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【ネタバレあり】歴代最大の規模感を誇る悪の首領・星王バズーの魅力7選!バズーが表す「チェンジマン」の悪とは?謎の正体と類似の存在も紹介

さて、昨日はしっかり言いたいことを言えましたので、気分を新たに今日からまた楽しく、そして遠慮なく書きたいことをどんどん書いていきましょう。
ということで、今回の記事はヒュウガ的スーパー戦隊シリーズの悪役10選の中から、1人1人をピックアップして語らせていただく、その記事の第二弾でございます。
まあ正確にはゼイハブも含めると第三弾になるのですが、今回紹介するのは第2位にランクインした『電撃戦隊チェンジマン』の星王バズーです!
個人的な好感度・ツボに刺さった度合いでいうと、どうしても上2人には敵わないのですが、それでも物凄く魅力的な悪の首領に変わりはありません。

星王バズーもとい『電撃戦隊チェンジマン』という作品自体は昭和戦隊最高傑作と呼ばれ、後続の作品に何かしらの形で影響を与え続けている分岐点となった作品です。
当時の話法の限界なのか、シリーズとしてもまだ9作目ということもあるのか、今見ると荒削りな要素もあり、必ずしも完璧とはいえない点はあります。
しかし、それを差し引いてもなお余りある魅力に溢れているのですが、その内の1つがチェンジマンが倒すべき宿敵・星王バズーという歴代最大規模の首領です。
今回はそんな星王バズーの個人的魅力を7つに絞って紹介し、バズーが表す「チェンジマン」の悪とは何か?について解説します。

そして今回はゼイハブの記事同様に、ネタバレを防ぐため有料でバズーの正体や類似の存在を紹介いたします
申し訳ないですが、ご覧になりたい方は「チェンジマン」という作品をご覧いただくか、ワンコインお支払いください。

星王バズーの魅力7選を徹底解説!

歴代戦隊最大規模といわれる大星団ゴズマですが、その頂点に君臨する星王バズーは空前絶後の規模感を誇るシリーズ屈指の悪の首領です。
個人的ランキングではどうしてもゼイハブとラディゲには後塵を拝する形となりますが、今日見直しても尚多大なる魅力を残してくれています。
噂に名高い星王バズー、今日見直すこのラスボスの魅力とは一体何なのか、7つにわけて解説していきましょう。

1、歴代最大の規模感

何度も述べていますが、1番の特徴としてあげられるのは歴代最大の規模感であり、これに関しては以後のシリーズでもないのではないでしょうか。
ゼイハブとラディゲが唯一悪の首領として敵わないのがスケール感であり、質量ともに「巨悪」という言葉が似合う存在感を当初から見せつけてきます。
そもそも大星団ゴズマ自体がバズーの植民地支配に膝を屈してしまった星の戦士たちが徒党を組んだ星間連合なのですが、その設定が有効なのは中心にバズーがいるから。
単なる軍事戦争というだけではなく、宇宙スケールというこのスペクタクルロマン溢れる設定が何と言っても魅力的なのでございます。

そしてこの設定が可能となっている最大の理由は時代背景にあって、1985年の日本経済はバブル絶頂期であり、とんでもないハイパーインフレが起きていました。
「チェンジマン」に限らずこの時代のヒーロー作品はやたらに戦闘力や物語の規模がインフレしていましたが、それは当時の経済事情が高度経済成長のピークに達していたからです。
あの頃の日本は全体的にとにかく経済大国へのし上がり、科学の発展が人々の暮らしを豊かにしていき明るい未来が訪れるものだと誰もが信じていました。
それこそ「ドラゴンボール」のサイヤ人編〜ナメック星編にかけて起こった強さのインフレだって当時の日本がハイパーインフレを起こしたからできたのではないでしょうか。

どんな作品もそれが作られた時代性からは逃れることができず、とりわけ「チェンジマン」はその時代性が色濃く作品の世界観・物語に反映されています。
そんな中で作られた悪の首領がバズーですから、高度経済成長が進みインフレが行き着いた最終地点として待ち受けている「巨悪」として納豆できる規模感です。
これが以後のシリーズになると、経済がデフレした影響で規模感としても縮小せざるをえないので、単純な物量で強さを出しにくくなってきます。
そう考えると、私の生まれ年でもある1985年に星王バズーが生まれたことは時代の必然だったといえるかもしれません。

