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スーパー戦隊シリーズとCO(中央集権型組織)・DAO(分散型自律組織)の関係性(実践編・10年代)

スーパー戦隊シリーズとCO(中央集権型組織)・DAO(分散型自律組織)の関係性、今回は10年代の戦隊シリーズ(『海賊戦隊ゴーカイジャー』〜『機界戦隊ゼンカイジャー』)を解説する。
「ゼンカイジャー」は20年代戦隊に括ろうかと思ったが、今の所20年代戦隊がまだ「ドンブラザーズ」しかないため、便宜上こちらに分類することにした。
また、「ルパパト」に関しても1つの作品内に2つの戦隊があるという形だが、全く別々のチームとして独立しているため分布図では別個のチームとして数える。
判断基準は以下の4つ。

  1. 「組織の公私」……組織の規律(=公)と個人の自由(=私)の割合。数値が高いと中央集権型、低いと自律分散型。

  2. 「トップの権限」……組織のトップ=司令官もしくはチームのリーダーが全体に及ぼす影響。数値が高いと中央集権型、低いと自律分散型。

  3. 「組織の完成度」……物語の始まりの段階で判断可能なチームとしての準備量。数値が高いとプロフェッショナル、低いとアマチュア。

  4. 「メンバーの関係性」=正規戦士と非正規戦士の割合とチームカラーへの影響。数値が高いとプロフェッショナル、低いとアマチュア。

各1〜10点ずつで算出し、「組織の公私」+「トップの権限」=横軸(X軸)の数、「組織の完成度」+「メンバーの関係性」=縦軸(Y軸)の数とする。
合計値次第でプロDAO(左上)アマDAO(左下)プロCO(右上)アマCO(右下)のいずれに属するのかが決まるが、例外的に軸の中間を取るという場合もあるだろう。
その時はプロハイブリッド(縦軸上+横軸真ん中)アマハイブリッド(縦軸下+横軸真ん中)混成DAO(縦軸真ん中+横軸左)混成CO(縦軸真ん中+横軸右)という分類だ。
スーパー戦隊シリーズでは正規戦士と非正規戦士が混じる混成部隊も多いが、余程のことがない限りここに分類されることはほとんどないと見て良い。

改めて誤解しないように再三強調しておくが、縦軸と横軸の合計私はあくまでも「分類」に使うのであって「作品の評価」として使うものでは決してない
いわゆる「公的動機」「私的動機」「自主性」「主体性」「絆」「使命感」「正義感」といった心の問題に関しては一律に客観的な数値の大小として扱うことにする。
中身が見えないあやふやなことよりも設定と描写という具体的な物をベースに計算した方がより正確にチームカラーを算出できるからだ。
それでは以下分布図全体の集計結果と全体の傾向、そして各戦隊への具体的な解説である。

<分布図の集計結果と傾向>


10年代戦隊の分布図

(集計結果)

  • プロDAO(左上)……3チーム(『海賊戦隊ゴーカイジャー』『快盗戦隊ルパンレンジャー』『騎士竜戦隊リュウソウジャー』)

  • アマDAO(左下)……5チーム(『烈車戦隊トッキュウジャー』『動物戦隊ジュウオウジャー』『宇宙戦隊キュウレンジャー』『魔進戦隊キラメイジャー』『機界戦隊ゼンカイジャー』)

  • プロCO(右上)……3チーム(『特命戦隊ゴーバスターズ』『手裏剣戦隊ニンニンジャー』『警察戦隊パトレンジャー』)

  • アマCO(右下)……1チーム(『獣電戦隊キョウリュウジャー』)

(傾向)

00年代までとはうって変わって、今度は12チーム中8チームもDAOとなっているわけだが、これは当時の時代性とも少なからず重なっているところがあるのではないだろうか。
スーパー戦隊シリーズの歴史を1つの世界にまとめて集約させた「ゴーカイジャー」がある意味2010年代の戦隊がどうなるかという指針を示していたようにも思える。
2011年、忘れもしない3.11(東日本大震災)とそれに伴い生じた原発問題に伴う一連の事件は人々が薄々勘付いていながら目を背けていた日本社会の闇を逃れようがない形で露呈させた。
震災に伴う復旧支援の遅さに何の意味もなかったと散々叩かれた東電の停電対応、更には日本でも遂に起こってしまった福島第一原発の諸問題は昭和時代に指摘されていた最悪の事態である。

