『ONE PIECE』のルフィとウソップの決闘、あなたはどちらの視点で見る?〜経営者側のレイヤーか、それとも雇われ社員のレイヤーか〜
現在、弟が『ONE PIECE』を1から見直しているので私も見直しているのだが、ウォーターセブン編のルフィVSウソップの決闘は改めて麦わらの一味が「組織」であることの意味を問われた大事な場面だなと改めて。
リアルタイムで原作を読んだ時は感情的に非常に辛かったしこれをなぜ尾田先生が入れたのかが理解できなかったのだが、改めて自分の視点や視座が高くなった状態で見直すと名シーンであると同時に、組織とは?経営とは?という重要なエッセンスが詰まっている。
ルフィたちはそれまでずっと相棒として乗りこなしてきたゴーイングメリー号を捨てて新しい船に乗り換えなければならないという非情で残酷な選択を迫られ、ウソップ以外の仲間はルフィをはじめ全員がゴーインメリーを捨てる選択をした。
しかし、ウソップだけは幼馴染のカヤとの約束やメリー号への思い入れが尋常ではなく、感情が邪魔をしてしまい正常な判断力を失って、立場の違いからルフィと決闘するという流れに至るのだが、結果は当然ルフィの勝ちである。
このシーンを読むと、改めてスーパー戦隊シリーズでも90年代(『鳥人戦隊ジェットマン』〜『未来戦隊タイムレンジャー』)で問われていた「チームであることの意義」「組織経営とは何か?」が実は問われているのだ。
ウソップのように「俺は一味を抜ける!戦わない!」という戦士は存在する、「デンジマン」の桃井あきら、「バイオマン」の小泉ミカ、「ジェットマン」の結城凱などがそうだし、『デジモンアドベンチャー』でも石田ヤマト・太刀川ミミ・城戸丈辺りがそうである。
当然作劇としてだから、なんだかんだそんな場合であっても離脱したメンバーは戻ってきて絆が強まり「一緒に戦おう!」となるわけだが、じゃあその離脱したメンバーがそれから一度も戻らなかった場合はどうするか?(死亡などの特殊なケースは除く)
ぶん殴ってでも強制的に止めるのか、それとも説得するのか、自主的に戻るのを待つのか……現実にはこういう時にトップが威厳を失った結果、組織もろとも瓦解して暗礁に乗り上げてしまうというオチがほとんどだ。
実際、学生運動やオウム真理教がそれだった。
学生運動は最終的に全く反りが合わないはずの2つの組織を無理やり連合赤軍としてM&Aした結果何が起こったかというと、トップ2人が組織の方針を見失いメンバーの離脱を許さず、最終的に内ゲバとして崩壊していった。
オウム真理教も同様に、あれだけ崇高な目的を掲げていながら、最終的に長野と東京で毒ガスをばら撒くという前代未聞のテロ事件を起こし、トップが威厳を失って幹部連中に損切りされた挙句逮捕→死刑という末路を辿っている。
麦わらの一味は決して海軍のような徹底した規律重視のチームではない、だからといって革命軍のような「個人の連帯」でもないし王下七武海のような「高度な個人事業主」というわけでもあるまい。
要するに「組織の規律」と「個人の自由」は決して両立しない要素であり、ましてや組織経営を行いトップに立つ者は決して「自分らしさ」「自分軸」なるものは持ってはならないのである。
だから、このエピソードはそうした「組織が孕みうる欠点・致命傷」を尾田先生は綿密に分析した上で、意図的にルフィたちが露悪的に映りウソップが正しいかのように見える演出をしているのだ。
改めて皆さんに質問です。
ルフィとウソップ、どっちが正しいでしょうか?また、その理由は?
