全人類がお金を捨てたら。
学歴はできるだけ隠す
「いい人生を送るためには良い企業に、
良い企業に入るには良い学校に行こう」
多くの人がそんな価値観の中にいるんじゃないか。
自分は北海道の田舎出身だったから、そのステレオタイプが色濃かった。
「たとえ学力が高くなくても、地銀か公務員か、安定した職に就きなさい」
うんざりするような言説だ。
自分は学歴をよく隠す。
ちょっといい大学にたまたま入れたせいで、逆差別を受けるのが嫌いだからだ。
この世の20代の若者の半分以上は学歴コンプレックスを持ってる気がする。
学歴があったところでバカはバカ。俺みたいに。
広い宇宙からしたら耳くそ同然の「学歴」だ。
汚いからみんな隠したほうがいい。
お金なんか捨てたい
いい企業に就きたい。Fireしたい。年収1000万ほしい。
とても良いことだ。
お金稼ぐゲームが得意な人が富み、そうじゃない人は貧しくなる。そんな世の中だから。
自分も稼がないと生きていけないから仕方なく稼ぐ。
好きなことはお金にならない、価値がない、役に立たないことは大抵辞める。
はあ、うんざり。
博士課程とっている研究者、つまりやりたい事とか興味に突き進んでいる方に、敬服する。
なんの役に立つかもあまり定かではないようなことを突き詰めている。
でもそんな日本の学生はほとんど貧乏。
この世の中で価値がないと判を押されるものは淘汰されゆく。
お金という謎の指標が、私たちを縛っている。
人類の半分以上が、お金コンプレックスなんじゃないか。
勝手に資本主義の中でお金コンプレックスを抱かされ死にゆくなんて嫌だ。
広い宇宙から見たらすべて耳くそ。
同じ耳くそなら、自分から見て尊くて素敵な耳くそを大事にしよう。
「分断」が生まれるのは、世の中にある評価指標のせい
上記はラッセルの幸福論から若干影響を受けている。
これから先、それは地球が滅亡するとわかったときなのか、ここは金なんて関係ない世界に変わる。
きっと人類は巨大なハードウェアの中、意識だけが漂う隔離された世界で生き続けるだろう。
そこには資本主義も社会主義も存在しない。一次的欲求すらも存在し得ないからだ。
問われるのは、どう生きるか。
そして人生に意味などない事を知る。
くだらない相対的な評価指標なんて、あなたの世界にさしたる影響を生み出さない。
もっと絶対観の中で生きよう。
好きなことをとことん突き詰めよう。
だから皆、今のうちにお金なんて捨てよう。
そしたら俺が拾うから。