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スーパー戦隊シリーズパイロットの分析・批評実践(1)『電撃戦隊チェンジマン』1・2話編〜「チェンジマン」とは「人間」から「ヒーロー」に変化した者たちである〜

昨日の記事で私のスーパー戦隊シリーズの三大傑作たる所以を批評以前のスタンスとして言語化したわけだが、ここからの有料記事は一気にブーストをかけていく
勘のいい皆様ならお気付きだろうが、ここまで語ってきたことは「序章」に過ぎず、あくまでも基礎の礎のみをエッセンスとして抽出・文法化し噛み砕いて説明してきた。
語尾も敬体を用いて幾分柔らかく説明してきたが、ここからは思考の抽象度とレイヤーを上げ、常体を用いて批評を実践的に見せていこう。
その第一弾が戦隊シリーズの三大傑作の原点たる『電撃戦隊チェンジマン』のパイロットが果たしてどのようなものであるかを実践的に分析・批評していく。

これまでの記事で「映像作品はファーストインパクトが最も大切」と書いたが、「チェンジマン」の1・2話は格好の材料である。
もはやスーパー戦隊シリーズにとっての「普遍文法」にまで戦隊シリーズの格を大きく上げた本作のパイロットはどのようなものか?


「チェンジマン」とは「人間」から「ヒーロー」への「変化」を克明に描き出した作品

パイロットを分析する前に、そもそも「チェンジマン」とはどういう戦隊かというと、諸説あろうが私に言わせれば「人間」から「ヒーロー」への「変化」を克明に描いた作品である。
これ自体は決して本作に特有なのではなく『ウルトラマン』『仮面ライダー』をはじめとする昭和ヒーロー自体がそもそも「人間」を捨て去った「境界線の向こう」の存在だった。
実際『秘密戦隊ゴレンジャー』から『超電子バイオマン』までの戦隊シリーズ、何なら本作以後も『地球戦隊ファイブマン』まではヒーローたちである。
当時の視聴者であれば誰しもが暗黙の了解として言葉にせずともわかりきっていたセオリーを物語と映像の双方から解像度高く具現化したのが「チェンジマン」なのだ

少なくとも『鳥人戦隊ジェットマン』という転換点で大々的に引っくり返されるまで「ヒーロー」とは「人間」としての俗っぽさのない存在と定義されていた。
10年にわたって無理なくシリーズ作品を積み重ね、試行錯誤を繰り返してきた結果として「80年代ヒーロー」のエッセンスが余すところなく凝縮されている。
そんな「戦隊」という括りを超えた「ヒーロのTHE」が画面に示されているからこそ、本作は今日に至るまで「昭和戦隊最高傑作」と言われ続けてきた。
しかし、本作がなぜそうであるかを抽象度と解像度高く分析・批評した例はまだ少なく、本稿はそこをより明快に指摘してみようという試みである。

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