【ギンガマン】「ダークヒーロー」の最高傑作・黒騎士ブルブラックの魅力を徹底解説!リョウマに影響を与えた彼の生き様とは?奥底に見える黒騎士の本質も考察【前編】
さて、スーパー戦隊シリーズの悪役TOP10、そしてその中でも私が特に気に入っている悪の首領であるゼイハブ・ラディゲ・バズーのお三方に関して語ってきました。
まあ残りの悪役に関しては私が語りたくなったら語ろうと思うんで、あまり期待せず気長にお待ちいただければと思いますが、今回は別の件です。
あのですねえ、スーパー戦隊シリーズ関連の動画を漁っているとですねえ、いわゆる「解説動画」というものに出くわすわけですよ。
そこでね、私スーパー戦隊シリーズに関するゆっくり解説動画がオススメに出てきたら、信じられないものを目にしてしまいました。
歴代でいわゆる「弱すぎる戦隊レッド」の中になぜかギンガレッド/リョウマやレッドホーク/天堂竜、ゴーレッド/巽マトイが入っていたのです!
はあ!?スーパー戦隊シリーズを1作品ずつきちんと見た上でこんな頓珍漢な動画作ってんのかこのク○野郎!!
コメント欄が割と荒れ気味だったのが不幸中の幸いでしたが、そう思うとこないだ私の「鬼滅」の記事に凸ってきた方の気持ちがほんの少しだけわかりました。
調べたところこのゆっくり解説動画を作っている方は他の動画でも明らかに「本編見てねえだろお前」と言いたくなるような薄っぺらい解説ばかりしているのです。
まあこのゆっくり解説に限らず、ネットに上がってる特撮作品の解説動画なんて大体がwikiより情報価値薄いものばっかでイライラするんですけど!
そりゃあこんな頭の悪い動画を真に受けて表面上に描かれていることしか見れないアホばかりだったら、いつまでも世間から「ジャリ番」と嘲笑されるわけですわ。
いや別にね、ギンガレッドしかりゴーレッドしかり人間的な弱みや欠落を抱えていることは劇中で描かれているのはその通りですよ。
それに「え?それはどうなの?」と思えるような言動や行動を「物語の流れや設定をちゃんと理解した上で」いじってるのなら、私もそこまで文句言いません。
私だってゴーレッド/巽マトイのことを「好きではない」と言っちゃってますし、実際横暴な面が過ぎて「それってクズじゃね?」と思うことはあります。
でもそれは「ネタの一部」であって「本質」ではありませんし、それを補って余りあるほどのプラスを引き立てるための演出だから最弱だなんて思えません。
それともあれですか?最弱だの何だのとほざいてる方々は実際にリョウマや巽マトイのことを偉そうにこき下ろせる程のヒーローじみた活躍をしているんですか?
いきおい「ドラゴンボール」の悟空をサイコパス呼ばわりするう風潮しかり、本当に上辺だけしか見えない国語力ゼロな人たちなんだなと改めて。
別に「愛あるいじり」をするなとは言いませんが、それというのは作品に対する深い愛と知識、そしてそれを言語化する能力があって初めて成り立つわけですよ。
それもわからずにただネットで適当に調べて目についた信憑性があるかも疑わしいような二次情報・三次情報を聞きかじって適当にそれっぽく取り繕ったのを解説として上げないでいただきたい。
まあ別に無視してもいいのですが、せっかくなので私自身が改めて真っ向勝負で理屈を用いてねじ伏せて見せましょう。
前置きが長くなりましたが、今回はその「ギンガマン」における「ダークヒーロー」の最高傑作・黒騎士ブルブラックについて私なりの視点で解説します。
リョウマが最弱呼ばわりされるという不名誉な出来事への雪辱も兼ねて、改めて黒騎士というキャラの魅力と彼がリョウマに与えた影響を見ていきましょう。
黒騎士ブルブラックを語る前に押さえておきたい「ギンガマン」の前提
まずは本題に入る前に、そもそも『星獣戦隊ギンガマン』という作品の前提や土台となる部分をしっかり押さえておく必要があります。
特にギンガレッド/リョウマという人物の造形とギンガマンの戦う目的・スタンスはマストで押さえておきたいところなので、解説しましょう。
そもそもギンガマンとはどういうチームなのか、本当にリョウマは最弱というレッテルを貼られるほどのレッドなのか?
