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ゴミか芸術か

曖昧な境界

華道家として花をいけている中で、日々つくづく思うことがある。

それは、ごみと芸術の境界は極めて曖昧だということ。

アートの世界もそうかもしれない。

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ある人はその作品を「何がいいんだただのゴミじゃないか」と言う。

ある人はその作品を「実に素晴らしい。これぞ芸術だ」と言う。

誰が食べても美味しい料理、誰が見ても上手い技術などは別の話で、

芸術においてはしかも極めて作者の世界観のつよいものにおいては

見る人によって作品の価値が変わるという現象が起きる。


では何が違うのか。

それはその鑑賞者の作品を見る目だ。

人の見る目

見る目は人によって違う。今まで育った環境、出会った人、触れた景色など様々なフィルターがかかって作品自体の価値も変わる。

だからもちろん正解はない。捉え方はそれぞれ。

だから芸術は難しい。奥が深い。

芸術家は見る目を養わなければならない

だが芸術家は違う。自分の見る目を養わなければならない。

SNSが生活の中心になっている現代で見た目の良い作品ばかりが注目される。「映え」に象徴されるように、いかに見た目をよくするか、言い方を悪くすれば、そこまでよくない物も加工によって映えてしまう。

人は人からよく見られたいし、よく見せたい。だから加工する。加工する技術ばかり磨こうとする。

芸術においてもそう。見た目だけに縛られて大事な本質がごっそり抜け落ちた作品が評価されたりする。

見た目に縛られるな。見る目を養え。

自分が良い作品と出会い、よく見ること。日々ごみの中から芸術を探すこと。

そうやって見る目を日々養うことで自然と見る目が養われ、最終的に自分の作品へと消化されていく。

ごみか芸術か

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