2、カリスマ性がもたらす恐怖政治

これはもうどの作品にも共通する悪の首領に必須の要素ですが、カリスマ性がもたらす恐怖政治は歴代でも類を見ないのではないでしょうか。
どんな幹部たちだろうとたちどころに従えてしまうカリスマ性は凄まじく、第一話から最終回まで一貫して崩れることはありません。
何より声優の演技力が素晴らしいですよね、故・加藤精三氏の毒々しさ全開のドスの効いた声はそれを納得させうるものでした。
あの声でお叱りを受けたらそりゃあどんな屈強な幹部たちでさえ膝をついて従わざるを得ないだろうというのも納得の演技です。

バルバンやバイラム同様、ゴズマも多士済々の幹部連中がいるわけですが、その被害を特に受けたのがゲーター一家でございましょう。
彼は序盤から冒頭で失禁していましたし、ギルークやアハメスは一度反抗したもののあまりの強大さに屈してしまったほどです。
その様はもはや「洗脳」という領域にまで行き着いており、しかもその支配力が宇宙全土に広がっているといっても過言ではありません。
そして何と言っても「正体不明」というこのミステリアスさ、底の見えない感じがまた独特の雰囲気を醸し出しているのです。

実際「チェンジマン」という作品は最終話に行き着くまで、バズーの正体が何であるのかわからないまま戦い続けるしかありません。
その正体は途中で預言者だけが知っていたことが明かされますが、その預言者が残した文献自体も残ってないため手がかりが掴めないのです。
ヒーロー側のチェンジマンだけではなくゴズマの幹部連中ですらそうなのですから、最後の一瞬まで油断することはできません。
バズーの恐怖政治は宇宙全体を覆い尽くしてしまう程であり、正直チェンジマン5人だけでは勝つことは不可能だったでしょう。

3、冷静沈着な戦略眼

3つ目のポイントとして挙げられるのが、大局を見据える冷静沈着な戦略眼というか観察眼の鋭さであり、要は隙がないのです。
これは意外に思われるかもしれませんが、どのエピソードを見てもバズーには他の幹部連中や怪人たちと違って油断も慢心もありません。
失敗だけならともかく裏切り・不義理に関してはとんでもなく厳しく、また用済みとなった者は容赦無く宇宙の墓場に更迭させます。
その被害を一番受けたのはギルークであり、組織に不利益をもたらす奴は容赦無く捨て駒にできてしまうのです。

単に幹部たちを従わせるだけならまだしも、油断や慢心を諌めながら常にその鋭い眼であらゆるものの本質を的確に見抜く資質は一級品。
この特徴は他の幹部たちにはないものであり、まさに「天網恢恢疎にして漏らさず」という諺を地で行く怖さがあります。
単に怖くて厳しいだけではなく、後ろでじっと控えていざという時までは動かないというバランス・動きの采配も見事です。
動く首領ももちろん悪くないのですが、バズーが魅力的なのは何と言っても「動かない」ことにあると思われます。

ゴズマはこのあたり「静」と「動」がはっきりしており、ギルークやブーバ辺りは「動」であり、アハメスやシーマは「静」だと思うのです。
そしてその後ろに控えているバズーこそその「静」の極致であり、どれだけ戦況が揺れ動いても、一歩引いて俯瞰した判断力を失いません。
これが近年の悪役には足りていないと思える要素であり、バズーは単純に怖いだけではなく冷静沈着で動じないところが魅力的です。
星々の屈強な戦士たちをここまで従わせることができたのはひとえにこの戦略眼があったからではないでしょうか。

4、グロテスクなビジュアル

これは魅力といえるのかはわかりませんが、何と言っても不気味でグロテスクなビジュアルが見るものを恐怖のどん底に陥れます。
まず四肢欠損しているだけでも気色悪いのですが、さらに機械と人間の体がごちゃ混ぜになっているカオスなデザインとあの目力の強さが怖いのです。
例えばゼイハブは「かっこいい悪の首領」という感じのデザインであり、ラディゲは「サイコパスな悪の幹部」といった出で立ちでした。
「いかにも悪役」というのは通底しているのですが、表向きのビジュアルでどんなボスなのかはある程度想像することは可能です。