ギンガレッド/リョウマは5人の中で最強の戦闘力を持っている
まず上記の動画への反論も兼ねて再三主張しておきたいこととして、ギンガレッド/リョウマは間違いなく5人の中で最強の戦闘力を持っているということです。
思い出してみてください、そもそもギンガマン自体がギンガの森で徹底した戦闘訓練を積み、研鑽に研鑽を重ねて競争相手を蹴破って星獣剣の戦士の資格を手にしています。
第一章で描かれる就任の儀式は単なる「戦士に選ばれました」ではなく、そもそも星獣剣の資格を手にすること自体が誉高いことであり、歴代でもプロ中のプロなのです。
確かにリョウマは選考から脱落はしましたが、決して戦闘力やアースで劣っているわけではなく、あくまでも「ヒュウガと比較して」のことでしかありません。
こちらをご覧になればわかりますが、リョウマはヒュウガを地の底に沈められた後、凄まじい怒りから強大なアースを覚醒させ、ヤートットを一網打尽に焼き尽くします。
それどころか、凄まじい戦闘力を発揮してたった1人で目覚めたばかりのバルバンの幹部たちとゼイハブを圧倒し無双するというとんでもない力を発揮しているのです。
兄のヒュウガや後述する黒騎士ブルブラックが劇中で完全な格上だから相対的に弱く見えがちなだけで、リョウマ自身の戦闘力は5人中最強を誇っています。
事実単独で魔人や幹部連中を撃破していますし、4人もリョウマの実力を認めているからこそ、彼がギンガレッドであることに異論を挟みません。
戦う目的もはっきりと宣言している
しかもリョウマは戦闘力だけではなく戦う目的もはっきりと言葉にしていますが、中でも象徴的なのは第三章と第七章で描かれているのです。
第三章では「俺たちは必ず地球を守る!そして平和になった地上にギンガの森を戻すよ」とギンガマンという「チーム」としての戦う動機を宣言しました。
そして第七章では「そうさ、俺たちは死ぬわけにはいかないんだ。必ず生きて、星獣たちと一緒に新しい力を手に入れてみせる!」と自己犠牲をきっぱり否定しています。
リョウマたちが戦う動機は「星を守る」が第一優先ですが、更に掘り下げると「ギンガの森を元に戻し帰還する」ことと「自己犠牲ではなく未来のために戦う」ことなのです。
だから公と私の双方においてギンガマンは隙がなく完成された戦士であるわけですが、そんなギンガマンの最大の急所が死んだ兄・ヒュウガのことでした。
特にリョウマは兄への憧れとそこから生じたコンプレックスにより真の意味でギンガレッドではなかったというか、ある種のメンタルブロックがかかっていたのです。
十分な戦闘力も覇気もあり、5人の中でもゴウキと並んで穏やかで優しい性格のリョウマですが、そんな性格だからこそ表面化しづらいある欠落がありました。
それを教えてくれるのが2クール目の中盤から登場する黒騎士ブルブラックという存在だったのです。
「正義の味方」でも「純然たる悪党」でもないダークヒーロー ・黒騎士ブルブラックの魅力
そんなギンガマンとは全く異なる価値観・行動原理を持った人物として2クール目の山場に登場するのが黒騎士ブルブラックの存在です。
歴代でも異色の存在として未だに語り草となっている黒騎士は「ゴーカイジャー」では追加戦士ではなく番外戦士として扱われています。
ギンガマンのような「正義の味方」でも、そしてバルバンのような「純然たる悪党」とも違う黒騎士の魅力とは何でしょうか?