この歴史的な災害と事故が同時に起こった時、もう国や公共機関が個人を支えるほどの力がなく、自分の道は自分で切り開くしかないと思った人がどれだけ多かったことだろう。
当時はやたらに「絆」という言葉がまるでファシズムのようにして囁かれていたが、これは裏を返せば今の日本はもう他人を信頼・信用できないほどの閉塞感に満ちていた証でもある。
昔は口に出さずとも自然にできていたチームワークや絆がもはや何の効力もなくなってしまい、国や企業よりも個人が力を持つような時代がやって来たのがこの10年間だった。
それを証明するかのようにTwitter・Facebook・YouTube・InstagramなどのSNSを起点としたインフルエンサーと呼ばれる影響力のある個人が注目を浴びることになる。

当然ながらスーパー戦隊シリーズにもその影響は大なり小なりあって、「ゴーカイジャー」の翌年には震災と原発を意識しCOの負の側面を強調した「ゴーバスターズ」が制作された。
次の「キョウリュウジャー」は昭和戦隊を彷彿させるアマCOであるが、ファンの間の評価は二極化しており、必ずしもチームカラーとして理想的であるとは言えない。
そして大きな転換点は改めて「子供ヒーロー」という特徴とともにアマDAOがどういうものであるかという特徴を余すところなく描いた「トッキュウジャー」ではないだろうか。
この作品が良くも悪くも2010年代のスーパー戦隊シリーズに与えた影響は少なくはなく、一部の例外を除けば以後の戦隊はほとんどがDAOのスタイルを取っている。

2010年代戦隊の特徴をこれ以上ないまでに描いたのは「ルパパト」であり、個人事業主の集まり=プロDAOのルパンレンジャー国家権力の象徴=プロCOのパトレンジャーという対比は大きい。
スーパー戦隊シリーズが「ゴレンジャー」の頃からずっと試行錯誤で繰り返して来た個人主義(ミーイズム)と国家主義(ナショナリズム)の二項対立をここで直接対決させて来た。
このことがスーパー戦隊ファンの中で改めてどういうヒーロー像を構築し続けて来たのかを集約させたとも言え、ある種の集大成として描いていたと言えるかもしれない。
そこからは2021年の「ゼンカイジャー」に至るまでずっとDAOが中心となって来ており、もはやCO自体がDAOに取って代わられていると言っても過言ではないだろう。

この10年で大きく感じ取れることは昔はCOが本流でDAOが傍流であるとされていた、つまりチームの力や理念が先にあってそこに適合した個人が選ばれていく手法だった。
それがこの10年で逆転し、まずは個人の適性を基に戦士が選ばれ、それが偶然に5人ないし6人で固まった時に初めてチームの力や理念が出来上がったと言える。
つまり個人と組織、理念と現実と言ったものは完全に対等になり、自らの意思で戦士であることを選んで行くヒーローが圧倒的に増えた年代である。

<各戦隊の具体的な解説>

『海賊戦隊ゴーカイジャー』


  • 合計値=14(プロDAO)

  • 横軸:「組織の公私」1+「トップの権限」1=2(DAO)

  • 縦軸:「組織の完成度」8+「メンバーの関係性」4=12(プロフェッショナル)

第一話を見ればわかるように5人の宇宙海賊はそれぞれが個人事業主であり、地球にやって来たのも宇宙最大のお宝を探しに来ただけだから、要するに宇宙海賊バルバン(「ギンガマン」の敵組織)と大差はない
どこで差がついたのかというと彼らがレンジャーキーという形で歴代戦隊の力を有していることであり、宇宙最大のお宝を探す上では歴代戦隊との関わりはどうしても避けられないことだった。
レンジャーキーは確かにどの戦隊のどんな戦士にも変身できるという夢のアイテムだが、どうすればその力を100%引き出せるのかは彼ら自身で考えて行動し、試練を乗り越えなければならない
途中からは地球人代表にして歴代戦隊とゴーカイジャーの架け橋となってくれるゴーカイシルバーこと伊狩鎧が出て来たことで、よりその力をどう取り込むかということが大きな鍵となる。
宇宙最大のお宝の正体を知った時、果たしてお宝という欲に目が眩むのか、それとも歴代戦隊との繋がりを大事にするのか、それを彼ら自身の意思で選んだのが終盤のあの展開だった。