これは別に「物語としてどうか?」ではなく「どちらの方がより正しい選択か?」を問う者だが、ここでおそらく大抵の人はウソップ側を支持するはずである。
そしてウソップ側を選択してしまった人には残念ながらこれから3年の厳しい世界を生き抜くセンスはない、誠に残念な話ではあるが。
それこそ「デンジマン」でアイシーとデンジマンの考え方の差と継承の失敗について触れたが、実はルフィとウソップの決闘は本質的に「デンジマン」最終回と同じ問題を露呈させている。
答えから言えば、どう考えてもルフィの方がトップとして正しい決断をしているわけであり、ウソップは結局のところ感情論で目の前の現実を受け入れられないだけだ。
ルフィ自身も言っていることだが、ゴーイングメリー号を捨てるとなった時に辛いのは決してウソップだけではなく、ゾロもサンジもみんな断腸の思いでその決断を受け入れているはずである。
しかし、感情が邪魔をしたウソップはそれを知っていながらも納得ができないから、それが今まで積もりに積もったルフィたちの化け物じみた強さへのコンプレックスとが綯交ぜとなって爆発した。
何が言いたいのかというと、結局のところ成功の足を引っ張る1番の要素は「感情」であり、これをいかに上手にコントロールして目的達成に貪欲になれるかが大事ということだ。
ここ最近、まるで説教かの如く述べてきたことは全てここに収束するわけであり、たとえば転職にしろ起業にしろ、それがいわゆる「後ろ向きの感情」に起因する場合は例外なく失敗する。
転職の面接でなぜ前職の悪口をいうと失敗すると失敗するのかというのも全てはここにあり、まともな経営者であれば自分の感情や気分で態度を変える奴なんて一番厄介なのだ。
私は転職する際は決して後ろ向きなものではなく、その職場で学べるものを全て学び、そこでの学びが終了したと感じたら「次に何が必要か?」を考えて動いているから、今まで一度も転職に失敗したことはない。
転職にしろ起業にしろ、それをなぜ行うのか?を問い、その時に出た答えによって、その人が普段どんな姿勢で仕事をし、辞めて転職した後もどうなるかが容易にわかってしまう。
実はほとんどの人は「仕事自体が嫌だから」「人間関係がしんどいから」「給料が上がらない」「体が疲れてしんどい」という理由で転職しようとする。
こういう感情が潜在意識にある限り、たとえ起業であろうが転職であろうがうまくいくことはまずない、そしてそれはウソップとて例外ではないのだ。
ウソップは典型的な「目の前の現実を飲み込めない=嫌だから辞めたい」だから結果としては自分が悪かったことを最終的に思い知らされる形となった。
しかし、世のほとんどの人間はそのウソップにすらなれず、目の前の理不尽から逃げ続けて、気がつけば底辺を這いつくばるだけの人生で悲惨な老後を迎える。
だから、私は好き嫌いといった「感情」で仕事を選択するのではなく、「得意不得意」「向き不向き」といった適正ないし「必要不要」といった目的・目標を中心に考えるのだ。
目的や目標達成のためには「好きなこと」「やりたいこと」ではなく「必要なこと」「すべきこと」を中心に選択しなければならないし、そういう人にしか大きなチャンスは来ないのだ。
社会は厳しい、舐めてたらすぐに足元を掬われ淘汰されるから、力がない人には選択の権利すら与えられず権利者と対等の土俵に立つことすらできないのが現実である。
もちろん、ここでいう「力」とはいろんな要素があるわけだが、少なくとも経営者のレイヤーで見る雇われ社員のレイヤーで見るかによって、全く違ったものとして映るということだ。
何度もいうが、今後AIが発達して単純労働作業は取って代わられるが、その時真っ先に淘汰の対象となるのは嫌なことや辛いことから逃げ続けている人間である。
昨日の記事のコメントでも書いたが、全てにおいて嫌なことから逃げるなと言っているのではなく、本当に向かないことや適性のないことはやらなくていい。
そりゃあそうだろう、魔法使いがいくら体術や剣術を訓練したって無意味なのと同様に、十人十色適材適所というものがあるのだから、自分に何が向くのかの見極めは大前提だ。
その上で、本当に自分が目的・目標を達成するために必要な「避けては通れない嫌なこと」から逃げるなということを、私は言い続けている。
だが、SNSでもオフラインの現実世界でも世の94%の、特に底辺の20%はああだこうだと自分の感情で御託を並べて逃げようとするのが残酷な現実だ。
組織経営は決して遊びでも金儲けでもない、だから目的・目標を達成しようとせず、数字にこだわってできない感情重視の人は雇うだけ無駄なコストがかかるだけである。
いい加減気付け、「働きたくない」「お金がない」「時間がない」「チャンスがない」「あの人が悪い」「親が悪い」「先生が悪い」という「無い」「悪い」が口癖の他責思考では何も変わらないことを。
「自分にとってはきつい」なんて不平不満を並べ立てるバカは老若男女を問わず多数いるのだが、それは自分だけの極めて卑近で狭い視野で考え判断しているからそうなるのである。
成功したいんだったら自分基準ではなく目的・目標基準に自分を合わせていかなければいつまでも成長はしないし成功もしないし、それどころか落ちていくのみだ。
東大行きたいって口では言うが、やってることや意識がFランや地方国公立で勉強方法が変わらなかったら、そりゃあ東大合格など夢のまた夢である。
仕事でも同じこと、成功したかったらウソップではなくルフィのレイヤーで物事を正しく判断できなければ、上に行くことはできない。
世界は激変していくのだから、今の自分に何が必要なのかを最近本当に仕事でもプライベートでも考えて行動することがますます大切になってくる。
ではどうすればそんな考え方を得られるのか?それは是非明日の有料記事にて教えよう。
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