スーパー戦隊シリーズの実践的レビュー・批評の書き方その1〜そもそもなぜスーパー戦隊シリーズだったのか?〜
今回からいよいよジャンル別の実践的レビュー・批評のノウハウについて解説していきますが、その第一弾はやはり私ヒュウガ・クロサキのマエストロであるスーパー戦隊シリーズです。
ありがたいことに、私は小さい頃から「スーパー戦隊バカ」と呼ばれるくらいのめり込んでいましたし、それをレビュー・批評として形にするようになってからは一部で「専門家」「博士」と言われる程になりました。
誠に僭越ながら、今や「ヒュウガ・クロサキといえば」で真っ先に浮かぶ読者のイメージは何と言ってもスーパー戦隊シリーズではないかというくらいに私の血液の中にスーパー戦隊シリーズは流れています。
以前にこちらの記事で自己紹介代わりにスーパー戦隊シリーズと私の関係性について書きましたが、今回はより深く踏み込んで「なぜスーパー戦隊シリーズのレビュー・批評を書こうと思ったのか?」を深掘りします。
いわゆるマーケティング・戦略といった大人の話なので、これからスーパー戦隊で感想なりレビューなりを書いてみたい人はあくまで1つの意見として参考にしていただければ幸いです。
その中でも特に「スーパー戦隊シリーズならば書けると思った理由」「スーパー戦隊の批評を書き始めるのに相応しいタイミング」「スーパー戦隊の批評を書き始めてからの大きな変化」の3本立てです。
実践的な批評といえど、まず大前提を押さえることが何よりも大切ですから、改めて読者の皆様にその詳細をお伝えしていきます。
スーパー戦隊シリーズならば書けると思った理由
まずは改めて、なぜ私がスーパー戦隊シリーズならば自信を持って書くことができるのかについて、経験則・自己分析・マーケティングという3つの観点から解説します。
これは本邦初公開であり、今までだと単なる「原体験」の部分しか明かしていませんでしたが、それだけでスーパー戦隊シリーズのレビュー・批評を書いているわけではありません。
私の中で「これはいける」という戦略はもちろんあるので、そこについてまずはお伝えしましょう。
自分にとって明確な基準となる作品と出会えた
まず一番大きなきっかけとしてあるのは、やはり自分にとって「これこそが戦隊だ!」といえる明確な出発点・基準となる作品と出会えたことが一番の理由です。
私にとってはそれが『鳥人戦隊ジェットマン』と『星獣戦隊ギンガマン』であり、90年代のスーパー戦隊を原体験として生きた私の中で間違いなく今でも私の感性を揺さぶる作品として存在しています。
これは決して懐古主義でも何でもなく、それだけ子供の時期に出会ったものの中でも今の自分を形成している最も大切な宝物であることを主観的にも客観的にも説明できるのです。
そういう確信めいたものが間違いなく私の中には存在していたわけであり、この感覚は何歳になったとて決してなくなることはありませんから、「卒業」をしたことはありません。
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