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「親とは言え他人だから」と作文に書いた娘の真意とは

とある朝。
「今日、一時間目から国語なんだよ…。」と浮かない顔の小学6年生女児。

「国語、嫌いだっけ?いま授業で何やってるの?」聞いてみる。

「なんか、文章を書かされるの!この前のお題は『大切にしてる言葉』で、今日は『心に残った言葉』だってさ!同じじゃない?」

んー、まあ。
似てるっちゃ似てるかもだけど。

文章を書く人間としては、楽しそうなお題ではある。
娘の手前、口には出さないけど。笑


夕方。
仕事が終わり帰宅すると娘がリビングで宿題をやっていた。

「ママ!ちょっと手伝って~」

どした?

「今朝のお題の作文書いたんだけど…。あ、少しぐらいは嘘が入ってるけど、気にしないで?笑」

「親とは言え他人だから」
これは母が私に言ってくれた言葉です。

「親とはいえ他人だから、話したいことは話さなくて良いし、理解出来ないことがあるのは当然だ」と。

その時、私は「確かにそうだな」と納得しました。

私には学校に行かなかった時期があり、色々と悩んでいる時に母がこの言葉をかけてくれて「親にでさえ言えないことや理解してもらえないことがあるのに、友だちと完全に理解し合おうなんて無理なことだな」と思って気持ちがラクになりました。

だから母にはとても感謝しています。

この先、友だちと喧嘩をして理解し合えないことがあったとしても

娘の作文、書きかけ。

ほえー。
私の言葉が、そんなふうに届いていたとはね。
想定外!笑

まさに「親子と言えども」である。

私「良く書けてるじゃん!」
娘「良く見て?書きかけなんだよ…。明日提出なの。なんか、良い感じのオチはありませんか?」

ふーむ…。

私「あくまでも私目線でオチをつけるとしたら」

娘「と、したら???」

私「理解し合えないことがあったとしても、お互いを尊重する気持ちを持ち続けることが大切だと思います。かな?」

娘「おお!それ、いただきます!!」

私「オチが良すぎて賞とか取っちゃったりして?笑」

娘「それはないって!笑」


そして娘が書き上げた作文のラストは。

理解し合えないことがあったとしても、お互いを大切にする気持ちを持ち続けたいです。
「親とは言え他人だから」という母の言葉と、相手を尊重するという事を忘れずに、これから生活していこうと思います。

子どもの宿題を手伝ったというクレームは
無しでお願いします…。なにとぞ…。笑


ちょっと前に、こんな記事を書いた。

同じような言葉だが、私と娘では解釈が違う。

でも、どちらの考えた意味も大切だ。

人がふたりいる。
2つの気持ちがある。

どちらかが合ってるとか間違ってるとかじゃなくて、相手の考えを聞いて受け入れること。
たとえ理解が出来なくても、全然かまわない。

どちらも大切。

そう思えることが「尊重」なのだろうと思う。

子どもたちには教えてもらうことばっかり。

いつも母を成長させてくれて、ありがとうよ。