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“良い母”を挫折した話− 執着を捨てる

“子育ては親育て”なんて言われるけど、わたしの実感は育つと言うよりも、“生まれ直す”に近い。我が子が生まれて間も無く、わたしも母親として生まれ直した。産前と今ではほぼ真逆のベクトルを持つ人間だ。

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わたしは能力に見合わぬ完璧主義で、子育てについても“こうあるべき”という固定観念が強くあった。それは自分自身が両親から大切に育ててもらった感謝からだ。お前は全然手がかからなかったからよと言われるけれど、子どもの頃から親に嫌な顔をされたり、暴言どころか小言も吐かれた記憶がない。現在も関係は良好で、30年以上生きていたらあるであろう、確執の一つや二つも思い当たる節がないのだ。

この関係こそが最善、我が子ともこんな仲を築きたい。子を授かったときからそれがわたしの夢になった。[両親と自分][自分と我が子]は様々な事情が異なることを度外視して、親がしてくれたことを我が子へも施してやることが正義だと信じた。

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初めての子育ては、その執着と向き合う作業だった。子が生まれて数日で理想は砕け散り、1年半で病んだ。

模範的な“良い母”であることに固執したのは、まわりの目を気にしていたからだ。子が不躾な子と思われてほしくない。それすなわち、自分が世間・社会・他人様からダメ親の烙印を押されれたくなかった。

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寝付かない息子を毎夜ナイトドライブに連れ出しては、車内で泣いたり叫んだりした。うまくできない自分を責めたし、思い通りにならない息子まで責め立てそうになっていた。

いよいよまずいと震えながら自分と我が子の心身を守ろうと考えたとき、自分の中で取捨選択が行われた。重要でないものを削ぎ落としていって、残ったものだけが、核。

−– 今この瞬間幸せであることを何より優先し、なるべく楽な方へと流されることにした。自分と家族が笑顔であればなんでもいい。他所は他所、うちはうちのやりかたで正解を見つけられるはず。

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他人からの評価は抜きにして自分自身がどうありたいかを、生まれて初めて考えて考えて考え抜いた。ガチガチの執着を脱ぎ捨てて真逆の舵取りに切り替えるのは勇気がいることだったけれど、新しく見えた世界はとても軽やかで、カラフルだ。

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