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入江奏多が流した涙の意味を徹底解説!「自分に向き合わなかった」天才の末路と跡部様の今後は?

今日は「コトダマ勇者」の最後の記事を書こうと思ったのですが、それよりも「新テニスの王子様」があまりにもえげつなさ過ぎて、流石にこんな展開は予想してませんでした。
まさか「新テニ」で「涙」が、それも入江奏多という「泣き」が一番似合わないキャラクターで見られるとは思いませんでした、あれはずるいよ許斐先生。
何なんでしょう、以前に書いた越前VS不二は道中や結果に思うところはあっても全体的には見ていてスカッとする爽やかな中学生のテニスだなあと思うのです。
才能はえげつないのですが、「青春学園」という名前の通り本当に後腐れなく爽やかに終わり、今後に希望が持てる前向きな終わり方をしました。

しかし、その裏で残酷な現実があったことも描かれていて、きちんと自分に対して、そしてテニスに対して誠実に向き合えなかった者の末路はこうなのかと思ってしまったのです。
入江に関しては正直私は第一印象からして気に食わなかったのですが、その理由として「結局自分に嘘をついて逃げているから」というところに尽きます。
まるでかつての私自身を見ているようでもあり、また同時に自分と向き合うことって様々な痛みや苦しみが伴う反面、向き合わないともっと苦しむことになるのだと思い知ったのです。
人生は楽しいことや面白いことより辛いことや苦しいことが半分以上あると聞きますが、「テニプリ」は旧作も新作もその部分をきちんとブレさせずに描いています。

今回GENIUS10として選ばれた10人のメンバーたちはいずれもがテニスに対して、そして自分に対して真摯に向き合い諦めずに続けて来た者たちなのだなと思うのです。
単純に「天才」だから選ばれたわけではなく、天才であることやそういう「運命」の元に生まれついた者であることを前提とした上でその道を諦めずに歯を食いしばって勝ち取った10人なのでしょう。
許斐剛先生ってトンデモテニス(テニヌ)を漫画の演出というか誇張として見せる一方で勝ち負けやスポーツ哲学・テニス哲学に対してはすごくシビアな方なのだなと再確認しました。
単純に才能がある奴がブイブイ言わせてマウント取って勝つのではなく、才能があることを前提とした上でどれだけ諦めずに前を向いてテニスができるかという本質をきちんと描いています。

入江奏多は色々言われていますが、本当に「不二周助のIF」であり、しかし不二と異なるのは「傷つく覚悟」や「テニスが好きだからテニスをする」という前向きな未来を意思していないこと。
不二については以前考察しましたが、あくまでも「手塚がいたから」テニスを続けて来たわけであり、一見利己的な動機に基づいているようで実際の行動はとても利他的なものでした。
しかしそれは勝ちに執着しなくても元々持っているテニスの才能で何とかなってしまうからであり、また自分の本質と向き合うのを怖がっていたが故の哀しみであったのです。
そんな不二も関東大会で大きな精神の変容を迫られ、関東大会決勝で勝ちへの執着のヒントをもらい、そして全国大会準決勝の白石戦で初めて「勝ちへの執着」と「敗北の痛み」を知りました。

不二が初めて負けることを悔しいと思ったのは白石戦が初めてであり、だからこその「同じ相手に2度負けない」であり、それは同時に「過去の自分に打ち勝つ」ことでもあるのです。
だからこそ全国大会決勝では自分の弱点となっていた手塚と白石という完璧超人の壁を超え、そして天衣無縫の極みに目覚めた手塚と戦ってテニスを辞めようともしました。
しかし手塚はそれすら許さず「道標は自分で作れ」と言い残して去っていき、不二は本当の意味で「手塚のため」ではなく「自分のため」にテニスをすることを求められます。
それが「3つの誓い」と「守るだけのテニスはやめたんだ」に繋がるわけですし、天衣無縫の極みに目覚めた最強主人公の越前と戦うというステージに至ったのかなと思うのです。

一方で入江は何のためにテニスをしているのかが不明であり、相手を食ったような「なーんちゃって」も含めて最後の最後まで何のためにテニスをしているのかわからないキャラでした。
許斐先生が23.5巻で「入江に関しては全部嘘です」と書かれていましたが、おそらくこれは「自分自身にも嘘をついている」ことであり、これって人生で最もやってはいけないことです。
他者に対して優しい嘘をつくだけならわかりますが、自分の本音にすら嘘をついてごまかして本気で向き合うことをせず「後輩の育成」なんてものにかまけて自己研鑽を彼は怠って来ました。
でもここで不二と同じように「勝ちへの執着」なんてものに目覚められるわけがなく、今まで騙し騙し演技でテニスをやっていたのをここで落とすための伏線にしてくるとは流石です。

越前VS不二と跡部VS入江は表裏一体というか、前者が「未来」へ向かうための前向きな関係の精算だとするなら、後者はある意味「過去」と向き合う後ろ向きな関係の終了なのでしょう。
跡部様ってそういえば「全国ナンバーワンを取る」なんて大言壮語をしながら、結局何度も負けてしまって、そのうち2度も青学に負けているわけですがそれでも「王様」「皇帝」を名乗っています。
つまり自分の実力でまともに勝てた試しってあんまりなく、彼の試合は手塚戦も越前戦も全てにおいて「才能の壁」に苦しみながら戦い抜くという展開です。
だから入江もそういう意味で跡部様に取っては苦手な相手なのですが、同時にこれは跡部様自身の課題でもあるのかもしれません、跡部様も本当の意味で「自分のため」にテニスをしたことがないから。

あれだけ俺様でオラついてる跡部様ですが、彼の場合は越前や手塚、不二とは違って「自分のため」ではなく「ノブレスオブリージュ」という家系の宿命としてテニスをやっている状態です。
要するに自分本位でテニスをしているとはいえず、氷帝のため、中学生のため、そして今回は日本代表のためというように「背負うもの」があるからテニスをしています
そしてそれが跡部様の自尊心の高さに繋がる反面成長を妨げる「呪い」にもなっており、手塚や越前のようにもう一歩大きく跳ねられないメンタルブロックになっているのです。
そこがおそらく跡部様と入江の一見正反対で本質的には似通った者同士の関係性であり、跡部様が今回勝ち残って決勝行きに選ばれたのは跡部様が克服すべき課題のためでしょう。

今回の跡部様がスコアでは負けていたのに決勝に進めることになったのは序盤で切原が柳に惨敗したのに勝ち組に残った展開の意図的な重ねでしょうが、切原と跡部様では意味合いが違います。
切原はまず精神面の課題の克服と自己肯定感を高めることにあったわけであり、だから柳は四天宝寺の白石に託したわけですが、跡部様の場合は「家系の宿命」からの解放なのかなと思うのです。
そして入江様は「テニスと真剣に向き合わず自分に嘘をついた報い」を罰として受けることになり、だからこそのラストで流したあの痛々しい涙となりました。
不二のダークサイドにして、ある意味では跡部様の鏡面でもあった入江の物語がここで1つ終わりましたが、個人的には入江様よりも跡部様がどう成長するかを見ていきたい所存です。

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