健康的な食生活──めかぶ、もずく酢、ヨーグルト、うどん、キムチ納豆、コーヒー豆
近頃の私の健康的な食生活は下記である。第1章ではめかぶを、第2章ではもずく酢を、第3章ではヨーグルトを、第4章ではうどんを、第5章ではキムチ納豆を、第6章ではコーヒー豆を、それぞれ紹介していく。人の体はその人が食べたものでできていると言われているが、もしそれが本当だとしたら──。早速見ていこう。
1. めかぶ
めかぶという食べ物がかなり好きだが、めかぶという食べ物がかなり好きなことをすっかり失念しており、スーパーマーケットに買い物に行ってもめかぶを買ってくることはこれまでなかった。ある時、それはちょうどスーパーマーケットで買い物をしている最中、天啓によってめかぶという食べ物が好きなことを思い出した。買ってきた。買ってくることができてよかった。めかぶの一体何がおいしいのか自分でもよくわからないが、かなり美味しく感じる。味の付いていないやつが好みである。めかぶというのは、わかめの根元みたいな部分のことであり、エミール・シオランは『生誕の災厄』という「生まれてこなければよかった」みたいなことが論じられている暗い暗い本を書いたが、わかめの根元みたいな部分を食べてみようと最初に思った人が生誕したからこそ我々は美味しいめかぶを食べることができているわけで、わかめの根元みたいな部分を食べてみようと最初に思った人は本当に心から生誕してよかったと思う、とエミール・シオラン『生誕の災厄』には記述されている。私もそう思う。私はエミール・シオラン『生誕の災厄』を1文字も読んでいない。私には野菜を食べる習慣がなく、習慣にしようと思って試みても結局は難しくて挫折、しかし、めかぶなら習慣にできそうである。めかぶを毎日食べることを習慣にしてからというもの、滅入っていた気分は回復し、低迷していた売上は上昇し、滞っていた読書は進捗し、気の合う素敵な恋人ができ、我々は幸せに暮らした。
2. もずく酢
かつてSNSでキャベツの酢漬けを食事の前に食べると健康によい、というのを見つけ、私はこういうのを見つけると「よし、やろう」と思うことになっているから、スーパーマーケットに行きキャベツの半切りとリンゴ酢を買ってきて、大きなジップロックに刻んだキャベツとリンゴ酢を投入して漬け置き、然る後にSNSに記述されていた通りに食事の前に食べることにした。最初は健康によいからと嬉々として食べたが、2日目あたりから、どうやら私は酢というものがかなり苦手だということに気づき、食べていても全く楽しくなく、苦痛ですらあり、しかし自らの手で作った大量のキャベツの酢漬けが冷蔵庫に待ち受けているのであり、以降の日々は殆ど泣きながらキャベツの酢漬けを消費する毎日であった。今年一番つらかった出来事がこれだ。SNSにはキャベツを漬けた酢の汁も完飲するべきと書いてあったが、さすがに無理な難題であった。以降、酢を敵対視し、視界に入れないようにしていたが、どうしてもSNSで時折、酢は健康によいという情報が流れてきて私を誘惑してくる。ある日、いつも通りスーパーマーケットにめかぶを買いに行った私の非凡な観察眼は、隣にもずく酢があることを発見した。しかも結構安い。買ってきて食べてみると、そんなにきつい酢の感じではなく、量も多くないし、これならなんとか食べられそうだと思った。三杯酢タイプと黒酢タイプとがあるが、甘いのが苦手で、三杯酢の方が好みである。もずく酢を食べることを習慣にしてからというもの、驚くほどの体力がみなぎり、一切の風邪をひかなくなり、限りない知性が備わり、一生ものの趣味を見つけ、幸せに暮らした。
3. ヨーグルト
これもやはり天啓だと思われるが、偶然にもスーパーマーケットのヨーグルトコーナーを闊歩していた際、「あ、ヨーグルトが食べたい」と思った。このようなことは今までになかった。カレーやタンドリーチキンを作る際にヨーグルトを購入したことはあったが、純粋な動機でヨーグルトと向き合う日がくるとは思わなかった。ヨーグルトの側はいつも私を見ていて、購入されるのを心待ちにしていたかもしれない。二人の物語がこれから始まる。ヨーグルトはよい。プレーンの甘くないやつだが、とても美味しく感じる。小腹が減った時などに食べると空腹が満たされる。400g入りで、パッケージには1日100gを目安に食べましょうと記述されているが、一度に400g食べちゃう。ヨーグルト400gを食べ終わると、体重がしっかり0.4kg増加しており、この世界の物理法則が正常であることをはっきりと確認することができる。ヨーグルトを食べることを習慣にしてからというもの、抜群に目覚めがよく、朗らかでユーモア溢れる人間になり、何らかのすごい賞を受賞し、まるで高級ホテルのような邸宅に引っ越し、私とヨーグルトは幸せに暮らした。
