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空からの声




実家から1度しか着ていない浴衣が送られてきました。


総絞りの生地なのに水通しをせず縫ったせいか、

洗ったら恐ろしいほど縮んでしまった悲しい過去を持っている浴衣です。


いっそのこと生地のまま貰った方が良かったと残念に思っていました。

(かといって、私は浴衣を縫えませんが)


ほどいてモンペにしようと思ったのがきっかけでした。

モンペと言っても戦時中のアレではなく、今風のパンツにするつもりでした。


と、そのときに耳にしたのが、近所の小学校で手作りマスクの寄付を募っているとのことでした。
冬用でも可とのことで、私は持ち神様がいなくなる前にそれを作ってしまおうと考えました。


もうかなり昔になりますが、


私は自分の服を作ってさらに売っていた頃がありました。

もうできませんけどね。


その頃の生地が大量の罪庫、いや、在庫となっていたことを思い出しました。


ハンクラ―ならご存知だと思いますが、服を作ったあとってかなりのハンパな生地が残るわけです。


これはあとでコースターにしよう、とか、

ランチョンマットにしよう、とか、

パッチワークして小物を作ろう、などと考えて、
結局日の目を見ることもなく在庫用の収納箱にしまってありました。


マスクの型紙を印刷してみたら、意外と小さいことに気が付きました。

小学生用だったからかもしれませんが、更に自分の分まで作ってしまっているのでかなりの量が残っていました。


それでも全ての在庫がなくなったわけではありませんけど😑💦




上に映っているものは私個人が使うもので、
小学校に寄付した分ではありませんでしたが、


似たようなマスクをしているお子様がいたら、

たぶんそれは私が作ったマスクです(笑)

マスク用の紐は全て小学校行きとなりましたので、

私の分はストッキングとかユニクロのエアリズムでございます。
自分用になると急に雑な作りになるのは世の常なのでしょうか・・・


ミシンでいっぺんに作ってしまおうかと考えましたが、


久しぶりにミシンを出すのが面倒くさいのと、
色ごとに糸を変えるのが嫌になったので、手縫いです(笑)



木綿の手縫い糸で地味に縫っていたときに祖母のことを思い出しました。



祖母はもう着物も縫って編み物もする、更にそれを売っていたこともあったプロ中のプロでした。




私に初めてお裁縫を教えてくれたのも祖母でした。


なのに、私の家庭科の成績はいつも2ばかりでした。


理由は型紙通りに作れなかったからです。



教科書に載っている方法より、

こっちの方が合理的に縫えるじゃんとやっていると成績が落ちることも知りました。

この世の無情を知った初めて経験かもしれません。



糸を切るときにいつも祖母は「もったいない」と
言って、
側に置いてあった晒しの刺し子にいちいち針を通していました。


「なんでそんなことをするの?」といぶかしがる私に、


「戦争中はなにもなかったからね、全部配給で糸も大事に使っていたんだよ」と教えてくれました。


でも祖母のような腕のない私に、祖母と同じことはできませんでした。



10cmにも満たない糸を器用に縫いとめることなど私には至難の技でした。



マスクを作りながら思いました。


母なら当に捨ててしまうであろう浴衣のリメイクするという発想は、


祖母から教えて貰ったことでした。



まあ、家の中だけですし、誰かに見られるわけではないですから快適に過ごせればいいだけです。



マスクの糸を切りながら、


「そんなに糸を捨ててはもったいないよ」



祖母が遠い空から笑いながら言っているのが聞こえたような気がしました。




今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。