『特命戦隊ゴーバスターズ』


  • 合計値=30(プロCO)

  • 横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」4=14(CO)

  • 縦軸:「組織の完成度」9+「メンバーの関係性」7=16(プロフェッショナル)

個人事業主の集まりだった前作とは対照的に、本作はまたもやプロCOへと逆戻りしたわけであるが、特徴的なのは全く上層部というか上司の連中が当てにならないということだ。
その証拠にヨーコはヒロムだけが贔屓されていることに反発していたし、実際にあの措置には何の意味もなかったわけだが、それでも彼らは組織の駒であることからは逃れられない
そんな彼らは終始エンターという名の個人事業主に翻弄されてしまっており、何度も壊滅の危機に陥っているのだが、この後手に回る体たらくぶりは震災当時の東電と重なるところがある。
しかもレッドバスターのデータを全て抜かれてダークバスターとしてハッキングされていたのだから、個人が完全に組織を翻弄してしまっているというのも皮肉といえば皮肉だろう。
最終回、陣の自己犠牲もあって辛くもエンターに勝利したゴーバスターズであったが、それでも失われた命が戻ってこないという事実がCOの限界をも露呈しているようだ。

『獣電戦隊キョウリュウジャー』


  • 合計値=21(アマCO)

  • 横軸:「組織の公私」9+「トップの権限」10=19(DAO)

  • 縦軸:「組織の完成度」1+「メンバーの関係性」1=2(アマチュア)

恐竜たちとの試練に打ち勝った史上最強のブレイブというとプロフェッショナルっぽいが、普段の彼らは戦士っぽさなど欠片も感じられない市井の若者たちである。
それでもキョウリュウジャーとして戦うことができたのはひとえにキングこと桐生ダイゴのリーダーシップにあるからだが、そんな彼は時々非情な選択さえして見せた。
特にノッさんボールがそうであるように、敵を倒すためならば仲間を酷い目に合わせてもいいというレッドも前代未聞だが、敵であるデーボス軍に勝つためには仕方ないのである。
そんな彼が口にする「俺たちは「戦隊」だ」という言葉は一見仲間思いのようでいて、彼らを所詮は戦いのコマとしてしか見ていないのではないだろうか。
だからこそ、最終回では仲間たちを差し置いてキング1人で決着をつける結末となったわけだが、それが果たして正解だったのかどうかの判断基準を彼らは持ちようがなかった。

『烈車戦隊トッキュウジャー』


  • 合計値=7(アマDAO)

  • 横軸:「組織の公私」2+「トップの権限」3=5(DAO)

  • 縦軸:「組織の完成度」1+「メンバーの関係性」1=2(アマチュア)

歴代初の子供戦隊ということが大きな話題となったが、本質はそこではなく彼ら自身が心の中に持っている「トッキュウチェンジ」と「イマジネーション」にある。
12駅でトカッチが言っているようにイメージしたことをアウトプット(実行)して初めて「イマジネーション」であり「お祈り」ではないし、トッキュウチェンジも同様だ。
そこにはもはや大人か子供かという違いはないわけだが、彼らは大人の体を借りていると言っても所詮子供であり、シャドーラインから受ける闇の影響はあまりにも強大である。
だからこそ彼らが子供に戻れなくなるというリスクを承知の上で総裁はトッキュウジャー2を作ろうとしたわけだが、それを蹴って彼らは自分の意思でトッキュウジャーを続けた。
それが32駅以降の展開でどうなるかを描いたわけであり、だからこそ終盤でのライトの闇落ちとそこからの大逆転に大きなカタルシスを生み、ようやくアマDAOの本質がここに描けたといえるだろう。

『手裏剣戦隊ニンニンジャー』


  • 合計値=26(プロCO)

  • 横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」4=14(CO)

  • 縦軸:「組織の完成度」6+「メンバーの関係性」6=12(プロフェッショナル)