手段を選ばない徹底した現実主義
この動画をご覧になった方はお分かりでしょうが、黒騎士は基本的に二十五章での散り際を除けば、手段を選ばない徹底した現実主義者です。
第十九章でバルバンの砂爆盗が幼女(演じているのは後のキュアグレースの声優)を人質に武器を捨てろとギンガマンと黒騎士に脅しをかけます。
しかし、黒騎士はそこで脅しに屈してしまったせいで弟・クランツを失ったという痛い経験から脅しに屈さず一歩一歩と殺しにかかるのです。
これ以外にも発掘品の石を平気で割ったり逃げ惑う人々がいようと構わずブルライアットを発射するなど、残虐で卑劣な手段を取ります。
ギンガレッドが制止してくれなければとんでもないことになっていたわけですが、黒騎士はそんなリョウマたちの戦い方を「甘い」と貶すのです。
これは決して今風にいうツンデレや偽悪的な塩対応といったものではなく、心の底から本気で言っており、戦いに無駄な私情を挟むなといいます。
更に二十章では24時間以内に氷度笠を倒さないといけない状況で見殺しにしようとするなど、徹底してギンガマンとは真逆の卑劣な戦闘スタイルなのです。
同じバルバンと戦うものでありながら、徹底した手段を選ばない彼の現実主義は純粋な正義感をもって真っ当に戦うギンガマンとは違う行動原理となっています。
圧倒的な力への執着とヒュウガ並の戦闘力
2つ目に、黒騎士は圧倒的な力への執着とリョウマを凌ぐヒュウガ並の戦闘力を併せ持っており、単独でも十分バルバンと戦える強さがあるのです。
それは十八章でギンガマン5人が獣撃棒で破壊できなかった石を黒の一撃という必殺技で真っ二つにしてしまったことからも明らかでした。
これで戦闘力がギンガマン以下だったら単なるクズなのですが、ギリギリのところでダークヒーローたり得ているのはこの圧倒的な戦闘力があるからです。
しかもそれだけではなく、黒騎士はバルバンに対する復讐を成し遂げるためにギンガの光という銀河に1つしかない力への執着を露わにしています。
こと第二十三章ではこれでもかというほど力への執着が描かれており、ギンガの光が手に入ると見なした瞬間にギンガマンの制止を振り切っても手に入れようとするのです。
残念ながらギンガの光は彼に味方せずギンガマン5人を持ち手に選ぶのですが、「力」に対するスタンスや心構えもギンガの森の5人とは完全に異なります。
ギンガマンと同じ戦闘民族にして「星を守る戦士」でありながら、「復讐」の為に身をやつしてグレーゾーンへと突入してしまったのです。
清々しい程にブレがなく力への執着を行動原理として動いているからこそ、近年の正義拗らせ系にはない毒々しいダークヒーローぶりが引き立ちます。
安易に徒党を組まない単独主義
そして何よりも黒騎士ブルブラックの最大の魅力は安易に徒党を組まない単独主義にあり、これを最後まで貫いたことが私の中で殿堂入りしたきっかけなのです。
どういうことかというと、ギンガの光がギンガマンを持ち手に選んでしまい追い込まれても、たとえ一人になろうとも彼はバルバンへの復讐を諦めません。
そう、手に入らないからとむざむざギンガマンに命乞いをすることも助けを求めることもなく、より強い復讐心を滾らせて彼は地球ごとバルバンを爆破しにかかるのです。
最終的にゴウタウラスが合身を強制解除することで阻まれたものの、それでもなお彼は復讐のためという動機をブレさせたことはありません。
ギンガレッドが助けに入った時でも「この私が改心するとでも思ったか?」と善意を突っぱねて、安易に徒党を組むことをよしとはしないのです。
このスタンスを徹底したことによって彼は単なる復讐鬼という括りや追加戦士という枠すら超えてギンガマンとは全く異なる価値観で動く魅力的なダークヒーローへ昇華されました。
物語に波乱をもたらすアウトローならばいくらでもいますが、物語のテーマをより深めて善悪のどちらにも行かないグレーゾーンを徹底した戦士はなかなかいません。
これらがあるからこそ彼は歴代最高峰の番外戦士として殿堂入りを果たしたわけですが、私はそれもあってブルブラックが歴代の追加・番外戦士枠で最も好きなのです。
リョウマに影響を与えた黒騎士の生き様とは?
