一生タバコを吸わないとは言えないけれど『コーヒー&シガレッツ』
やあ、僕だよ。
朝のニュースでさ、倍速にしてコンテンツを楽しむ人たちについてやっていたんだよ。
僕もエンタメを大量消費するタイプだけれど、そんな見方ってなんというか、フードファイターが美味しいホットドッグを水で流し込むみたいな、パンとソーセージに分けて丸めて口に入れるみたいな、そんな見方じゃない?
どうせエンタメなんて嗜好品なんだから、人に勧められようがすぐに観なくたっていいんじゃないかなって僕は思うよ(勧めた本人も共通の話題作りのために勧めてるだろうしね)。
今回の一本は、タイトルからして嗜好品そのものって感じの映画だったんだ。
観ても観なくても何も変わらない、たまにはそういうのもいいよね。
それと、僕の「タバコ」や「禁煙」についての話も書いていこうと思うよ。
さあ、始めようか。
今日も楽しんでくれると嬉しいな。
本作あらすじと感想
サムネイルが洒落ていたので、ゆったりとコーヒーやタバコを嗜む人々を巡るほっこりヒューマンドラマか何かかと思って視聴し始めた。
ふたを開ければ、意味ありげかつシュールでナンセンスな映画だった。
少しズレていたり、逆にぴったりな二人(一部三人)の短い会話劇のオムニバスなのだが、素晴らしかったのはそれぞれの話で机のカットがあるところ。
大抵の場合雑然としているそこにはコーヒーとシガレッツがあり、元喫煙者の僕にとっては実に実にうまそうに見えるのだ。
こんなにコーヒーとタバコを魅力的に映すのに、ところどころそれらを皮肉ったりする。むしろその皮肉がよりコーヒーとタバコを魅力的に映すのかもしれないけれど(元喫煙者は現喫煙者を哀れに思いながら同時に羨ましくも思う、複雑な生き物なのである)。
印象的なセリフである「地球はひとつの共鳴伝導体」、「コーヒーとシガレッツはランチじゃない」が繰り返される本作。まったくもって意味は分からない(見いだそうと思えばそれなりの見方もできるかもしれないが本質はそこじゃないと僕は感じた)し、もしもコーヒーとタバコがなければこの映画を観続けなかった。
そう。コーヒーとタバコがなければ、だ。
コーヒーとタバコとはすなわちそういう存在なのだ。退屈さやナンセンスに立ち向かうための何か。
…あ、カフェインとタバコないんでこれ以上はちょっと考えられないです。
一人ぼっちで始まった僕の喫煙遍歴
キャメル、セブンスター、マールボロ。画面上は白黒なのに、鮮烈なパッケージだ。
初めに吸ったのはマールボロメンソール、通称マルメンである。僕が幼い頃は酒もタバコも年齢確認なしで買え、父親の使いっ走りでコンビニでよく買わされた銘柄である。
つまり、父のタバコをくすねて吸ったのが始まりだった。
そして、仲間と一緒にカッコつけで吸い始めるみたいな甘酸っぱい青春のワンシーンのごとき始まりではなく、たった一人、慣れない受験勉強に打ちひしがれ、逃げ道を探すために火をつけた。
なんとも、侘しくコミュ障の僕らしい喫煙人生の始まりだったのだ。
(なお、喫煙開始年齢については現在と社会的背景や倫理観が違うことを留意されたい。あるいは僕が3回留年したと考えてもいい。)
少々様子が変わってきたのは、大学に入学してからだったように思う。
僕は滑り止めの大学にギリギリ入学でき、メンタルはボロボロ、引き続き慣れない生活に全く馴染めずオロオロしていた。
それでもお金は稼がなければならない(次年度の学費は自分で支払わなければならなかった)ので、履修登録やオリエンテーションもそこそこにアルバイトをいくつか掛け持ちで始めた。
提供するサービスも客層も地域も違う。しかし当時、喫煙所(と呼べるかどうか怪しい、今では考えられないゆるい何か)は至る所にあって僕はどのバイト先でも喫煙所の隅でタバコに火をつけた。
目まぐるしく変わる自分の居場所で、唯一変わらない習慣がタバコだったわけである。
そんな人たちが喫煙所にはよく集まった。少しダメな人たちだ。いや、喫煙所では皆ダメなところを出せただけに過ぎないのか。
なんとなく連帯感のあるその場所で、僕らは思い思いのスタイルで煙を吐いていた。
喫煙所で得られるものは何もなかった
