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入れなかった人たちのための「150年」展評

「見ていない展覧会について堂々と語る方法」

バリアフリーとノーマライゼーションが推進される現代において、これだけ入れない人の多い展覧会も珍しいのではないだろうか。

実際「入れない人」のうちのひとりとして、私が「150年」という展覧会に対して抱いたのは上記のような感想だった。

「150年」のチケット予約サイトに記されている項目だけでも
13歳以下の人、足が不自由な人・車椅子の人、酒気を帯びた人、ヒールやスパイクなどの先の尖った靴を着用している人、そしてチケットに記された時間を過ぎてしまった人、彼らはいかなる理由をもってしても入場することが許されていない。

それだけでなく、足場の悪さなどを踏まえれば、目が不自由な人も恐らく入れないだろうし、空間の特殊性を考えれば、閉所恐怖症や暗所恐怖症の人は入れないだろう。あるいはもちろん、お金のない人は入れないということになる。また、Xなどの反響を見れば、埃対策としてマスクを用意することが推奨されており、喘息の人や呼吸器系が弱い人は入れないかもしれない。また、地方に住んでいる人・現地に足を運ぶことが難しい人や多忙によって時間を作ることが難しい人、その他にも、安全性、思想性、政治性、様々な理由によって行かないことを決めた人がいた。彼らは「150年」展が鑑賞者に課した制約とは無関係ではあるものの、入ることができなかったということに変わりはない。
「150年」展のステートメントには「無から傷を生じさせることはできるか?」と書かれているが、彼らの問いの前に付されるべき、「無」もまた「傷」であるという前提を、彼らは忘却しているのではないだろうか。

しかし、「150年」展に限らずとも、展覧会という形式そのものが、蓋然的に「入れない」ことを運命付けられた形式であることもまた事実である。私たちは歴史上のいくつもの、会期を終え、二度と目にすることのできない展覧会を知っている。そしていま、実際に入ることができる展覧会においても、会期が終わるよりも前に、全てに目を通すことは物理的に不可能であると予想できる。あるいは、もし仮に歴史上のすべての展覧会に入ることができたとしても、その全てに足を運ぶには、私たちの寿命は短すぎるかもしれない。
であれば、展覧会はそもそも蓋然的に見れない形式であり、閉じられた形式であると考えられる。

それゆえに、私には常々、疑問に思うことがある。なぜ、展評では見た展示のことしか語られないのか?
例えば、テクストであればピエール・バイヤール『読んでない本について堂々と語る方法』や、ボルヘスの『バベルの図書館』、あるいはジャック・デリダの『グラマトロジーについて』などは、そもそも読まなかったり読めなかったりすることをテクストの前提とし、その上でテクストを読む意義を捉えなおそうとする。ではなぜ、テクストと比べても、より閉じられていると思われる展覧会についての「見ていない展覧会について堂々と語る方法」が存在しないのだろうか。これはひとえに美術批評家の怠慢ではないか?

まぁ、かなり妥協すれば、見ない・見れないことの意義を捉えなおそうとしている例は、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージの前で』や、ジャック・ランシエール『解放された観客』などがある、小林秀雄がモーツァルトについて書いた方法なども近いのかもしれない。それでも「見ていない展覧会について堂々と語る方法」を記した人は私以外にはいないようなのである(私は「うららか絵画祭」で作品をひとつも見ずに帰ったときにもアクロバティックな展評を書いているのだhttps://note.com/i_am_my_world/n/n672d67ab645a?sub_rt=share_b)。
そして、その私が言うのだから間違いはないのだが、現代の日本において見ていない展覧会について語る方法を考える上では、「150年」展ほど象徴的な題材はない(一応、たとえば松澤宥「荒野におけるアンデパンダン’64」のように、入れないこと自体に説得力がある例では意味がないこと、そして「150年」展が象徴的であるというだけで、単に入れない展覧会や入りずらい展覧会はたくさんあるということは予め言っておく)。

アンチ・バリアフリーとしてのバリア(バリケード)

「150年」展について、まず私が考えたいのは、先行世代との対比である。われわれ現代の美大生(「150年」展には、私の知り合いも含めて、美大生が多く参加している)にとって、先行世代に位置する作家やキュレーター、学芸員たちは、制度批判的な意識のもと、「バリアフリー」な現代美術の形成に尽力してきたのである(早い例では、ダンカン・キャメロンの主張「テンプルとしてのミュージアム」から「フォーラムとしてのミュージアム」へ、最近の例では「第四世代の美術館」についての議論や、国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」での田中功起の作品など)。
先行世代の、現代美術を外側へと開いていく姿勢が、「展覧会はそもそも蓋然的に見れない形式であり、閉じられた形式なのである」という普遍的な真理に対する抗議であり、これを転覆させる試みであったと考えるならば、「150年」展が鑑賞者に与えるいくつもの制約は、そして「150年」展に入ることができない人の多さは、バリアフリーやノーマライゼーションといった動きに対する「反動」のように見えなくもない。バリアをフリー(無効)にするのがバリアフリーだとすれば、バリアフリーの反対はバリアである。このとき、「150年」展という鑑賞者を危険に晒す展覧会は、自らの「バリケード」としての側面を露呈する。

