餃子はご飯のおともじゃなかったのに!
皆様にとっては、餃子とはご飯のお供ですか?
私にとってはご飯のお供じゃなかった
ことの発端は、以前私が書いたnoteの記事、
それもnoteを初めて2記事目の
「餃子はご飯のお供になるか否か。」という記事にて
私は、餃子を20数年、しっかりと食べる経験が少なく、
家庭でも餃子が食卓に並ぶ時、
ご飯のおかずとしてではなく、食前に並べられていて、
別にご飯と一緒に食べなくてもよいという環境で育ったため、
餃子を白米と食べることに慣れておらず、
もっと餃子を食べて経験値をあげてから
お供になるかどうか考えたいという結論に至りました。
この記事を公開してから、
よくこの話題を用いて初めての方とお話することが多いのですが、
ツイキャスなどの配信アプリのコメントで、
多くの人が自分はご飯のお供にもなるし、
お酒を飲む時のおつまみにもなると言う方が多く
人気のメニューであることを実感しました。
さらにスタエフというラジオアプリでは、
餃子にちなんで、ドラゴンボールのチャオズの声真似も含めて
この話を公開したところとても人気の投稿となり、
たくさんのコメントをいただけました。
スタエフはなかなか更新できてないのですが
他にも結構おもしろおかしくお話しているのでぜひ聞いてください!
まあそんな感じで
記事やスタエフを聞いてくれたらわかると思いますが
私は餃子を食べ慣れていないということです。
それなのになんと餃子パーティが開かれた
そうです。開かれたのです。私の実家で。
これは、私が企画していたジェンダーリビールパーティをするために
お腹の赤ちゃんの性別発表を配偶者、祖父母とマザーに行うために実家に行った時に行われました。
アメーバブログでこの日のことを書きました!
ちょっと残念な結果になってしまったけど、
他の妊婦さんに参考になると思うので、ぜひ読んで欲しいです。
その他にも、このジェンダーリビールを行うことで、
性別と色の関係性に悩まされて自己解決したという話をnoteでも合わせてしましたので、そちらも読んでくれたら嬉しいです!
私にとっては、ジェンダーリビールを行えればあとの
晩御飯などはどんなものが出てきてもいいよと祖母に伝えてはいましたが、
祖母から、お父さんが作る餃子パーティーにするねと返信があったことに
私はかなり困惑してしまいました。
餃子をご飯のお供にするというのにも慣れていませんでしたが、
餃子「パーティ」ということと「お父さんがつくる」ということに疑問を感じたからです。
私の人生を綴ったnoteの記事を読んでくれればわかるかもしれませんが
私のおうちは決して家庭環境がいいおうちではありません。
特に家族の仲はぐちゃぐちゃで、
私の結婚を機に20数年をかけて、ようやくまとまったところでした。
祖父とは挨拶もかわさない私。
祖父の葬式には泣くわけないと言い張ったママ。
私の学校帰りに男の子といるのを見かけて窓から気持ち悪いと叫んだ祖母。
なんでお前のために旅行についていかなきゃいけないんだと祖母に冷たくする祖父。
それぞれがそれぞれに、憎しみや悲しみを抱き、そのことに悩んだ人生だったと思います。
そんな家族が餃子パーティ〜?
「祖父が作る」餃子パーティだって?
祖父が料理をするの!?
私にとっておじいさまは、友達のおじいちゃんや、ドラマやアニメのおじいちゃんとは全然違う存在です。関わりが少ないのです。
必要最低限のことはできる人だとは思いますし、
最悪おばあさまが何もしなかったらちゃんと自分で家事をできる人だとは思うのですが、
料理をしているところは、お好み焼きや焼きそばをホットプレートで作る以外は見たことがありませんでした。
なんなら家族のために何かをするということはあまり好きそうじゃなく、お金を家族に渡すために働いてくれるということ以外は、
例えば悩みを聞いてくれたりだとか、
褒めてくれたりだとかはほとんどない人でした。
私の中では、お付き合いしてくれていた男の子の胸ぐらをつかんだことが一生のトラウマになっているので、あんまり関わりたくない存在でもあります。
そんな人が、こねこねしてちまちまと餃子をみんなのために包んで焼いてくれるんだって〜!?