4. うどん
過日、YouTubeにおいて裏さらばというとても楽しいチャンネルを見ていたところ、某芸人さんの自宅の冷蔵庫内にスーパーマーケットのデイリーコーナーで売られている定番の廉価なうどんがたくさんあるのが発見され、「うどんが大量にあるわ。懐かしい。マジ自炊してた頃の俺んちの冷蔵庫や」と某芸人さんBが言い、近頃では私も節制を志向してうどんばかり食べており、それはうちの冷蔵庫と同じような状態であった。今年の夏、私は白飯にサルサ(トマト、玉ねぎ、セロリ、ピーマンを刻んだものに塩とタバスコをかけて混ぜ、冷蔵庫で保存したもの)を載せ、チーズ、ツナ缶(サバ缶でもいい)、納豆、アボカドのうちから任意の数種類をトッピングし、その上からレトルトカレーのルーをかけたもの、これが世界で最も美味な完全食であるという世紀の発見し、レトルトカレーは近所のスーパーマーケットに陳列されているものを端から一種類ずつ選定していくことによって毎日違う味が楽しめると同時に美味しいレトルトカレーを見つけることができ、アボカドの種は水に漬けておくことで発芽するから観葉植物として楽しめるという、一石百鳥くらいあるのではないかという天才的な暮らしの作法さえも発明し、その完全食生活を2週間くらい続けていた。だが、やがてその楽しさは飽和し、私の天才性は消尽し、最後の方はレトルトカレーの顔も見たくない、サルサを噛んで飲み込むのも忌々しい、何のために大量の発芽したアボカドを鉢に植え替えて水をやっているのかよくわからない気分になっており、これが今年二番目につらかった出来事である。アボカドという植物は生命力が非常に強いから、それらアボカドは未だに枯れずにリビングに陳列されていて、気が向いた時に水が与えられることになっている。今日は気が向いていないので水をやっていない。スーパーマーケットで買ってきたアボカドを発芽させて育てても実をつけることは決してない、とYouTubeで植物系YouTuberの人が言っていた。かくの如く、あんなに美味しくて栄養も完璧なレトルトサルサトッピング丼は2週間で飽きられたわけだが、いま食べているうどんについては1ヶ月くらいほぼ毎日食べていても飽きることがない。かつて蕎麦で同じことをやったことがあるが、やはり2週間程度で飽きた。うどんはすごい。全く飽きない。うどんの飯言葉は「永遠の愛」とかだと思う。つゆは白だしであり、おそらくこの白だしが美味しく、飽きなさに大きく加担しているように思われる。白だしのだし言葉は「最後の恋」とかだと思う。具は、鶏もも肉、ねぎ、舞茸、しいたけ、油揚げ、高野豆腐である。鶏もも肉はスーパーマーケットで割引になっているやつをたくさん買ってきて1食分ごとに小分けして冷凍保存しておく。きのこ類や油揚げも同様である。ねぎは冷凍せずに都度切る。まな板でものを切っている時にはまな板でものを切っていることだけを考えていればよく、まな板でものを切ることについて面倒に思わないこともないが、いざやってみれば好きな時間である。
5. 納豆キムチ
やはりSNSにおいて、納豆とキムチの組み合わせは菌が腸内でなんやかんやの作用を発動するから健康によい、というのが流れてきて、納豆とキムチを買ってきた。蛯原友里さんがそのように言っていた、という投稿だったと思う。蛯原友里さんについて私はよくわからないが、RIP SLYMEのILMARI氏の配偶者だったと記憶しており、検索で調べてみたら確かにそうであった。なぜそのように記憶していたかというと、私のかつての恋人がILMARI氏をかなり好きだと言っていたのを覚えていたからである。件の婚姻のニュースが報道された際、「ILMARIも結婚したし、うちらも結婚するかー」と私は言わなかった。