そんなギンガマンとは真逆の、しかしバルバンともまた違う行動原理を持つ黒騎士の存在はリョウマにどのような影響を与えたのでしょうか?
2クール目の1つの見所であるギンガレッドと黒騎士の相克を具体的に検証しながら解説します。
バルバンと同じ穴の狢にならない
まずギンガレッド/リョウマは自身が黒騎士との相克を通して、バルバンと同じ穴の狢にならないことを高らかに宣言するのです。
第十九章と第二十章でリョウマは自身の奥底にあった思いを本音を絞り出すようにして黒騎士に向かって突きつけます。
バルバンを倒すために非情な手段を辞さないのであれば、それはもはやバルバンと同一の存在であり、戦った後には何も残らないと。
そう突きつけたのも決して唐突なことではなく、そこで第三章と第七章でリョウマが口にしたギンガマンの戦う動機が繋がってくるのです。
十七章でリョウマは勇太に「戦士に必要な勇気や心は力や技からは生まれない」ことを、「力」と「心」は別物であることを説きました。
そんなリョウマの言葉を裏付けるかのように、「力」と「心」のあり方を履き違えて歪んでしまった存在として黒騎士は現れたのです。
兄ヒュウガと似たような空気感・雰囲気をまといながら、兄だったら絶対にしないであろう卑劣な戦い方を選んでしまった復讐鬼。
それをはっきりと目の前で見せつけられたリョウマは自分たちが決して黒騎士のようにはならないと反面教師にしたのです。
「力」そのものへ執着しない
そしてこれがリョウマ(というかギンガマン)と黒騎士の価値観の差をわける決定打となったのですが、「力」そのもへの執着をリョウマたちはしません。
第二十三章でギンガの光を使った怒涛武者を相手に大苦戦を強いられるリョウマたちはそれを黒騎士までもが渇望していることに絶望してしまうのです。
それを見て、改めて自分たちがバルバンのようにも、そして黒騎士のようにもなるまいとギンガの光を獣撃棒にて破壊しようとします。
ここでギンガマンがギンガの光を「手に入れようとした」のならばギンガの光は間違いなくギンガマンを持ち手に選ばなかったでしょう。
黒騎士と同じように大切な故郷と大切な人を失いながらも、決して手段を選ばない戦闘マシーンにならずヒロイズムを貫くのです。
それは二十五章で黒騎士から自分を殺して兄を救うかどうかを選んだ時も一貫しており、星を守るためだからと一線を超えません。
理想論に過ぎるかもしれませんが、甘いかもしれませんが、それをしっかり貫き通すことができればそれもまた1つの「強さ」なのです。
まさにこの「心の強さ」において、リョウマは黒騎士との相克を通して一回り成長する経験が出来たといえるでしょう。
「自分こそがやってやる!」という強烈な自負心
ここからが個人的見解ですが、リョウマは決して黒騎士の全てを否定しているわけではなく、決定的に受けた1つの影響があります。
それは「自分こそがやってやる!」という強烈な戦士としての自負心であり、初期のリョウマに欠けていたものは正にこれだったのです。
リョウマが選抜から落選したのも、第一章で土壇場に追い込まれるまでアースが覚醒しなかったも、ひとえにこの「戦士としての自負心」が欠けていたからでした。
ヒュウガがリョウマに指摘していたことも、そして十三章でモークがリョウマを「戦士失格だ」と詰ったのもこれが理由です。
リョウマは確かに優しいし戦闘力もあり戦う動機もはっきりしている、でも奥底で「自分こそがギンガレッドだ!」とは思えなかったのでしょう。
それが弱さ・甘さとして出る時が前半はあったのですが、黒騎士ブルブラックとの相克の中でその欠点を見事に乗り越えたのです。
黒騎士の徹底した現実主義、すなわち「自分がどうしたいのか?」を念頭に置いて自分の信念に向かって突き進む戦士としての意地・誇り。
リョウマは黒騎士からその意地と誇りを学んで成長したことにより、兄への憧れから生じたコンプレックスを乗り越え一人前に成長したのです。
奥底に見える黒騎士の本質
リョウマは黒騎士との相克を通して己の中にあった「戦士として必要な資質」に気づいて大きく成長していきます。
しかし黒騎士もまたリョウマを通して自身の本質と向き合うことになるのですが、果たしてそれは何だったのでしょうか?