ママが親と3人ですごすという奇跡
さらにこの餃子パーティエピソードには、私にとってもっと驚くべきイベントが発生しました。
それは、さすがに5人分の餃子を包むのに、おじいさまだけでは足りないから、ママが祖父母のお手伝いに駆り出されたということです。
私にとっての育ての親である祖父母。
つまりママにとっての親。
私と祖父母の仲の悪さより、もっとずっと深い溝がママと祖父母の間にはありました。
ママは私と会いたいといいながらも、
クリスマスや私の誕生日の日、お正月などに、
私が暮らしている祖父母の家にはあんまり近寄りませんでした。
なぜならママは祖父母に会いたくないからです。
特に、間に他に誰かがいないと絶対に近寄りません。
そんなママが、たった1人で、祖父母と一緒に餃子を包むなんて〜!
そしてママは、この餃子パーティの最中に
「お父さんはすごいんだよ〜、ママが小さいときにおいしいホットケーキを作ってくれたの〜」
とか
写真を見返しながら
「お父さんはスキーに連れてってくれたの〜」
とかおじいさまとの思い出を語ってくれました。
おじいさまも、「俺も意外と父親らしいことしてたんだな」なんていっちゃって。
帰りの車の中でママは、
「お母さんが全然お父さんに優しくないのに腹がたった〜」
とおじいさまの肩を持つような発言もしていました。
ママきっと30何年ぶりに、二人の娘になれたのかなとちょっと感動した部分でもあります。
たかが餃子パーティにいろんな思いを馳せて
ママと祖父母が3人で包んだ餃子を、
おじいさまは、どの餃子がどんな皮で、どんな代物なのか解説しながら
しっかりとおいしく焼き上げます。
この日、味噌汁以外はご飯のお供は餃子しかなくて、
私にとってはチャレンジだと思いながら食べたけど、
全然餃子はご飯のお供じゃん!!
これは
間違いなく、今まで食べた中で1番おいしい餃子だ!
ママが娘として、祖父母と関われたことに嬉しいなと思いながら、
そして私が配偶者を連れて行っても、誰も私の配偶者に文句を言わないことも
普通の家庭ならきっと普通のことなんですが、
私にとってはどれも初体験で、嬉しい感情が湧き出てくるのです。
ただみんなで餃子を食べただけなんですが、
これがきっと子供の時から起きていれば、
もっと昔から餃子はご飯のお供だったのかもしれません。
ジェンダーリビールパーティに喜ぶ家族たち
餃子をある程度食べたあとに、
お待ちかねのジェンダーリビールのサプライズをしました。
誰も赤ちゃんの性別は知りませんでしたが、
ケーキの中身で性別が知らされるというのだけ知っていたので
中身が青色と判明し
ママは、やっぱり男の子だ〜と叫び、
おじいさまは、よかったね男の子と喜んでいる様子でした。
その空間には、
憎しみや恨みを抱えた深い溝があった家族なんて1人もいなかったです。
普通の家族になった気がしました。
餃子はご飯のお供か否か。
そしてこの答えが今はっきりとわかりました。
ご飯のお供です。
楽しく美味しく食べれるものはご飯のお供になります。
餃子はご飯と一緒に食べてもとっても美味しいと思えたのです。
それはもしかしたら家族が家族らしく食卓をかこめることができたおかげかもしれません。
このときの少しあまった餃子を、持って帰って、
次の日も配偶者とご飯のお供として楽しく食べました。
以前に書いた記事では、
人それぞれでしょうと書いたのですが、
もしご飯のお供じゃないと思っている人は、
ご飯のお供にしたいと思えるくらいの
心のそこから美味しいと思えるできごとが
まだ起きてないだけかもしれませんよ〜。
読んでくれてありがとうございました!
あなたにとっては、餃子はご飯のお供ですか?
この記事を読んでいるアダルトチルドレン・家庭環境に恵まれなかった子達へ。
少しでも家族の仲が年齢や時間とともによくなることもあるという希望になれたら嬉しいです。
今辛いことがたくさんあるけど、きっとそれはどこかで素敵な考え方を持てるきっかけになったり、心を強くしてくれる1つになります。
どうかどうか何か希望になりますように。