雪国で我々は出会った。お昼休みに自分で作ってきたと思われるお弁当を時間をかけて食べているところ、食べ終わっても携帯電話を眺めたりすることなくぼーっと天井などを眺めているところなどに好感を持った。数度の食事を経て、花火大会に誘い、帰り道で告白をし、交際することとなった。後にも先にも畏まって告白なんてすることはこの時だけだろうと思われる。私の2歳年上で、これまで交際経験はないと言っていた。私より2cmほど背が高かった。私は年上の背の高い人が好きだから、その点もよかった。やがて私に理不尽な引っ越しが襲来して遠距離になり、いろいろなことがあって別れ、いろいろなことがあって復縁し、やはりいろいろなことがあって別れ、いろいろなことがあって復縁した後に秒で別れた。我々はお互いにあまり喋るタイプではなく、特に肝心なことを話すことを避ける傾向にあったように思う。お互いに気持ちはあっただろうけど、好きなだけじゃだめなんですね。納豆キムチを食べることを習慣にしてからというもの、東の空から日が昇り、自転しながら公転し、健全な精神が確立され、二人の関係についての脱構築がなされ、それぞれ幸せに暮らした。
6. コーヒー豆
初夏の頃のAmazonのセールで、コーヒーミルとコーヒースプーンとコーヒードリッパーとコーヒーフィルターを購入し、爾来、近所のコーヒー豆屋さんにコーヒー豆を買いに行くのを楽しみの一つにしている。かくの如く、私は時々「爾来」という言葉を文中に使用することがあるが、これはかつて読んだスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』の日本語訳の書き出し文で唐突に「爾来」という言葉が使用されており、最もキャッチーであるべき書き出しにおいてこのような一般的に聞き慣れないであろう言葉が闖入していたことが印象的で、爾来、チャンスがあったら「爾来」を使うようにしている。「爾来」という言葉を見たこと・聞いたことがなくても、文脈で意味がなんとなくわかるっぽい絶妙な感じを好ましく思う。そのうち「博学才穎」とかも使っていこうと思っている。コーヒーミル等を購入する以前は、セブンプレミアムのインスタントコーヒーをセブンイレブンで購入して飲んでいた。このセブンプレミアムのインスタントコーヒーはかなりおいしい。数々の検証の末、これに辿り着いた。1ヶ月に一度は我が家に来ることになっている私の友人Aは、出されたこのインスタントコーヒーについて「え、このコーヒーめっちゃうまくない?」とかれこれ5回は言った。5回も言うということはかなりおいしいに違いない。ただ、この友人Aは自称グルメであり、日本中のありとあらゆるおいしいものを食べ歩いてきたと豪語しているが、食べ方が滅茶苦茶に汚く、その評価を当てにしていいのか私は正直わからないでいる。私は深煎りのコーヒーが好きだ。近所にコーヒー豆屋さんが2店あることは事前の散歩にて把握しており、そこから豆を買って、ミルで挽き、ドリッパーでドリップして飲むことが習慣になった。私は運動をする習慣がないが体を動かすことは嫌いではないため、ミルを回して豆を引くという運動を朝イチですることができて、見事に運動不足も解消され、ますます健康になるべきであった。やがて調べてみるとコーヒー豆屋さんは行動範囲内に5店ほどあることがわかり、新たなお店、新たな豆を開拓することができ、近頃ではコーヒーのせいで生活がとても楽しい。件の友人Aがうちに来た際、当該ドリップコーヒーを提供したところ「うまい。え、正直、今まで飲んできたコーヒの中で一番うまい。これ世界一うまいんじゃない? カフェ開いたほうがいいよ。俺、こういうのに関してはお世辞とか一切言わないんだけど、まじで本当にレベチでうまい」と言っていて、やはりその評価を当てにしていいのかわからない。コーヒー豆からコーヒーを淹れて飲むことを習慣にしてからというもの、カフェインの作用によって頭が冴え渡り、血流が良くなり、その他エビデンスのあるなんやかんやのポジティブな作用がポジティブに作用し、開業したカフェは末永く繁盛し、皆、幸せに暮らした。めでたしめでたし。
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