しかし、バズーの場合はそのビジュアルからは一体どんなボスなのかがまるでわからず、制裁を加えることと容赦ないやつであること以外はわかりません。
表向きのビジュアルですらどんなやつかがわからない、最後まで奥底が見えないことも併せてよくもこのデザインで通せたなあと思うのです。
しかし、逆にいえばこのビジュアルだったからこそ歴代戦隊で「印象に残った悪の首領は?」と聞かれた時に一発で思い返すことができます。
それ以前の戦隊のラスボスも決して悪くはないのですが、ビジュアルがどんな風だったかまで脳裏に焼き付くレベルではありませんでした。

その点、バズーのあのホログラムで擬態されたビジュアルはグロテスクさ・怖さ・強大さの全てが詰まったようなデザインではないでしょうか。
キャラクターデザインを担当したのがかの出渕裕氏なのも影響していますが、シリーズ9作目にして画期的な見た目だったと思われます。
このシリーズ以降ラスボスのデザインが印象的なのが多くなってきますが、その転換点となったのは間違いなくバズーです。

5、正体を悟らせない用心深さ

3とも若干被りますが、彼はその正体を悟らせないという用心深さを最終話まで徹底しており、それもまたゼイハブと共通するものを感じるのです。
正体に関してはデザインを担当した出渕裕氏のアイディアによるものであり、必ずしも初期からそういうものとして設定されていたわけではありません。
ネタバレを防ぐためここでは割愛し有料で語らせていただきますが、文献がなくなっていたことも含めて絶妙にバズーの正体はボカされたままなのです。
この「正体がボカされたラスボス」というのは決してバズーが初めてではなく、初代「ゴレンジャー」の首領・黒十字総統からしてそうでした。

もっとも、黒十字総統は人間サイズの姿を持っているので正体が明かされてもそこまで驚きではありませんでしたが、バズーは基本的に最後までホログラムです。
今風に言うVTuberみたいなものであり、幹部たちもチェンジマンも常に正体を暴こうとしても中々その真実に到達することはできません。
それがわかりやすく描かれているのが41話ですが、さやかはイカルス王子との交流の中で彼と特殊な縁によって惹かれていきます。
しかし、彼女はそこで迂闊に私情に流されてしまい、判明しかけた星王バズーの正体を暴き損ねてしまうという損失をもたらすのです。

その後、裏切り者が出ても彼の正体はどこからも漏れることはなく、最後まで巧妙に姿を隠すことによって威厳を保っていました
この用心深さはゼイハブにも通じますが、ゼイハブが不死身の肉体の根拠を秘匿していたのに対して、バズーは自身の姿形すら隠していたのです。
普通こういう大物系のボスの場合、最後ははだかの王様みたいに馬脚を現して墓穴を掘って負けるということが起きても不思議ではありません。
しかし、バズーに関してはそういう悪の首領が陥りがちな罠を絶妙に避け、冷静沈着さと用心深さといったネガティブシミュレーションも見事でした。

6、裏切り者が出ようとも余裕を崩さない

そして何と言っても個人的に素晴らしかったのが、2とも繋がりますが裏切り者が出たところで余裕を崩さないことではないでしょうか。
ホログラムによって自分の正体を隠しているからということもあげられるのですが、終盤になるとゴズマは一枚岩じゃなくなり、離反者がどんどん出ます。
つまりチェンジマンが大所帯になり始め、また伊吹長官ですらもその正体を明かすのですが、そんな状態でもバズーは焦ることはないのです。
冷静沈着で計算高いところがありながらも、決して余裕を失うことなく淡々と己がなすべきことを実行し続けます。

ゴズマ幹部の中で最終的に離反したのはゲーター一家・ギョダーイ・シーマですが、特に大きかったのは巨大化要員のギョダーイでしょうか。
実はギョダーイは中盤でその生態が描かれているのですが、その裏切り者たちの離反をもってしてもバズーは怒りはしても余裕を失うことはありません。
感情的になることもなく、ラスボスにふさわしい化け物じみた貫禄を最後まで持ち続け、それが物語に途切れることのない緊張感をもたらしていました。
近年のラスボスはどうしても終盤で感情的になったり余裕が崩れて小物化したりといったことがままありますが、そういうラスボスが私は好きではありません。