社会人になってから仕事上の付き合いや利益のために、「タバコ吸っててラッキーだったな」と思うことはないとは言い切れない。
実際、喫煙所会議だの交流だのなかったとして、不利になることもなかっただろう。多分。
しかも僕はそれをわかっていた。わかっていながら、息子氏を妊娠するまでタバコをやめなかった。
タバコ(コーヒーも)がなければ、とてもじゃないが生きていけなかった。
退屈で疲れる外界で、タバコを吸う時だけはネガティブな刺激が落ち着くようだった。楽しいや嬉しいとは真逆の、ローの心地よさがあったのだ。
なお、メカニズムとしてニコチン不足は気分の落ち込みと倦怠感を生み、補充されると通常の状態に戻る。通常の状態に戻るだけで、決して集中力が上がったり、リラックスできたりするわけではない。
頭の隅ではそれを理解しているわけなので、何度も禁煙にチャレンジしてはことごとく失敗してきた。
僕がコーヒー党なのもまずかった。だってコーヒーとタバコの相性ってとんでもなくいいのだ。共鳴生命体なのだ。意味分からん、なんなん共鳴生命体って。
禁煙n回目の人、初めての人
妊娠前にたまたま始めていた、もはや何回目になるか分からない禁煙は、妊娠を機に続けざるを得なかった。
僕は嗜好品くらい自由にさせてくれよの観点(マナーを守るのは大前提として)から、喫煙所を極端に減らしていく方法は支持しない派なんだけれど、悔しいことに喫煙所を探すのが面倒であることも、禁煙を続けられた理由の1つだと思っている。
また、妊婦はホルモンバランスで嗜好性がかなり変化する。食べ物を拒否するつわりはほとんど感じなかった僕だが、タバコは連想するだけで気分が悪くなる時期もあった(妊娠後期には通常に戻ったが)。
そしてついに夫まで禁煙している。彼曰く、初めての禁煙らしい。
禁煙玄人の僕は「最初の3日が地獄。次の1週間も地獄。次の次の1ヶ月もそこそこ地獄」などと偉そうに夫へ吹き込んでいたのだが、難なく1ヶ月を突破し、もはや話題にすら出なくなった。
大きな体を丸めて息子氏のオムツを楽しそうに替える夫にとって禁煙は苦ではないらしい。
(例えば外で吸うことも出来るが、それをしないのは彼がヘビースモーカーだったからだ。ヘビースモーカーにとって1本吸ったら家で吸わないなど、現実的ではない。僕もその意見には賛成である。)
4月からの異動で仕事が忙しくなった挙句、育児や僕の世話、禁煙や資格取得と僕を突き放していく夫に嫉妬と憧れを抱きながら、久々に「タバコ吸いてえなぁ」と画面を見つめながら僕は思ったのだった。
ここにタバコがあったら
「喫煙所で得られるものは何もなかった」の序盤まで書いて、僕は寝落ちした。理由は息子氏の子ども体温(ミルクと石けんの匂いが混じった少し高めの体温のこと)がとても心地よかったからだ。
授乳のために3時に起きて息子氏が即寝落ちしてから、まもなく4時である。スマホの充電が切れかかったのでしぶしぶ起き出して、キッチンでiPadを広げている。
4月下旬でも深夜はまだ肌寒い。
この時間の、キッチンにまで聞こえる回し車のカラカラ音。淹れたばかりのコーヒー(ノンカフェイン。泥水の味がする)の匂い。アンビエント系のインストをサブスクサービスが勧めてきたプレイリスト順に流しながら、いつもの椅子に座っている。
以前なら、ここにタバコがあった。
デメリットしかないと言われ、最近のエンタメでは徹底的に排除されつつあるそれは、僕にとって確かに必要なやつだった。
もしもここに今、タバコがあったら。一本吸ったとして、非常にリラックスしていると脳が勘違いをし、コーヒーをより楽しんだと錯覚したはずだ。
そして二本目に火をつけ、途中で落ちる灰がテーブルや床を汚すことを気にしだし、キーボードに灰が舞い、自分の服や髪の毛がタバコ臭くなることに気づいてしまう。
ニコチンや副流煙のありとあらゆる影響で頭がいっぱいになり、二本目に火をつけてしまった自分に情けなさと嫌悪感を持つはずだ。リラックスどころの話ではない。
だから、僕はもうタバコを吸わない。
少なくとも息子氏が自分自身の意見を主張するような年齢になるまで、あるいは共にタバコを吸える年齢になるまでは吸いたくない。
吸いたい気持ちが一生消えなくても、吸わないではいられるのだから。