1年間レッドのお屋敷に居候しながら戦うという図式は「シンケンジャー」のそれをなぞったものであるが、天晴たちは丈瑠たちほどガチガチの主従関係というわけではない
普段は気さくでフレンドリーな仲間であり友達だが、忍者としては色々と未熟な面も目立ち、だからこそ彼らに必要なのは指導者だったといえるのではないだろうか。
その指導者である好天は終盤で裏切り者の久右衛門に殺されてしまうわけだが、それでもホログラムでビデオメッセージを孫たちに残しており、行く先まで全部予想していた
最終回で久右衛門に対して天晴が情けをかけて説得した展開も傍目に見ると何が起きているのかわからないだろうが、好天のいうことに従った結果だと思えば辻褄は合う。
要するに6人の若き忍者たちは自分たちの意思で決断し道を切り拓いたようでいて、その実何も変えられていないという皮肉があの最終回の意味するところで、COのデメリットそのものでもある。

『動物戦隊ジュウオウジャー』


  • 合計値=11(アマDAO)

  • 横軸:「組織の公私」3+「トップの権限」3=6(DAO)

  • 縦軸:「組織の完成度」2+「メンバーの関係性」3=5(アマチュア)

王者の資格というものを元に構成されたジュウマン4人と現代人の若者1人が戦うという意味では「ギンガマン」「タイムレンジャー」に近いが、彼らとデスガリアンに直接の関わりはない
それどころか、彼らは11話の時点でさえジュウランドに帰ることを考えていたわけだから、これはもはやアマDAOと言っていいのではないだろうか。
そんな彼らのまとめ役である大和先生も一見善人のようでいて、その実鬼畜な面も見受けられるし、終盤に至っては突然に父親との確執が浮上してきた。
地球とジュウランドの運命をかけた大決戦だというのに何をしているのかと思う向きもあろうが、逆に言えばそれはデスガリアンとの戦いがそこまで厳しいものではなかったということだ。
その証拠にラスボスとして立ちはだかるジニスの正体は拍子抜けするものであったわけだが、それを倒して人間世界とジュウランドが一体化したあの結末を素直に喜んでいいかどうかは別問題である。

『宇宙戦隊キュウレンジャー』


  • 合計値=9(アマDAO)

  • 横軸:「組織の公私」2+「トップの権限」3=5(DAO)

  • 縦軸:「組織の完成度」2+「メンバーの関係性」2=4(アマチュア)

歴代戦隊で植民地支配を受けている銀河規模の物語というと「チェンジマン」を彷彿させるが、その中でも奪われた地球の自由を取り戻す反乱軍というピカレスクロマンな設定は本作が初めてだろうか。
反乱軍リベリオンは宇宙幕府ジャークマターに対抗するために作られた組織であるが、その割りには意思疎通もかなりバラバラだし、普段から協調性というものがさほど見られない
だからこそラッキーのポジティブさが劇中で無条件に肯定され、彼らは戦いを切り抜けていくわけだが、なぜかそんなラッキーがまるで教祖のように神格化されているのは不気味である。
しかし、ジャークマターの首領の正体を知った時、その対極にいると思しきラッキーの底知れぬポジティブさがなければ突破口を切り開くことができなかったのだ。
組織のトップではなく個人事業主が今度は持ち上げられていくというのも何とも変な話ではあるが、そうでもしないといけないほど人々の心が閉塞感に満ちていたことの表れであろう。

『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』


  • 快盗戦隊ルパンレンジャー

  • 合計値=18(プロDAO)

  • 横軸:「組織の公私」1+「トップの権限」10=2(CO)

  • 縦軸:「組織の完成度」10+「メンバーの関係性」6=16(プロフェッショナル)

  • 警察戦隊パトレンジャー

  • 合計値=35(プロCO)

  • 横軸:「組織の公私」10+「トップの権限」10=20(CO)

  • 縦軸:「組織の完成度」8+「メンバーの関係性」7=15(プロ)