哲学者である下西風澄は「150年」展の感想で、「150年」展における美術との「切断」にフォーカスしている。

前面には、SNS映え、脱出ゲーム、廃墟好きなどの観客が呼ばれていることで美術的な世界や歴史からは「切断」されている。
[中略]
この展示は思想的なキュレーションをある意味で諦めつつ、物理的な環境によって全体をコーディネートするという方法になっているように思え、それが最初に書いた美術との接続が後景になり、アトラクションとしての体験が前景になって美術と切断された功罪でもあると思う。

https://www.instagram.com/p/DFDKFymSI6K/?igsh=MXU1eGo3NmVmN3hzeg==

「150年」展は、展覧会の「アトラクション」としての性質を前面に押し出すことで、現代美術の一般的な鑑賞者ではないが、展覧会のアトラクション的側面がもたらす効用を期待して来場する、アトラクション利用者を意図的に呼び出している。それを踏まえて、「150年」展は、美術からの「切断」(=美術に対するバリケード?)を意味するのではないかと結論するのが下西の感想である。あるいは、下西の「今回の展示だけではなく、加速度的な情報の濁流があふれる現代の環境のなかでは、あらゆるコンセプトが無効化してしまう」という主張を踏まえれば、現代美術そのもののアトラクション化が進行しているということになる。このとき、実際のジェットコースターなどのアトラクションにおいても乗客にさまざまな制限が加えられることを顧みれば、先行世代の努力とは裏腹に、展覧会そのもののバリケード化は依然として進行していると考えることができるのではないだろうか。

「150年」が反動的な姿勢でもって展覧会のバリアフリー化に逆行し、かつ現代美術の鑑賞者とは別の目的をもった鑑賞者に向けた展覧会を企画したこと(そして、現代美術の申し子であり、かつ「150年」展に入ることができなかった私の存在)から帰結するのは、「150年」展は、先行世代が作ろうとした「バリアフリーな現代美術」に対するバリケードであり、バリケード化する展覧会において、そのひとつの到達点を先駆的に示した象徴的な事例として、議論に値するという結論である。
そして、このようにバリケードとして展覧会を捉え直し、それについて外部から語ること。締め出され、疎外された「傷」をもって観察者の目で語ることこそが「入れなかった展覧会について堂々と語る方法」となる。

もうひとつの150年

では、「150年」展が、先行世代の「現代美術」に対するバリケードであるならば、そのバリケードの内部で彼らは何を構築しようとしたのか。それは「150年」というタイトルから端的に察することができる。

本展が相手取るのは、150年「前」や「後」ではなく、ただの時間の量としての「150年」である。
それは人類にとっては先祖の顔、あるいは未来の発展といった現実がギリギリで想起できない時間量だ。

https://artsticker.app/ja/events/62207

「150年」展の「脚本」を担当した布施琳太郎は、「150年」というタイトルについて、それは150年というギリギリ想起できない時間の量なのだと説明する。「150年」展が現代美術に対するバリケードなのであれば、そのバリケードという枠組みによって捉えようとするもの、「150年」という言葉が意味する対象はひとつしかない。それは、「現代美術の展覧会」という言葉から常に疎外され、かつ永続的に付き纏ってきた「亡霊的なもの」、あるいは展覧会の外部である。

私たちの先行世代が、「全ての展覧会」を見ることができないという「前提」を突き崩す革命として、バリアフリー化を推し進めてきたのだとすれば、「150年」展の意義は「全ての展覧会」という前提に含まれることさえなかった展覧会、亡霊的な展覧会を、あくまで美術の枠組みのなかで、どうにかして対象化することにある。要するに、「現実がギリギリで想起できない時間量」を各作家に表象させるのは、展覧会の亡霊を呼び出すこと、そしてこの亡霊もまた展覧会のひとつであると証明することで、先行世代が前提とした「展覧会」の定義自体に問いを付すためなのである。

「展覧会」の亡霊を対象化するためのバリケード、それは不可視なものを見えるようにするための枠組みなのだ。なるほど、それは面白い。では、入ることのできない展示について堂々と語る(あるいは入るとは別の方法で体験する)ためのテクストは、「もう一つの150年」といっても差し支えはないのではないか?
あるいは、このテクストを読んだ人はたとえ「150年」展に入ることができなかったとしても、「150年」展に入ることができた人と同等に話し合うのとができると言って良いのではないだろうか。

もし、そうならば、それはそれで問題がある。「150年」展の企画者が、現代美術そのものに対する反動的なバリケードとして構想した「150年」展が、私のテクストさえもその内に包括してしまうのならば、彼らの問題は、現代美術の展覧会という形式がもつ欺瞞性を批判する代わりに、それを言い訳にして彼ら自身のキュレーターとしての権力を隠蔽してしまったことになるからだ。私のテクストさえもが、「150年」展に陳列された150年という時間量を扱った作品のなかに、そのひとつとして並置されてしまうのであればその基準を作り出した人、その基準を制定したことで「ひとり勝ち」できる人は誰なのだろうか。なぜ監督と脚本なのだろう。彼らがその言葉によって隠そうとした職業の名前はなんだろうか。現代美術を批判するという名目で、あまりにも芸大生的な素朴極まりない先行世代批判をまるで一捻りされた新しい美術かのように提示することで得をするのは誰なのだろう。展示作家を選んだのは誰で、そしてその選考基準はどんなものだろうか。広大なスペースと巨額の資金、そして数々の協力者は誰がどのように集めたのだろうか?そしてその広いスペースと資金があってなお、足場の悪いところに作品を陳列する程度のアイデアで(あるいは多少話題になったくらいのことで)「展覧会」批判をしたつもりになっているというのは悪い冗談だろうか?若いことは言い訳にならない。なぜなら、私に同じスペースと同じ資金と同じだけの協力者がいたならば、しょぼくれたバリケードなど作るはずもないからだ。一体、あのバリケードの中にはどんな人物が息を潜めているのだろうか。私はそれを知ることができないのが悔しくてしょうがない。さて、そこに隠れているのはだれかな?

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