心理学ガール #08

ないものをあるように感じる

 僕は心理学部の大学4年生。ここは大学会館2階のいつもの席。僕を見つけたハルちゃんは、こちらに歩いてきた。

僕「前回は構成機念について話をしたね。心理学は、目に見えないものを研究対象にするために、現象に名前を付けるんだけど、その名前のことを構成念といっている。例えば、知識があって、計算が早いなどの複数の行動パターンから「知能」という構成概念を作るというような話をした」

ハル「はい。講義みたいな内容でした」

僕「少し専門的な話になってきたね。そこで僕が、渡邊芳之先生の論文を2つ紹介して、その内容について話そうってことだったけど、読んだかな?」

ハル「読みました・・・・・けど、わかったかって言われると正直ビミョーです」

僕「少し専門的な内容だったかもしれない。だけど、背伸びして一緒に読んでみよう」

ハル「はい!」

僕「1つ目の論文『心理学における構成機念と説明』では、構成概念は2つに分類することができて、その違いについて書かれている。違いはわかった?」

ハル「いまいちです……」

僕「2つの分類は、”傾性概念”と“理論的構成概念”となっているね。結論から言えば、人の行動を予測したり、行動の原因論的説明には“理論的構成概念”でなくてはならないが、心理学的研究においては“傾性概念”で原因を説明してしまう間違いがあるという内容だと思う」

ハル「えっ、心理学の研究に間違いがあるって、それっていいんですか?」

僕「よくない。だけど、僕もこの論文を読んでから、そういった間違いに気付くことが多い。これは、心理学研究に再現性がないことが多いという問題くらい大きな問題だと思ってる」

ハル「えっ、ちょっと待ってください。再現性がないことが多いって、つまり心理学的な法則って間違っているってことですか?」

僕「その話はまたいつかしよう。この論文は、心理学研究において構成念の使い方に間違いがあるという問題提起をしているのだけど、その間違いがまさに”催眠状態”という構成概念でも起きているって話をしたかったんだ。催眠状態という構成概念は、催眠という現象が起きている状況を表しているものではあるけど、催眠という現象を予測はできないのにも関わらず、催眠状態は催眠の原因として扱われている。これは構成概念の間違った使い方なんだ」

ハル「なるほど……少しわかったような気がします」

僕「そもそも“催眠”というのも構成機念なんだけど、一般的に催眠の原因として“催眠状態”という構成概念が使われているが、使い方が間違っていて、トートロジーになっているから説明としては無意味になっている。他にも、催眠を他の構成概念で説明しようとして、例えば、“態度”、“信念”、“注意”、“集中”、“予期”、“予測”などが使われることがあるんだけど、それらの構成概念が理論的構成機念ではない場合、催眠状態と同じ間違いとなり、心理学的な説明としては無意味になってしまう」

ハル「わたしは、”催眠状態”や“予期”が催眠の原因だという説明で納得してましたけど、学間的にいえば説明不足になっているということなんですね。じゃあ、理論的構成概念とは具体的にはどんなものがあるんですか?」

僕「うーん。“知能”とか“体力”かな。この2つのワードが出ると、急に学校の数育目標みたいになっちゃうね。体力で考えてみようか。体力は、直接観察ができる物理的実体でないよね」

ハル「筋肉の量とかで直接観察できそうですけど」

僕「筋肉の量は直接測れそうだけど、それは体力の中で代表的なものであるだけで、一部分でしかないよね。持久力とか俊敏性みたいなものも体力に含まれているかもしれない。やっぱり、体力は実体ではなく構成念なんだ」

ハル「名前が付いていて、当たり前のように言葉として使っていると、まるで実体として存在しているように感じてしまいます」

僕「そうだね。そのことが正しいとか間違っているとかではないけど、心理学を学ぶことで得られるものの一つは、僕らが実体のないものを実体があるように扱っているということに気付くことだと思っている」

ハル「そうなんですね。わたしは何となく人の心がわかるかもと思って学び始めたですけど」

僕「心理学を学ぶことは、”人の心がわからないことを学ぶ”なんて言われるけどね。それで、体力という構成概念は、筋力、持久力、発力などが含まれていて、それらは握力テストとか持久走の秒数や反復横跳びなどで測定できる。そして、その測定した結果を総合的に数値化して体力とすることもできる。その場合、体力の高い人は、運動とかスポーツが上手にできるって予測ができるし、『スポーツができるのは体力があるからだ』と体力を原因としてもおかしくはない。これが、体力という構成概念が、理論的構成機念であるということ」

ハル「わかったような気がします。心理学は人の行動を説明するから、理論的構成概念を使って研究をしていくんですね」

僕「それが心理学の全てではないけどね。ただ、理論的構成概念を作っていくのは大変で、この論文はそれについて問題提起をしているんだと思う」

ハル「そうなんですね。わたし、少し心理学がわかった気がしましたし、もっと興味が沸いてきました! もっといろいろ聞きたいです!」

僕「それはよかった。とはいえ、これはまだまだ入口の話だけどね。少し話しつかれたから、ジュースでも飲んで一息つこう。今日も僕がおごるよ」

ハル「やった! ありがとうございます」

 僕とハルちゃんは、自動販売機コーナーへと向かった。