今、結構落ち込んでいる

前回の投稿から、4か月が経過している。その時の記憶がほとんどないぐらいに遥か昔のことのように感じられるけど、言葉にしてみるとたったの4か月。日々の密度がとても濃ゆいということだろうか。

いつの日からか、人生に「楽しい」という感情が芽生えた。昨日、温泉に行き、いつからこの「楽しい」があるのか思い返してみたら、つい最近、久しぶりに職場で泣いた日のことを思い出した。その時かなと思った。

仕事をしていると、これを実行するために、誰にどの情報が必要なのかを考えることは当たりまえで、職場の仲間が同じ方向を向いて、かつ同じ熱量で向かっていくことが、私の仕事観のなかで結構大きな割合を示している。だから、それがないがしろにされるとすごく悲しい気持ちになる。そして、それがないがしろにされた出来事があり、職場ですごく泣いた。

でも、それも結局は自分が勝手に絶望しているだけだということもわかっている。勝手に期待して、勝手に裏切られた気持ちになって、そして勝手に落ち込んで泣く。大人になり、熱意だけでは人生は乗り切れないことを知る。私自身の自己満足のために、勝手に熱くなっているだけだから。他人のせいではない。そこは私自身が勘違いしてはいけないところである。

自分が生きる上で、”軸”となるものを改めて立て直したいと思っている。

「開かれた世界」という概念を作ってから、早7年が経過しているが、果たして、今の私はそれに向かって、それを形にできているだろうか?と不安になっている。いつまで経っても、これでよいのかなと思ったりしている。今のままで大丈夫なのか?って、不安になる時もある。

あの頃に夢焦がれた、「見たい世界」「作りたい世界」で、私はいま生きていけているだろうか?それって、どういうときにこれでいいんだ!これでよかったんだ!って思えるのだろう。不安になると、よかったんだという基準もだんだん大きくなっていくように思う。小さくて良いのに。それすらも見失っていく。

今、少し元気がない時なのかもしれない。小さくとも私の世界を照らしてくれるものにすがりたい気分なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?