人間は人間の中に生きている
「人間は人間の中に生きている」と思う時がある。
少し前に、リアリティとアクチュアリティというワードを知った。リアリティとは、つまりは現実的な感じだ。規則やら、法律やらっていう私の中になかなかスッと浸透しない類のものである。
アクチュアリティとは、少し精神世界のようにもなるけど、物と物の「あいだ」であったり、空間にあたる。
それらを大好きなベーグルで例えると、リアリティとはベーグルの味、形、何を挟むか、どうやって食べるか、値段はいくらか、誰がどのように作っているか、にあたるだろう。
アクチュアリティになると、ベーグルそのものなのだ。正確にいうと、ベーグルが自身も含めて周りにホワホワ〜と醸し出しているもの。それらのことをアクチュアリティと言う。
前置きが長くなってしまったのだが、私はそういうアクチュアリティの世界観に触れる機会がこれまでに何度かあった。身体でも心でもない、何か別のものが繋がっているような感覚だ。
その世界が一体なんなのか、その世界が一体どこにあるのか。すごく不思議に思った。
その話をどこかで誰かとしていた時に、その人は現実社会に例えて説明をしてくれた。自分を中心とした時に、まず周りにあるものを「社会」と呼ぶならば、さらにその周りにあるものは「世界」なのだ…と。
なるほどと私は思った。確かに、その話はとても納得がいった。自分の実体験からしても、筋が通っている。しかし、同時に思った。
その構図は、おそらく人間の内側にも存在するのだと。まず自分を中心として外側に向かって、「社会」、「世界」とするのならば、自分を中心として、内側に向かって「社会」、「世界」があるのだと。
外側方面の「世界」を知ることは、同時に内側方面の「世界」を知ることにも繋がるのだ。
なんだか疲れたので、続きはまた次回。