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わたしにとって。デザインとは、「いい感じの棒」だ。




UXリサーチャーとして、ものづくりの現場に携わり始め、半年経つ。将来的にはデザインにも手を伸ばしていきたいな〜と考えつつ。

朝、近所の山を散歩している時、そんな自分にとって「デザイン」って何だろう?と考えるきっかけを得た。結論から言うと、デザインとは「いい感じの棒」だ。

「いい感じの棒」とは。

ワンピース読者の方であれば「空島編のあれか」とお察しなのではないか。空島という未知の世界の探索中、ルフィが「いい感じの棒」を手にするのをみて、チョッパーが目をキラキラさせるあれだ。

恐らく、少なくない人が(多分)、幼少期(大人でも)にこの「いい感じの棒」を手にし、
ぶんぶんしたりツンツンしたり掲げたりしながら、、、未知の世界への冒険に挑んだ記憶があるのではないか。わたしもその一人だ。

引っ越してからの日課にしている山中の散歩の際、わたしは、山道の入り口で必ずこの「いい感じの棒」を探し、手に携えて行く(そして出口のあたりで、他の人も使えるように置いておく)。

「いい感じの棒」は、なんだっていい。その辺の木や植物が倒れたり落としてくれたものだ。見つけるのは難しくない。その辺に転がってる。ちょっと見渡して、腰をかがめて拾えば比較的誰でも手に入る(腰の痛い時、手が塞がってる時、怪我してる時、不自由のある場合には難しいかもしれないが…)。

そしておそらく、おそらく、、、。幼少期に「世界に分け入る際のお供」として、「いい感じの棒」は、誰しもの記憶に潜んでいるのはないか。


「いい感じの棒」の効果


その1。いい感じの棒を手にすると、自分があたかも「冒険者」のような気持ちになる。冒険者モードなので、普段の自分とは見るものが変わったり、同じものを見ても感じることが変わる。そして何より、心はワクワクに満ちている。

その2。いい感じの棒は、身の支えになる。山道や草むら、河川敷など普段足を運ばない場所は、坂があったりボコボコしてたり味噌があったり石や木やその他障害物があったり、あまり安定してない。そんな時、たとえば傾斜のきつい山肌を登る際には、棒が身の支えとなってれる。

その3。リスク回避。山や草むらなど、人の手があまり入らない場所では、獣道の横から草がツンツン出る。たとえばわたしの母のように肌が繊細な場合、とある草に触れただけであっという間にかぶれたりする。なので、手を触れないように、棒を使って草を押し除け、自分の通り道を確保する。その他、特に夏には、道を壮大に跨ぎご自宅を設営される蜘蛛の方々ともよく遭遇する。目で発見できれば、彼らの立派なお宅を破壊せぬようリンボーダンスで通るのだが、悲しいかな、気付けずに「顔面直撃→ペッペと払う」の展開もしばしば。そんな互いにとっての悲劇を防ぐためにも、自分の身の丈の範囲で(無駄に壊さないように)、自分の前方で棒を泳がせながらすすむ。

その4。安心感。上記2,3のはたらきにより、未知の世界へわけ入る際の恐怖感は少なからず軽減される。そして、好奇心探究心冒険心といった「ワクワク感」に自らを先導させ、より未知の世界を楽しむことができる。

その5。興味関心をアクションに転換してくれる。未知の世界を探検していれば、「あれはなんだ」「気になる」というものとの遭遇はほぼ確実だ。でも、「汚いかも」「危ないかも」「噛まれるかも」「なんか出てくるかも」という気持ちから、目で観察して終わるか、写真をとって終わりがち(わたしの場合)。
でも、手にいい感じの棒があれば。そう。つっつくことができる。つっついてみて、その反応や感触を確かめることができる。ただ目で観察するより、もっと多くの発見をすることができる。「?」→「!」へのアクションを起こしやすくしてくれるのだ。

以上の効果により、「いい感じの棒」は、未知の世界に誘い、普段とは違うものを目にし、普段は取らない行動へと導き、恐怖感から自由になり、よりワクワクに浸らせ、ワクワクに導かれるままに未知の世界を楽しみ、かつはたらきかけるための、シンプルでお手軽なお供だと言える。


デザインとは、「いい感じの棒」だ。


さて、改めて。わたしは、デザインは「いい感じの棒」だ、というか、そうであって欲しい、デザインをそのようなものとして表現したいと感じる。

30年生きてきて、やっと最近デザインというものに仕事として関わり始めた自分。何かを思い描いたり、つくったり、投げかけてみて、反応をみたり。本当に楽しい。それ以前の経験は決して無駄ではないが、もっと早く、ものをつくることに仕事としてかかわってみたかったと思う。

なぜこれまでかかわってなかったかといえば、そもそも自分の中で選択肢に登らなかったからだ。デザインとは、類稀なるセンス、ストイックさ、情熱、専門性、それらを磨き続ける覚悟がないと踏み入ってはならない領域で、自分には関係ないもの。そのように脳みそが判断し、自動消去していた節がある。

でも、デザインって、きっとそうじゃない。世界に分け入り、知り、つくり、はたらきかけてみたい。そんな自然の欲求に、そっと寄り添ってくれるようなものだ。そして、それは普段の生活を冒険に変え、恐怖感を除き、時に支えとなり、軽なアクションに、ひいては心に思い描いたものの実現へと、導いてくれるものだ。

自分の体験や仕事を通して、デザインがそんなふうに伝わっていったら良いな。そしてそんなデザインを通して、誰かのささやかな冒険心が世界にはたらきかけ、世界の面白さを明らかにしていくような、、、そんなシーンに寄り添ってみたいな、、、。


なんて思った週末でした。
わたしにとって。デザインとは、「いい感じの棒」だ。

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