リョウマの「甘さ」を否定しきれない人間性の脆さ
二十章から露骨に目立ち始める動揺を見ればわかりますが、リョウマの「甘さ」を否定しきれないという人間性の脆さを黒騎士は露呈させています。
バルバンに復讐を誓いそのためにあらゆるものを切り捨ててきたにもかかわらず、彼はリョウマの中にある「甘さ」を否定しきれません。
それもそのはず、黒騎士だって元々はリョウマやヒュウガと同じ「星を守る戦士」だったわけであり、善良な優しさを持っていたのですから。
ゴウタウラスもそんな優しき星を守る戦士に戻って欲しいと願っているからこそ、リョウマに対して少なからず思うところがあったのです。
最初のうちは黒騎士の強さ/リョウマの弱さとして対比されていたものが最終的にはリョウマの強さ/黒騎士の弱さと逆転していきます。
もちろんこれはポストモダニズムみたいな「善悪の相対化」ではないのですが、リョウマやヒュウガの訴えを否定できないのです。
そうしてリョウマと衝突していく中で黒騎士もまた自身の中にある戦いの動機や本当に大切にしているものを見直します。
相克の果てに黒騎士ブルブラックにとってのギンガレッド/リョウマはどのような存在だったのでしょうか?
黒騎士にとってのリョウマは「理想のクランツ」である
黒騎士ブルブラックにとってのギンガレッド/リョウマとは「理想のクランツ」、すなわち「もしもクランツが生きて星を守る戦士になっていたとしたら」というIFなのです。
もちろんこれ自体は二十章までの段階で明白なのですが、黒騎士がそこに気づいたことでようやく自分の本音と向き合うことができるようになります。
だからと言って黒騎士はリョウマの背中を見て感化されたのではなく、亡き弟・クランツの魂の訴えによって「本来の自分」を取り戻していくのです。
本来の黒騎士ブルブラック、すなわち「心優しき星を守る戦士」の姿であり、それは正にギンガマン5人の輝かしいヒロイズムそのものでした。
それに気づいたからこそ、クランツが何を願っていたかを奥底で感じ取ったからこそ、黒騎士はヒュウガを分離して半ば贖罪のように自爆を選びました。
それは決して自己犠牲でもないし「星を守る戦い」でもないもっと卑近で個人的なものですが、彼は今際の際でバルバンと同一の存在になることを回避したのです。
安易にリョウマに感化されたわけではないとはいえ、リョウマの姿が巡り巡ってクランツの存在を思い起こさせ、大切なものを思い出させます。
この秀逸な構成の美があるからこそ、黒騎士ブルブラックの生き様が歴代でもトップクラスの物語として残り続けているのではないでしょうか。
リョウマと黒騎士は相互に欠けていたものに気づく
こうして見ていくと、リョウマと黒騎士は単なる「主人公と追加戦士」という安易なシリーズ物のお約束で対立させたわけではありません。
リョウマは黒騎士との対立の中で自身の中に「戦士としての自負心」が欠けていたことに気づきつつ、真のギンガレッドになるための心構えを手にしていきます。
そして黒騎士もまたリョウマの「甘さ」に影響を受けつつ、それを通してリョウマの中にクランツの面影を重ね、自身の本質を思い出すのです。
どちらかが欠けても2クール目の物語は成立しない構造であり、この2人の衝突が私たちに教えてくれるメッセージはこれです。
「優しさ」だけでも、そして「強さ」だけでも真のヒーローにはなり得ない。
「他者のために戦う優しさ」と「自分のために戦う意思の強さ」の2つを兼ね備えてこそ真のヒーローである!
端的に要約するならば「ギンガマン」の前半2クールが紡いできた物語とはとても普遍的な、しかしだからこそ説得力をもって描くのが難しいテーマなのです。
これらを踏まえた上で次回はヒュウガが復活してからの後半2クール=炎の兄弟の物語についてを改めて考察していきましょう。