
すごい行動力である。
先述の室賀は、1964年からイリノイ大学教授に就任している。
こちらも、ただの留学生で終わらないところがすごい。
その後、40年近くも教育と日米交流に努めたそうだ。
https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=8&item_id=67922&item_no=1
写真は、ILLIAC Ⅰ。