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「キレンジャーの錯誤」という言葉を知らない人たちが多いらしい
「ギンガマン」第四章は明日の午前中までにレビューを出すので、今日は久々にスーパー戦隊における「キレンジャーの錯誤」という言葉について。
私も過去にこれらの記事で引用したことがあるのだが、いわゆる「一部の特殊な例だけをまるで普遍的な文法だと誤って錯覚してしまうこと」を「キレンジャーの錯誤」という。
いつ誰がこんな言葉を定義したのかはわからないが、SNSなどで調べると、今も昔もスーパー戦隊を見ている人の中で未だに「パブリックイメージ」と「実態」の乖離に困惑する人が多いらしい。
私に言わせれば「何を今更」と思うわけだが、シリーズを深くまで見ていないと確かにそういう誤ったイメージが世間一般に伝搬していたとしても無理はないだろう。
最近だと「戦隊レッド異世界転生」をして「本家のスーパー戦隊には典型的な熱血主人公は意外と少ない」と言われる、確かにあれは「マンガチック」な00年代の「バカレッド」のパロディだ。
しかし、これは決して今に始まったことではなく、たとえば昔の戦隊シリーズを扱った資料集などを見ても表記揺れが大きく、「スーパー戦隊といえばこれだ!」というイメージが媒体によって異なる。
雑誌などに掲載されている分も含めて、スーパー戦隊シリーズのパブリックイメージは大体これだろうか。
赤:使命感に燃える熱血主人公
青:斜に構えたクールな2枚目
桃:色気たっぷりの紅一点
緑:純粋で無邪気
黄:カレー食うデブ
しかし、本当にこのイメージに当てはまる戦隊のイメージが1つでもあるかというと、残念ながら1つもない。
おそらくは『秘密戦隊ゴレンジャー』の5人の表面的な記号しか知らず、まともに作品を見てないからこんなイメージが出来上がるのだろうが、そもそも赤と青のイメージからして間違っている。
アカレンジャー/海城剛はドスの効いた声が特徴的ではあるが、決して「熱血」ではなくむしろ大局を見据える冷静沈着なカリスマ型リーダーであり、少なくとも「バカレッド」とはまるで違う。
アオレンジャー/新命明も確かに「2枚目」ではあるが、それは演じる宮内洋の「ルックス」のことであって性格は決して「クール」でも「斜に構えている」わけでもなく、むしろとても仲間思いだ。
モモレンジャー/ペギー松山・ミドレンジャー/明日香健二・キレンジャー/大岩大太の3人も決してこんなイメージではなく、結局「役者の外見」から何となく想像されるものしか述べていない。
今見ている『星獣戦隊ギンガマン』にしたって、このイメージに当てはまるようなキャラクター造形なのかというと決してそうではない、むしろイメージとは真逆である。
その典型はギンガレッド/リョウマだが、彼は確かに「内に秘める熱さ」はあるし戦いの時は闘争本能をむき出しにして戦うが、決して「熱血」ではないしヒュウガほどではないが判断力も実力も相当に高い強キャラである。
そもそも「熱血」と一言で言ってもいろんな種類があるが、いわゆる00年代の「バカレッド」に関してはどうにも作り手の解釈が浅いというか、どうにも「思慮が浅い直情径行のバカ」と一体化している気がするのだ。
またブルーの「斜に構えたクール」も『電磁戦隊メガレンジャー』の初期のメガブルー/並木瞬がそうだったが、健太と打ち解けてからは天才肌なところはそのままにキャラとしては表情豊かになっていった。
私が原体験で見てきた90年代戦隊だけを見ても上記の「キレンジャーの錯誤」に当てはまる誤ったパブリックイメージに基づいて作られている作品は1つもなく、そんな簡単なシリーズではないということだ。
ところが、批評・研究・考察の水準が子供向けのシリーズものの中でも一際低いスーパー戦隊シリーズに関してはそのような見方をする若い人たちがいても不思議ではない。
以前に『烈車戦隊トッキュウジャー』で約8年近くかけて感想・批評・キャラクター考などを書いていた時から思ったのだが、スーパー戦隊ほど実物とパブリックイメージの乖離がひどいシリーズもないだろう。
未だに「5対1は卑怯」というくだらない謎の茶化し感覚で見る人も少なからずいるし、こんな程度のことで不思議がっている人たちがわんさかいるようではスーパー戦隊がまともに語られるようになる日はまだまだだ。
未だにバラエティ番組でもこんな不愉快極まりない品性下劣な弄り方しかできない、それはすなわちスーパー戦隊シリーズのことを語るときに語る側の知識が全くと言っていいほど追いついていないことの証左でもある。
だからこそ若い人たちが作品を見た時に尚更混乱するのだろう、「え?実際の作品とイメージが全く違うじゃん」と……そう、事実ベースではなく感情ベースで作品を表面上で間違った弄り方をしてしまうから。
とにかく「なぜそう語れるのか?」という根拠を詰めて語るようにしていくことが大事ということだが、スーパー戦隊に淀川長治や蓮實重彦レベルの深い語り部が現れることは相当に難しいのだろうな。