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【新テニスの王子様】S3・跡部景吾VSロミオ・フェルナンデスの決着やいかに!?まさかの跡部様の〇〇登場!具現化攻略の鍵は「可能性」にあり?【ネタバレ感想・考察】

物凄く間が開いてしまったが、とても久しぶりな感じのする『新テニスの王子様』感想となるが、開幕一番に今月号の盛大なネタバレありでこれはいわせてくれ。

まさか跡部様の肉親をぶっ込んでくるなんて誰が想像した!?許斐剛先生が跡部景吾にかける想いを俺は読み切れなかった!

いやあ、決勝戦の感想・考察に関しては1試合ずつ終わるたびにまとめて書こうと思っていたのだが、流石に今回我慢ならなかったので書く。
いよいよS3も佳境に差し掛かったわけだが、今まで見てきた中で初めて跡部様がちょっとカッコよく見えたかもしれない、今までそんな印象はなかったのに。
跡部景吾という男はその派手な性格と高貴さとは対照的にテニスそのものは堅実で泥臭く、もしかすると今回出てきたメンバーの中で一番弱いとさえ思っていた。
しかし、そういう当初の予想すら全部許斐先生は裏切ってどんどん跡部という男を進化させ、更なる可能性を切り開かんと勇猛果敢に攻めていく作家だと再確認。

試合内容からいえば、跡部VSロミオは試合内容そのものはそんなに盛り上がるものでもなく、ネタ的にも試合展開もぶっちゃけそんなに大したインパクトはない。
そもそもロミオが使っている具現化(マテリアルサール)自体がデータテニス+コピーテニス+イリュージョンのハイブリッドなので、ロミオはそういう心理系テニスの極北であろう。
これを大学レベルまで極めればメンタリストロミオが出来上がるのではないかとさえ思える程だが、ロミオ自体はキャラもテニスも跡部と対の存在だけあって見た目は派手だがプレイは地味である
だから、何となく大枠で第一セットをロミオが先取し、第二セットを跡部が奪ってファイナルゲームに突入という筋自体は予想可能だったし、畏怖の5人の攻略もありきたりだった。

しかし、今回そこで大きく違っていたのは回想シーンでまさかの跡部様の母親が出てきたことである、しかもヘリコプターの紐に掴まったまま話すというシュールさ。
それまでの一種感動的かつ爽快ですらある流れがこれによって消滅し、私を含め読者は困惑と驚きを隠せないでいるし、しかも母親のキャラデザインも美人だがそんなに派手になりすぎない絶妙なバランスだった。
旧作からそうだったが、テニプリが一貫して飽きずに居られるのは回想シーンが「フラッシュ・バック」ではなく「フラッシュ・フォワード」として用いられているということである。
いわゆる『ONE PIECE』『NARUTO』で多用されている回想と大きく違う点は正にここにあって、単なる「過去にこういう出来事がありました」で消化しているわけではない。

『ONE PIECE』『NARUTO』における回想は殆どの場合「登場人物の過去を語ることでバックボーンを掘り下げる」という、言ってしまえば典型的な歌舞伎の「手負事」として用いられる。
いわゆる「回想のための回想」であるために、登場人物の「現在」に深く介入してくるものではなく、物語の上では別にそれ自体がなかったとしても十分に成り立ってしまう余計なものだ。
それに対して、許斐先生が多用する回想はそれが遠い過去であれ近い過去であれ、必ず何かしらの形で登場人物の「現在」に寄与する形で介入しフィードバックされる形を取っている
今回の件では母親の登場が正にそれにあって、なぜ試合直前に母親が「日本に残るかイギリス留学か、どっちか選べ」みたいな問いかけをしてくるのか、物語上の論理的整合性や合理性は特にない。

ただ、この物語とは直接関係がないはずの母親の登場によって跡部の核心に揺らぎがもたらされ、それによって跡部様の「屈辱」「可能性」といったものが立体的な厚みを持って可視化されていくのだ。
母親が登場するというアクセントを入れていなかったとしたら、跡部様の眼力をマイナスからプラスに逆活用して具現化を破る流れが意味不明になってしまうのではなかろうか。
また、決勝戦のヘリコプターネタという意味で旧作の全国決勝立海戦の跡部・忍足・桃城の3人が軽井沢にいる記憶喪失になったリョーマを迎えに行く展開を彷彿させる天丼ネタである。
毎回そうなのだが、許斐剛という作家は物語としての既定路線として確定している流れにどれだけの過剰な細部をプラスワンで盛り込んで意外性を持たせ厚みを与えるかをとても面白くやっている。

母親の存在意義が跡部に与えたのは単なるバックボーンの掘り下げや「イギリス留学=家系の宿命=公」と「日本代表としてテニスをする=跡部個人の意思=私」の選択という王道的な意味だけではない。
また、当然のことながら越前リョーマの父親にしてスペイン代表の監督・サムライ南次郎との対比になっているというわけでもない、そのようなことを許斐先生が意図したとは思えないのだ。
ここで母親が登場したことで跡部様のキャラが物語上の鬱積というか、それまでに溜まった消極的な膿から解放されるきっかけを与え、むしろここから跡部様の存在が活気付いていくのである。
手塚もそうだし、何なら主人公の越前リョーマもそうだが、こういう物語とは直接的に関連のない細部こそがキャラたちの絵の運動を豊かにし、独特の時間の流れを与えていくのだ。

