「ありふれた悲劇だ」
昨日の放送回での、よねさんの独白場面がとても心に沁みました。
虎に翼:「救いようがない世の中を少しだけでもマシにしたい」よねの3分間の訴えに反響 「ズシンとのし掛かる」「朝ドラでよくぞ」
まんたんウェブでの上記記事から引用させていただきます。
よねさんの冷静な声で、しかし、自分の経験も含めた、多くの女性や子どもたちが暴力(性暴力を含む)や借金や人質(子どもがいるために逃げられない、など)に支配される状況を「ありふれた悲劇」と指摘する。だが、よねさんの声には怒りが含まれている。
よねさんには「カフェ燈台」とマスターというシェルターがあった。だから、救いようがない世の中を少しだけでもマシにするため、社会的弱者たちのシェルターとなり、彼らのために闘う。
ろくに読み書きもできなかった田舎から父に売られて上野に出て、マスターのおかげで衣食住と安心が確保されてから、どれだけ働き、読み書きを覚え、法学部に進むほどの勉強を重ねてきたのだろうか。すさまじいほどの忍耐と寝る間を惜しんで勉強する時間を捻出してきたに違いない。女たちが身体を売る街の喧騒に呑み込まれず、凛としていたよねさんの心の中には世の中の「ありふれた悲劇」に対する怒りが常にあったのだろう。
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父親のモラハラ言動に嫌気が差して、家を出て独立した世帯を営むことにした私は、離婚を選ばない母に苛立っていた。一晩泊めてくれと頼まれれば快く迎え入れたし、養ってくれと頼まれれば同居生活を始めるつもりでもいた。でも、母は踏み切れなかった。
なぜなら「抵抗する気力を奪い、死なないために全てを受け入れて耐えるように」なっていただろうから。直接的な暴力はないまでも、人の心を傷つける悪意のある言葉を日常的にずっと浴びせられる環境で、何十年も家事と育児をやってきたから。若い時にちょっと勤めたことがあったけど、食べていけるだけの技術も知識もなかったし、最低賃金で働く環境に身を移す勇気もなかったのだろう。
そして、母には弟を経済的に人質に取られていた。うつ病や腰痛で仕事が続かない弟は50代無職で扶養家族だった。母が私を頼れなかったのは、必ず、「お母さんは扶養義務があるけど、弟は……」と言われるだろうことを想定していたに違いない。
父も弟も母も亡くなっている今になって、今さらながら、モラハラから逃げられなかった母や弟の状況を振り返っている。