血のつながった親子だって元を正せば他人『イリュージョニスト』『ぼくを探しに』
『イリュージョニスト』シルヴァン・ショメ
非常に雰囲気のあるアニメ映画。アマプラで視聴。
またもやフランス。老手品師タチシェフは、ある日、スコットランドの離島に流れ着く。そこで、手品師のことを何でも願いを叶えてくれる“魔法使い”と信じている素朴な少女、アリスと出会う。
序盤、言葉が通じないながらも生活を営む二人の様子は、ぎこちなくも愛おしい。その内、言葉の通じないアリスの方が都会にどんどん馴染んでいってすれ違い…まあ想像しうる結末だ。
途中出てくる1950年代パリのデパートが本当に素敵。女の子の幸せがたくさん詰まっている。
『ぼくを探しに』シルヴァン・ショメ
同監督の作品だが、こちらは実写映画である。アマプラで視聴。
幼い頃に両親を失ったポールは、ショックで言葉を話すことができなくなった。そんなポールを育ててきたのは、風変わりな姉妹の伯母たち。二人はポールを世界一のピアニストに育てることに固執していた。
ポールはピアニストになることにほとんど疑問も覚えず、マエストロになるためにコンクールで優勝を目指すが、何度も惜しいところで優勝を逃し続けている。そんな折、同じアパートに住んでいる不思議な女性マダム・プルーストと出会い、ポールは徐々に自分のルーツを知りたいという欲求に翻弄されていく。
実写映画だがアニメ的な演出が効いていて、ポールの心象風景が真に迫ってくる。マダム・プルーストの畑部屋は僕が中学生の頃断念した理想の自分の部屋にそっくりで、実現しなくてよかったと思った(きっと母から出て行けとどやされたに違いない)。
***
正直、半径五キロ圏内なら接客技術で僕に勝てる者はいないだろう。
まあまあ接客が得意だし、何よりとても好きな仕事だ。
一流とまでは行かないが、二流の中では上等な方であると自負している。
仕事中の僕しか知らない顧客や同僚が、僕のことをコミュニケーション能力のない人間だと評価することはない。
外面の僕は通りの良い声を持ち、心地よいタイミングで巧みに微笑み、その時々に適した気配りで顧客の心の隙間に入り込むことが出来る。
でも仕事中から余暇へ、見えないポイントを切り替えた途端に僕は人と関わることが下手になってしまう。
働き始めたばかりの頃はその性質に気づくことが出来ずに、仕事関係の人たちと仕事外で仲良くなろうとしてよく失敗していた。
仕事に支障が出るほど失敗した後に、僕は実のところ他者とのコミュニケーションが嫌いなのかもしれないなと思うことにした。
こんなに不得手なものが好きであるはずがないと、僕は自分自身に絶望したのだ。
そもそも、コミュニケーション能力とは何を差すのか。
巷で言われているコミュニケーション能力とやらは非常にあやふやで掴みどころがないように思うので、僕なりに切り分けてみる。
すると、以下のようになる。
「言語による意思疎通能力」
「意味を分かち合い信頼される能力」
「非言語による意思を推測する能力」
「自分の感情や意思を効果的に相手に伝える能力」
「築いた関係性を維持する能力」
となる(長くなって恐縮だ)。
就職活動や営業職でよく求められる「自分の利益を確保するための折衝、交渉、説得能力」とは、「意味を分かち合い信頼される能力」「非言語による意思を推測する能力」「自分の感情や意思を効果的に相手に伝える能力」を意識的に使いこなす能力のことだと僕は思う。
当時の僕を振り返ると、どの能力においても概ね優良だと評価できる。
…ではなぜ、僕は友だちがいないのか?