その上で今回の試合の流れを見ると、1つキーワードになっているのは跡部は「喪失」と共に強くなるのではなく「背負う」ことでむしろ強くなっていくということだったのではないか。
それは青学の手塚・越前とは似て非なるものであるし、また幸村や真田とも異なるものであり、跡部様の中には最初から「得るために何かを捨てる」というトレードオフの概念が存在していない
例えば立海は「自己犠牲」としてそれを描き、チームの勝利の為ならばわが身を捧げるといういかにもキリスト教みたいな価値観をベースとしてそれぞれのキャラクターを描いている。
また、青学や四天宝寺は「テニスを楽しく」という「己の為の快楽」を極めるために「自己犠牲をしない」、つまり「背負う」という選択をしないことで身軽になる仏教の禅宗に近い価値観だ。

では氷帝(の跡部様)が持つ「誇り」とは何なのかというと、それは『ドラゴンボール』でいうベジータが持つ「サイヤ人としての誇り」のようなノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)である。
跡部は決して幸村や真田のようにチームの為に自己犠牲をすることをメンバーに強要することも自らがそれを選択することもしない、かといって己の快楽のみに振り切っているわけでもない。
生徒会長もこなし氷帝テニス部200人の頂点に立ち、負けて屈辱を抱えても尚家系の宿命に基づく誇りのためにそれを捨てない、だからフラフラになるまで戦い続けるのである。
それはいわゆる天衣無縫のような「テニスを楽しむ」とも、立海が出した「テニスを楽しめないがテニスができる喜びが強い」のでもなく、「テニスも家系の宿命も全てを背負う」という本物のエリートならではの生き方だ。

新テニのVS入江の最初の試合で示された通り、跡部は生まれ持った血筋と眼力に反して、体格・パワー・スピードなどの突出したテニスの才に恵まれたわけではない「落ちたエリート」であろう。
そんなエリートが家系の宿命を背負いつつ全てを投げ打って泥臭く足掻き、かっこ悪く見えても己の信念・誇りを曲げずに戦う姿を許斐先生は1つの美学として認めているのだ。
今まではずっとその考え方・意識が「弱さ=相手の欠点」にばかり向いていたから後ろ向きになっていただけで、ロミオとの試合でそれを「強さ=相手の長所」へ昇華することに成功したのである。
そうすることによって、それまでに溜まった負債をどんどん返していきながら、自身もまた生まれ持ったものを「手放す」のではなく「手放さない」ことで前に進んでいく

そう、期せずしてこの「手放さない」という要素が「テニスの才能という贈り物を手放さない」不二周助ともリンクするところがあるが、跡部の場合は不二よりも抱えるものが大きい。
以前に「跡部はエリートであるがゆえに様々なものに呪縛されており、だからこそそれが己を蝕む毒となっている」ということを私は考察したし、実際ロミオもそれを指摘していた。
しかし、抱えるものを決して「弱さ」と捉えず「強さ」としていくのはそれこそ跡部様でなければできない生き方であり、それが初めてここで最大の長所に昇華されたという形であろう。
どこかで手塚や越前など他者の幻影に怯えて無い物ねだりをしていた跡部はここで「自分探し」のようなものを辞め、やっと自分自身とも相手とも向き合えるようになったのだ。

とはいえ、じゃあこの勢いのまま跡部がロミオに勝てるかというとそう単純ではないのが「テニスの王子様」の一貫した「厳しさ」であり、思いの強さや抱えるものが試合の勝ち負けには安易に直結しない。
跡部はあくまで強さの「スタートライン」にようやく立てたわけであり、いってみれば準決勝S2の幸村と似た状態だから、まだ本当の意味での「跡部のテニス」は確立されていないのである。
入江との絆も含めて本当に許斐先生はこの試合で描きうる限りの「跡部景吾」と「ロミオ・フェルナンデス」を描き切ろうとしていることが窺えるが、勝ち負けはどうなるかわからない。

こちらでも考察されていたが、最悪の場合S3は泥仕合にもつれ込んだ末のノーゲーム(引き分け)もありうるし、むしろその方が流れとしては納得が行く。
ここまで来ると跡部が負けというのは考えづらいし、かといって跡部様が接戦の末に勝ったとしても説得力に欠けるというのが私の本音である。
跡部は己の具現化を乗り越える為に未来の自分の可能性を一時的に眼力で到達することでバフをかけているのだが、逆にいえば現時点での跡部はまだその強さを自分のものにしていない。
テニプリはあらゆる条件が全てきちんと揃わなければ相手に勝利することができないので、ここでノーゲームにすることでこの先の展開をうまく読めなくすることも可能である。

何れにしても、このS3がこれだけ盛り上がるのであれば、D2以降も楽しみだし、おそらく本命であろうS2とS1も相当にカロリーの高い展開となるに違いない。

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