『賢者の書』喜多川泰
先日、喜多川泰さんの講演会に行った際に注文した一冊が届いた。
いくつになってもサイン本は嬉しい。
著者が私を知らなくても、そのとき名前の文字列をなぞってくれたという一瞬のつながりが嬉しいからだ。
喜多川さんの本を読むのは二冊目になる。
「ファンタジー×自己啓発」という異色の本書。
世界各地の賢者に会い、教えを乞うことで賢者の書という一冊の本を完成させる旅に出た少年サイードと、自分の人生に疲れ切ったところで彼と出会った中年アレックスの物語。
サイードが各地で出会った賢者たちとの記憶を、賢者の書を通してアレックスが追体験することで物語は進んでいく。
作中の9人の賢者の教えの中でいちばん響いたのは、冒頭に引用した教えだった。
要約すると、自尊心は高く保つべきだが、その高さは他者を尊重する他尊心の高さと同じでなければならないというものだ。
つまり、自分本位になるだけでもだめだし、他者を尊重するだけでもだめで、自他はともに尊重しなければならないということだろう。
自己と他者の尊重という両輪を、うまく走行できるように保つのは結構難しい。気を抜くとどちらかに偏りがちになる。
だが、そのバランスをとるということこそが、健全な自意識の形成に繋がるのだと思った。
この本は、折々で読み返すことで、そのときどきの自分に必要な教えを説いてくれるような気がする。
繰り返し読むことで自分の骨身になっていくのだろう。
違う話をひとつだけ。
9人いる賢者の中で「女性」と明記されたのは1人だった。
賢者のジェンダー比は特段どうだっていいのだが、女性の賢者のみが「女性」と特筆されるところに問題がある。
本書の中では、特に明記がなければその人は「男性」で、「人間」と書かれていてもそれは「男性」なのである(p.116も参照)。
著者が差別的な意識を持って意図的にそのように書いているとは思わない。
ただ、意識しなければデフォルトが「男性」である世界に私たちはまだいるのだな、と思う。
(加えていえば、本書の終わりの方でアレックスは息子のマシューにのみ賢者となるための旅に出よと声かけを行う。アレックスには娘もいると書かれているが、彼女は名前すら出てこない。本人が望むのであれば、女の子にも旅はできる。)
私たちはこうしたインプリシッド・バイアスと引き続き向き合っていかなければならないだろう。