便宜上2チームに分けてみたが、物の見事に個人事業主の集まりであるルパンレンジャーと国家主義の象徴であるパトレンジャーとに別れて対決する構造となった。
しかし決して表層的なチームというわけではなく、ルパンレンジャーにも正義のための社会貢献はそれなりにやっているし、またパトレンジャーの面々も単なる杓子定規の連中ではない
そしてそんな彼らの間を行き来しながら場合によってスタンスが変わりやすいのがノエルの存在であり、彼が両者の存在を色濃く際立たせてくれたといえるだろう。
物語の中で彼らがどうなったのかは終盤の展開を見ればわかるように、ドグラニオとの決着をつけた段階で物語としてのクライマックスはつけたのである。
この時、双方の戦隊は共同戦線を張ったが、それもあくまで利害が一致したからであって、基本的に警察とアウトローという相容れない存在であるという一線は守られていた。

『騎士竜戦隊リュウソウジャー』


  • 合計値=17(プロDAO)

  • 横軸:「組織の公私」3+「トップの権限」2=5(DAO)

  • 縦軸:「組織の完成度」8+「メンバーの関係性」4=12(プロフェッショナル)

民族衣装に伝説の剣を受け継いだ戦闘民族、そして彼らの師が殺されるという立ち上がりは「ギンガマン」とほぼ同じであり、ういの家に居候するという展開も同じだ。
ところが、ギンガの森の民とは違い彼らはドルイドンへの戦いや自分たちの力がどのようなものであるかという使い方を知らないということも少なからず見受けられる。
彼らの価値観の違いは中々噛み合わないのだが、実はそれ自体が終盤で明かされる展開への伏線になっており、彼らは自分たちが実は悪の戦闘民族であることを知らされた。
それがよく言われる本作の善悪の相対化ならぬ善悪の逆転の中身だったのだが、彼らの出した答えはコウの意思を継ぎながらも各自の決断で立ち上がり戦うことにある。
最終決戦にレッドが参加することなく決着をつけるというのも前代未聞ではあるが、結果的にアマCOの「キョウリュウジャー」の逆を行く形となった。

『魔進戦隊キラメイジャー』


  • 合計値=6(アマDAO)

  • 横軸:「組織の公私」1+「トップの権限」2=3(CO)

  • 縦軸:「組織の完成度」2+「メンバーの関係性」1=3(アマチュア)

想像力をモチーフにしながら夢見るキラキラで戦う様、そして私設組織であることから「トッキュウジャー」の発展型と言えるのではないだろうか。
ただしトッキュウジャーが「大人の肉体を一時的に借りている子供」であったのに対して、本作は「体は本物の大人だが心は子供」という似て非なる構造となっている。
それを象徴するかのように序盤では部活の大会を理由にヒーローとしての活動を拒否する者まで現れ、まるで学生サークルの延長戦で戦っているかのようだ。
しかもそれが終盤までほぼ崩れずに保たれているということは、キラメイジャーたちにとってヨドン軍との戦いが大して厳しくないゲームのようであるとも言える。
逆に言えば、子供のような感覚を残したものこそがいまの時代はヒーローに相応しいという10年代のパラダイムシフトが本作で結実したのではないだろうか。

『機界戦隊ゼンカイジャー』


  • 合計値=16(アマDAO)

  • 横軸:「組織の公私」4+「トップの権限」4=8(DAO)

  • 縦軸:「組織の完成度」4+「メンバーの関係性」4=8(アマチュア)

人間と機械が共存している世界という設定はポスト「ジュウオウジャー」のようではあるが、そんな世界にも不平不満を持つものたちは少なからずいる。
これは要するに種族の生き残りを賭けた生存競争なのだが、そんな厳しい雰囲気がまるでないのは介人の柔らかいキャラクターによるものではないだろうか。
そして何より介人の両親が他の4人やゴールドツイカーにとって非常に大きな存在であり、それは従来の家族の絆とはまた異なるものである。
しかし、それですらも実は神様の仕組んだものであり、その神様とは介人の意識の中にあるものが生み出していたというのが最終回の意図するところだ。
世界の運命がじゃんけんで決められるというのは一見ふざけているようだが、同時に個人の意識が現実を作り変えていくというDAOのあり方をこれ以上なく示したものだ。

今回までで一通り終わりとなるが、今回の分析によって見えてきた結果についてはまた述べていくこととしよう。

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