「築いた関係性を維持する能力」、これである。
この能力に関して僕は生まれてこの方ずうっと赤点で、ひと時懇意になれたとしても、連絡をまめに取ることが不得手で自然消滅してしまう。
仕事においてはほとんど定型文で、好意的なやり取りが出来る(要点を気持ちよく相手に伝えさえすればよい)。万一定型外のやり取りが必要だったとて、時間に限りがあるから切り上げることが出来る。
しかし、友だちは違う。内輪のやり取りは空気感もやり方も常に微妙に変化するように思う。それは僕にとって定形外のやり取りしか存在しないに等しい。その中で好意的なやり取りを続けることは非常に難易度が高く、緊張する場面が連続する。
短い期間であればそれも何とかこなせるのだけれど、どこかで必ず息切れし、ぱたりと連絡が途絶える。
そうして僕は彼ら彼女らから忘れ去られ、僕自身も忘れ、そこで一時関係性は解消される。
もらった連絡に対しての返信が遅い人間であった。
僕の返信が相手に不快な思いをさせてないか考えれば考えるほど、僕は疲弊していく。
直接会った時ですら、その時はどんなに楽しくても、僕は反省会をして僕自身の欠点を挙げ連ねてしまう。
仕事をしている時の僕は僕であって僕ではない。
だから、人格を否定されようが仕事ぶりを不当に評価されようが、どこか他人事に出来る。
でももしも、僕を僕たらしめる仕事外の僕を否定されたら。
結局のところ、それらの感情が邪魔をして連絡下手になったし、否定されないように相手を常に楽しませる過剰な気遣いをしていたのもそれが理由だ。
ところで、僕の家族は皆おしゃべりが好きだ。
先に記した通り、僕は話すことが得意であるわけだけれど、そのルーツは家族だと言っても過言ではない。
我先にと皆話すので、順序だてて面白おかしく話さないと話を聞いてもらえない。
無視されるのは誰だって好きじゃないだろう、だから僕は話術を鍛え、披露した。
そんな家でいくぶん居心地よく過ごしていたのだ。思春期を迎える頃までは。
僕はホルモンバランスに支配され、現実から浮いたような心持ちが途切れなかった。
そこでふと、自分の話を聞いてもらう必要性が必ずしもないことに気づいてしまった。
そうして聴き手に回ったら、家族の話も大して面白くなく、興味がすこぶるなくなってしまった。
その事実は、結構、ショックだった。それからつい何年か前まで引きずっていた。
妹は上手くやっているように見えたし、僕はなんて親不孝者なんだろうと嫌な気持ちになった。
そして僕は、友だちのいない大人になり、家族ともなんとなく疎遠になっていった。
社会人生活がひと段落した頃だろうか、ふと僕と僕の家族のそれぞれの趣味嗜好、性質について考えた。
そこでようやく本当の意味で理解した。
僕は、両親や妹と「合わない」人種なのだと。
血のつながった家族なのだから、何も考えず、楽しく会話出来て当たり前なのだと思い込んでいた。
両親や妹が悪い人間で、僕が良い人間だということでもない。ただ、「合わない」。それだけの話だった。
急に呼吸が楽になった心持ちがした。嬉しくなって、母に連絡した。久しぶりの連絡に母は喜んでくれたように見えたし、とんちんかんな会話も尚のこと愛おしく感じられた。
「合わない」人間同士が、血がつながっているというだけで人間関係を続けてこれたのだ。
なんて尊く、心が震える事実だろう。
僕は他人を信用するようになった。
人間関係は一度出来ると維持しようとする努力がある限り、連綿と続くもの。
僕自身で立ち向かうおかげで、常に高いパフォーマンスを出さなければならないと思い込んでいたので、継続が怖かった。
しかしそれは間違いだった。少し不快な思いをしようが、割り切れてしまうものなのだ。僕が家族に感じたように、こんなものだよねと諦めてしまうことが。
それはとても優しい気づきだった。驚くべきことに僕は「合わない」と感じたにもかかわらず、家族のことを嫌いになっていなかった。
現在の僕はというと、やはり友だちは少ない。
でも仕事関係の人と仕事外でも付き合うことに以前のような力みはないし、家族との連絡も時間はかかるけれど、返信できるようになってきた。
しかも、学生時代の友だちに自ら連絡を取った。これは僕にとって大いなる進歩だ。
人間関係を上手くやろうと気負いすぎなくてよい。時には嫌な思いをしたり、させたりしてもよい。
自ら少女との関係を断ち切った老手品師だって、やはり目の前の子どもを助けずにはいられないし、そうやって人は人と関わることがやめられないのだから。
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