やはりボスというからには後ろで悠然と構えており、慎重さと冷静さは保ちつつも最後までヒーロー側に対して圧倒するくらいであってほしいものです。
チェンジマンとゴズマ幹部たちの裏切り者が徒党を組んだところで簡単に負けるような存在ではなく、そうでなければ宇宙の星々を支配する者としての説得力がありませんよね。
その単なる規模感やカリスマ性といった表面上だけではなく、もっと奥底にある本質的な部分で最強のラスボスであり、だからこその「星王」ではないでしょうか。
王の名をつけるからにはやはりそれ相応の威厳と風格はあって欲しいですし、本当に「キングオージャー」の奴らもこの風格を見習って欲しいです。

7、最終話まで無敗

そしてこれがゼイハブと共通しているのですが、バズーは最終話までチェンジマンに一切負けたことがないというのも大きな魅力ではないでしょうか。
もちろん最後まで戦いという戦いをしていないのはもちろんですが、正体と攻略法が判明するまでバズーはチェンジマン側を苦しめ続けます。
たとえ星間連合を組んで対処しようとも、そこにはどうにもならない戦力差の壁・ヒエラルキーといったものがあるのです。
私なんか最初に見たときは「え?こんなやつどうやって倒すの?」という疑問が常にあって、それが物語の推進力にもなっていました。

スーパー戦隊シリーズに限りませんが、普通のヒーロー作品だったら大体正体が明かされた時にどうすれば攻略できるかという弱点や道筋が示されます。
それこそ「ギンガマン」のゼイハブなんかはどうやって倒すか自体は4クール目の早い段階で裏切り者のブクラテスによって示されていました。
もっともゼイハブの場合、その攻略法をゼイハブが知ったのである対策を行っていますが、バズーは最後までそれが全く示されないのです。
しかも誰かからヒントがもたらされるわけもなく前例もないので、自分たちで攻略法を探して思いつかなければなりません。

この辺りは物語の核心部分になりますので有料で解説しますが、とにかくバズーは最終話まで誰が相手だったとしても負けることはありません。
そもそも正体を知らないのもあるし、正体を知ったところで攻略法の大元になる要素が揃っていなければ勝つことは不可能です。
小林靖子脚本ではよく「敵の絶望感がやばい」などと言われますが、「チェンジマン」のバズーだって絶望感では負けていません。

バズーが表す「チェンジマン」の悪とは何か?

星王バズーが表す「チェンジマン」の悪とは何なのかというと、それは「植民地支配」という「社会的な悪」ではないでしょうか。
少なくとも本作の世界でチェンジマンが戦うべき敵はゴズマそのものというよりは、もっとその奥にある本質的かつ普遍的なものでした。
後半にかけて実はゴズマの幹部連中がチェンジマンと同じように星を植民地支配されて屈服してしまった存在だといえます。
そしてその大元を辿っていくと、諸悪の根源として行き着くのが星王バズーということになってくるのです。

バズーが宇宙全土を支配するという野望を企みこのようなことをしでかさなければ、このような戦争は起きずに済みました。
異星人と地球人が惑星の垣根を超えて徒党を組んで戦うというある種夢のような展開だって起こらずに済んだかもしれないのです。
しかし、そんな風に圧政に強いられる世界そのものを作り上げたのは間違いなくバズーであり、バズーを倒さないことには世界平和は訪れません。
単なる軍事戦争というだけではなく、その戦争を通じて本当の「悪」がどこにあるかという真相に迫っていったのが本作ではないでしょうか。

無論このような物語になることを曽田博久先生をはじめ作り手が最初から志していたかというと、必ずしもそうではありません。
しかし物語を作り上げていく中で、散りばめていった要素が思わぬ数珠繋ぎによって窯変を起こし、初期からは考えられない方向へ膨らんできました
これこそが正に某プロデューサーのいう「ライブ感」であり、熱量を高めながら今この瞬間を大切にして作ったからこそ起こった奇跡の化学反応なのです。
既成の枠に囚われることなく面白さを追求し続けたからこそ到達できた「社会的な悪」という本質こそ、バズーの持っていた悪ではないでしょうか。

星王バズーの正体とその攻略法は?

