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12.7日誌(不適切保育について)

ひゅっけです。1つめの記事からしばらく経ちましたね。寒すぎたとおもったら今度は温かくて…それだけで疲れてしまいます。疲れたな〜を言い訳にしたらこんな日数が経っちゃって。継続は力なりって先人たちはよく言ったものです。


さて、今回は1発目の保育の話。少し暗すぎるかなと思いましたが、私の保育観なんて書く前にこれを話さなければと思い筆を走らせております。少々苦しい内容ですが、同業者の皆様は目ん玉かっぴらいて読んで頂ますようお願いいたします。



書こうとした訳

 現在、新卒ちゃん(以下A)と一緒に仕事をしておりまして…その子がとても勉強熱心なのです。Xやラインニュースなどで見た保育関連の記事を共有すると必ず興味を持って話を聞いたり質問をしてくれます。そんなAですが、先日こんなことを言っておりました。
「私最近不適切保育が気になって。昨日も夜な夜な調べていたんです。」
と。
ほうほう、なるほど、と思い
「いいことだね。様々な事例を知ることで自分の行動を管理することができるようになるよ」
 と伝えました。するとAは続けてこう言いました。
「でも、不適切保育ばかり挙げられて良い保育ってなかなか定義づけできないし、一概に何がいいとは言えないの困りますよね。悪いことだけは明確なのに」と。

そうきたか。
この壁、保育者ならば誰でもぶつかる壁だと思います。いいから早く正しい保育を教えて欲しい…とそう願ったことが何度もあったはずです。
でも、そんなの叶わなかった。だから今我々はこうして悩み続けているんです。それは1人ひとりに豊かな個性があり、それを守り伸ばしていくことが使命だからです。
bちゃんには当てはまるのにcちゃんには当てはまらないなんてことはザラにあって、それをどう解消していくかが我々のしごとのミソとなります。
そこで、今回不適切保育をゆっくり学びながら、より良い保育とはを自身の見解に過ぎませんが皆様にお伝えしようと思い今回このような記事を書き始めました。

不適切保育とは

厚生労働省が令和3年に公表した「不適切な保育の未然防止及び発生時の対応についての手引き」によると、「不適切な保育」とは以下のことを指しています。
子ども一人一人の人格を尊重しない関わり
物事を強要するような関わり・脅迫的な言葉がけ
罰を与える・乱暴な関わり
子ども一人一人の育ちや家庭環境への配慮に欠ける関わり
差別的な関わり

https://hoiku-is.jp/article/detail/1551/

とのこと。なるほど、わりとしっかり定義づけがされているのだとわかります。しかし、どうにも保育者はこれらを難しく考えてしまう傾向にあるのだとおもいます。それは我々が生きてきた時代は「不適切保育」という言葉が日の目を浴びることがなかったからです。まさか自分がされてきたことを他人の子どもにしたら不適切などとは思わないでしょう。人は自身の経験に絶大な信頼を置きがちです。

例えば
1;給食を完食しなかったからデザートを提供しなかった。(※1)
→これをされて、吐きながらあるいは何時間も椅子に座らされて食べ続ける子も出てきております。この先に何があるのか考えると何も生み出さないと気づくはずです。食育は短期間で行うものではないと思います。幼少期ずっと見ていた野菜が大きくなってから食べられるようになる、きっかけはその幼少期にあるというならばそれは立派な食育でしょう。「絶対完食できるようにする」という目標で子どもと関わると保育者もつらいと思いますし、食育は「完食」にあるという思考は非常に浅はかです。また一度食べて口に合わないものが生まれるということは人として大切だと私は思うのです。

小学生のとき私も牛乳が嫌いで、みんなが下膳を済ませているのに無理やり飲まされていることがありました。今でも鮮明に覚えています。でも担任はおそらく「飲めば飲める」と思っていたに違いありません。それに「これから牛乳飲めないと大変だから今のうちに」という気持ちも少なからずあったはず。

嗚呼、なんてありがた迷惑!

まぁ。今も嫌いなのであの時間は水泡に帰しておりますが。

大人になるにつれて、嗜好になっていく食事の時間。楽しくだれかと一緒に食べるべきです。どうやら人生において食事の時間は5年分くらいあるそうじゃないですか。それを「この先大変だから」という理由で苦しいものに仕立てたくはないし、そんな風に誰かが思うきっかけがどこかの保育園にあるとしたらもはや事件ではないでしょうか。


※1:ただ血糖値の急激な上昇を懸念なさる先生はいらっしゃいます。
甘味を先行していただくことで、満腹中枢を刺激しそのほかの食べ物の喫食量が減ることを心配なさるのもすごくわかります。ただ、「その子が満足行くまで食べたのであれば」我々はデザートを提供するべきではないかと思います。そこにプラスαで課題を付け足さなくていいんです。昨今の保育事情において、そもそも給食として提供するものはすべて子どもの目の前につけるべきという考えが広まっておりますし、それが常識になってきております。
自身で好きなものをいただくことからスタートし、徐々に食事のマナーや食べ合わせ等を日々の暮らしの中で理解する…それが食育だと考えるのでしょう。素敵ですね。



