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『武道館』朝井リョウ
同じなのだ。あのステージに駆け出して行った自分と、今こうして大好きな人と愛し合っている自分は、どちらも完全に自分自身なのだ。―(中略)―どちらも、自分なんだ。それが、ほんとうのことなんだ。誰に教えられるでもない、自分で見つけたほんとうのこと。
本屋が好きだ。
新刊を売る本屋も、中古本を売る本屋も好きだ。
一生かかっても読み切ることができないような本の量。絶望であり幸福だと思う。まだまだ読んだことのない本がたくさんあって焦りと安心がともにやってくる。
というわけで、積読している本がたくさんあるくせに本屋に行った。
そこで目に入ってきた一冊。
私は二次元・三次元問わず女性アイドルが好きで、しかし、どうして彼女らが好きなのか言語化できないし、女性性の搾取構造という側面も持つアイドルを女性かつレズビアンである自分が推すとはどういうことなのか、折り合いをつけられずにいる。
だから、『武道館』というタイトルと表紙に光るサイリウムに吸い込まれるように、すぐに読み切ってtしまった。
幼いころからアイドルに憧れていた現役女子高生アイドルである愛子の、アイドルとしてのサクセスストーリーとその幼馴染である大地との関係を軸に物語は進んでいく。
ただ歌って踊ることが好きだったひとりの女の子が、アイドルとしての自分と幼馴染に恋する自分の矛盾に悩まされ、悩みながら自分の答えを導きだしていく。
作中でメインテーマのひとつとして描かれていたのは「アイドルと恋愛」である。
アイドル、とりわけ女性アイドルは常に清廉潔白であることを求められる。
作中でも触れられていたように、某アイドルグループの人気メンバーが男性とのスキャンダルの末に丸坊主にしたことは記憶に新しい。
丸坊主は一種の「けじめ」のようなものだろうし、だいたいのアイドルは男性とのスキャンダルが発覚すれば脱退ということになる。
この点に関してはまとめたいことがたくさんある。
それが明文化されていようともいなくても自由恋愛を禁じるのは人権侵害では?と思うし、デートやお泊り、彼氏発覚のスキャンダルでは脱退に追い込
むくせに、結婚となれば一気に祝福ムードになるのも気味が悪い。
いちファンとしては「推し」に自由に恋愛を(するかしないかも含めて)楽しんでもらいたいと思う一方で、やはり恋人や配偶者の影が見えてしまうとげんなりしてしまうというのも否めない。
アイドルという言葉が「idol(イドラ・偶像)」と関連するように、アイドルはファンの信仰を受けるある種の偶像で、ファンが行っているのは偶像崇拝にすぎないかもしれない。
私自身は、そのアイドルに彼氏/女がいようが結婚していようがいなかろうが、アイドルを続ける以上、それを表に出さないでいてくれればそれでいいなと思う(初代BiS~BILLIE IDLE®時代のファーストサマーウイカ氏はこの点で完璧だったと思う)。
作品に話を戻す。
主人公の愛子は、アイドルの自分も恋をする自分もどちらもほんとうの自分として受け容れるが、周囲はそれを許してはくれなかった。
自分の気持ちに嘘をつかなかった愛子の姿は見ていてすがすがしい一方、恋愛に没頭することを許容しなかった周囲の気持ちも痛いほどわかる。
ファンがどう願おうがあがこうがアイドルの人生はアイドルのものだ。
本作の終わり方には光があった。
アイドルの在り方がこれからどのように変わっていくのか、いちファンとして楽しみにしている。