さて、ここでは有料で正体を明かしてみますが、星王バズーの正体は星の形をした巨大生命体ゴズマスターでした。
彗星の後ろに巧妙に姿を隠して地球に到達し、地球を喰らおうとしていたのですが、その理由は「地球が一番美しい星だから」です。
このことはバズー自らが口にしており、正にゼイハブのみならずバズーにとっても地球は宇宙の青いエメラルドなのでしょう。
実際、この地球という星に来たことによってゴズマに居た幹部たちや異星人たちはこの地球に恩恵を感じています。

特にリゲル星人ナナちゃん辺りはその典型であり、彼女はチェンジマンと出会わなかかったら自らの運命に立ち向かわなかったでしょう。
そして、バズーもまたそんな強き戦士たちを次々と生み出す土壌を持った地球という星を喰らい尽くして我が物にしようとしたのです。
そんな巨大なものにどうやって立ち向かったのかというと、結論からいえば一寸法師戦法でメモリードールを巨大かせて内部から倒しました
あまりにも巨大すぎて外側から倒すことができない場合は大体一寸法師戦法か、弱点となっている部分を的確に突くことで勝ちます。

この逆転方法は初見だと意外すぎますが、決してギャグではなくチェンジマンたちは極めて戦略的にこの方法を思いついたのです
ギョダーイが味方してくれたこと、そしてメモリードールがきたこと、そして星の内部であるという事実が判明したこと、それらをもとに攻略法を編み出しました。
この方法論を逆手にとってギャグにしたのが「カーレンジャー」の暴走皇帝エグゾスなのですが、ある意味その原点としても貴重なシーンです。
正にこれこそ最後の最後まで予測させないで意外性のある方法で倒すという「チェンジマン」らしさ、そしてそれを象徴するラスボスの正体と攻略法だと思います。

帰納か演繹かアブダクションか

さて、ここまでゼイハブ・ラディゲ・バズーと見てきましたが、三者を比較してみると実は論理学的な見地でいえば、まるで異なる方法論で作られています。
具体的に述べると「チェンジマン」が帰納法、「ギンガマン」がその逆の演繹法、そして「ジェットマン」がアブダクションというものです。
これは作品の世界観と物語がそのように作られているからというのが大前提として挙げられますが、ラスボスを例に挙げて説明していきましょう。

星王バズー=帰納法による到達

星王バズーは最終話までその正体が不明であり、物語終盤までチェンジマンたちがそこにある真実や「悪」の正体に到達することはできません
まずバズーが宇宙の星々を植民地支配しているという現実が先にあり、それを表すように個々の事象や宇宙人がチェンジマンの前に現れます。
それを元にチェンジマンはこの戦いの裏にある構造や支配されている人たちの法則性というものを導き出し、そのヒントを持つ者たちを仲間に加えるのです。
そのようにして最終回でバズーが社会的な悪という姿をその正体とともに表すことで真理に到達するという「具体から抽象へ=帰納法」となっています。

ラディゲ=アブダクションによる到達

ラディゲは歴代で見てもかなり特殊であり、明らかになっているのは地球という表次元にやってくる前に裏次元を軒並み滅ぼしたことだけが示されています。
しかし、ジェットマンは竜をはじめ敵側のバイラムに関して知り得ることはなく、目の前の敵をやっつけながら仮説や類推を組み立てて検証していくのです。
だからこそ戦況が刻一刻と変化していき、最後までチェンジマンは誰がラスボスになるのか、そして何のために戦っているのかすらわからないままとなっています。
最終話直前で5人が真のヒーローになり、そして最終回で戦う目的がはっきりするのは仮説検証を繰り返してたどり着いた結果=アブダクションなのです。

ゼイハブ=演繹法による到達

ゼイハブは「ギンガマン」という作品自体がそうであるように、最初から宇宙海賊バルバンがどんな存在かというのが既にギンガの森の伝説として記録に残されています
当然ながら初代ギンガマンがどのように戦い、どうすればバルバンを倒すかという攻略法も体系化されているため、基本的にギンガマンは戦い方に迷いがないのです。
しかし、ゼイハブというラスボスがとんでもなく強いこと、また星々を食い物にしてきたことはわかっても、例えば魔獣の誕生やゼイハブの秘密に関しては特定のものしか知りません。
このように既に確立された抽象概念を元に具体的な個々の事象が明かされていくので、ギンガマンとゼイハブの戦いは「抽象から具体=演繹法」となっているのです。

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