2;子どもが寝ないので布団を片付けた。

→「じゃあもう寝なくていい!!」

心当たりありませんか?ある方少なくはないはずです。 部屋の光と声量を落としてゆっくり体を休める時間。それを子どもたちが理解するのはとても素晴らしいことです。ですが、保育者がその姿だけを正しいものとして定義してしまうとこうなるんだと思います。
子どもに悪のレッテルを貼る前に、まず保育者が関わる姿勢を変えるのはいかがでしょう?
見守っているだけで寝れないのであれば、隣に座って優しくトントンしてみる。トントンが嫌そうだったら、寄り添うだけにしてみる。あとの方に寝るようにすると興奮気味になるので1番最初にお布団に入れるようにする。
….ありとあらゆる対応方法があるはずなのです。
これらをすっ飛ばして「布団いらないでしょ?」って言ってませんか。
その関わりをして個人日誌やクラス日誌にどんな振り返りを書くつもりなのですか。
日々我々は変わりゆく子どもの姿と戦っております。我々だけが代わり映えのない対応をしているのでは専門性に欠けていると思われても致し方ないのではないでしょうか。「給料を上げて!」「処遇改善を!」という声はとても大事ですが、権利を求める前にまずは目の前の子どもの最善の利益を守ってあげたいものですな。

1つひとつパズルをはめ込むように…我々と子どもたちのどちらともが心地よい関わりを手探りで見つけていく。
これが保育の醍醐味であり、専門性であり書類に残すべき内容であると思うのです。


せっかくゆったりと体を休める時間。
「やだ、ごめんなさい」なんて子どもたちの口から聞きたくはありません。
めんどくさがらずに、ゆっくりと関わりましょう。




待つ余裕を

布団の話もそうですが、不適切保育を確実にしないようにするには、やはり保育者の人数を増やしたり少人数のお預かりにしたり…色々な具体策が上がってきますが、それを整えるのは
しばーーーーーーーーーーーらくかかりそうですよね。(笑)

それまで何もしない…わけにはいきません。少しずつ….1歩ずつ変えていけたらと思います。急になんて難しいのでちょっぴりずつで。

目の前の子どもの姿を待ってあげる余裕をもつというのを大事にして言ってほしいです。これは相当忍耐が必要で、歯ぎしりしすぎて歯が消えるのではと思ってしまうほど苦しいのです。
生活のある程度の目安となる時間が決まっている中、子どもたち1人ひとりを待っていると明日になりそうで目がくらみます。ですがどうか…どうかいつもよりほんの少しだけ待ってあげたら子どもたちを受け止められるのかなと考えます。


大人の凝り固まった固定概念に子どもたちをあわせるのではなく、子どものその一瞬一瞬に目を向け受容する…その心持ちこそが不適切保育撲滅への道になるのではないでしょうか。


盛り込み過ぎに主活動ではなく、その子を見守れる活動内容を。

きっと「はやくして」という言葉より、「かわいいね」という言葉がたくさん出るようになるかと思います。





わかったようなこと言ってますが


結局はペーペー保育者です。はい。

ただ、純粋に子どもが好きで、大事にしたくて、幸せになってほしくて…。
我々大人がもっと大事に大事にしてあげることができるのであれば、子どもたちの感性や価値観って真っ直ぐなものになるんじゃなかなって。

そりゃ正解なんてないですよ。

保育に正解なんてない。

でもだからこそ日々「これだ!」という自分で納得のいく答えを見出せたときやめらんねぇなこの仕事って感じることができるのです。


不適切保育を撲滅する考えは保育者の数だけあります。

だからどうか、皆様の中にある「正解」や「正しい道」は心に宿しておいて頂きたいものです。

そしてその考えを味方に、子どもたちと一緒に笑い合っていただき、貴重な時間を記録として残してほしいのです。


今日も明日も「先生だいすき」って登園してくれるその笑顔、皆様と一緒に守りたいなとおもいます。

最後に、私が大好きな保育所保育指針の文章を貼って見ようと思います。



迷ったらここへ


子どもが自発的・意欲的に関われるような環境を構成し、子どもの主体的な活動や子ども相 互の関わりを大切にすること。特に、乳幼児期にふさわしい体験が得られるように、生活や遊 びを通して総合的に保育すること。
(一部略)
保育所は、全体的な計画に基づき、具体的な保育が適切に展開されるよう、子どもの生活や 発達を見通した長期的な指導計画と、それに関連しながら、より具体的な子どもの日々の生活 に即した短期的な指導計画を作成しなければならない。

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000160000.pdf

素晴らしい!!!
まだまだ語りたい部分は山程あります。ですが今はここまで…。
私は保育に悩んだとき必ず保育所保育指針に帰ってくるようにしています。
ここには私の保育観がぎゅぎゅぎゅっと詰まっているからです。

「見られても良い保育」とはまさにここに記載されている保育のこと。私はとある企業さんから取材を受けたとき「歩く保育所保育指針になりたい」と言いました。

その夢まではまだまだ道のりは遠いですが、これからもっと頑張って理解を深め子どもたちの最善の利益を保証して参ります。




終わりに


いかがでしたでしょうか?今回は不適切保育について語りました。具体例を用いて持論をペラペラ語らせていただき、その具体例のような保育をしないようにするには…もお話しました。
業界に向けられる社会の目は今はとても厳しいものとなりました。ですがこれを読んでいる皆様はどうか向かい風に負けない強い先生方でありますように。そしてそんな厳しい世の中でも正義を掲げて強く生きられますように。

私はそう願っております。



はーーーーーぁ。
また投稿に時間がかかってしまいました。
次は私が思う新人教育についてお話をしていけたら…なんて思ったり。




それではまた。
明日もご安全に。


ひゅっけ

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