青識亜論「ツイフェミはフェミサイドを治癒しない」を読む
(2021/09/03追記:読み返して、説明不足と思われる部分に「*」マークで囲い、補足を加えました)
目下、『Daily WiLL Online』様で小山田圭吾問題について語っております。
もっとも、もう少ししたら例の「フェミサイド」についての記事も発表される予定ですが、それにちょっと先んじて、「青識亜論へのツッコミ」のお時間がやってまいりました。
詳しくご説明する必要もないかと思いますが、「弱者男性」、「無敵の人」とも呼び得る人物によるテロ事件が発生、女性が標的になったがため、フェミニストたちが「フェミサイド(女性殺害)」として大騒ぎ。青識がそれに異を唱えた――というのが前提となる経緯です。
毎度毎度、ぼくはこの方が長文を書く度、「こいつ長文に向いてない(大意)」と述べてきました。ぶっちゃけこの方の文章には論理性というものが坂爪真吾の1.25倍くらいしかなく、その場その場で煽情的なアジテーションをする術には長けていても、「考えをまとめる」ことには向かない方なんじゃないかなあ、というのが、ぼくの評価でした。
今回もその評価に変わりはないのですが――しかし参りました。
少ない時間を工面して、悪戦苦闘して長文をしたためていたところ、青識自身が記事に補論を加筆。
それがそれまでの論旨を真っ向から否定するもの(であることに、青識自身は気づいていないでしょうが)。
こっちとしては暴れ馬に乗っけられたような気分で、加筆に加筆を繰り返しているうちに頭がこんがらがってきました。
一時は没にしようかとも思ったのですが、せっかくなので、一度書いたものを再構成することに。
以下、青識のnote記事(以降、「青識稿」)の目次タイトルごとにツッコミを入れますが、そんなわけで順序は青識稿のそれとは異なっています。
まあ、以上のように今回、いつも以上の手間をかけることになったので、どうぞガマンしてお読みください。
・「「パレットーク」マンガの批判的検証」を読む
まずこの「青識稿」、タイトル自体が「ツイフェミはフェミサイドを治癒しない」であり、またそれとは別にヘッダ画像に「Twitterフェミニズムの致命的な思い上がり」と大書。つまり、あくまで主語は「ツイフェミ」なのです。
ここ、ポイントなのでよく覚えておいてください。
本文に目を移すと、青識の攻撃の矛先は「マンガでわかるLGBTQ+「パレットーク」」が投稿した漫画に向けられます。
よく知りませんが、そういうツイッターアカウントがあるようで、以降は略して「パレットーク」と呼称します。
この漫画では以下のように容疑者の供述が紹介されます。
大学時代にサークル活動で女性から見下された 出会い系サイトで知り合った女性ともうまくいかなかった 勝ち組の女性を殺したいと考えるようになった
そしてそれに続き、ミソジニーの解説。
「男同士でもつまんね~ 女の子呼べよ~」「セックスしたいから彼女ほしい~」「お前も早く嫁さん持て! 帰って飯がある生活はいいぞ~」「女子が入れるお茶の方がうまいな~!」知っておいてほしいのは、これは全部ミソジニー(女性蔑視)が根底にある発言だということ。
* * *
そして、元の漫画を読むとこれの次に「負け組」認定された生きづらい男性が、女性を憎むようになる。しかし「負け組」になったのは女性のせいではないのだ、と主張されます。
* * *
これに対し、青識は「この流れには驚くほど論理的関係性が存在しない。」とし、以下のように論理を整理します。
女性を「モノ扱い」する価値観が社会的に共有される(ミソジニー)
↓
女性が誰か特定の男性を相手にしない/見下す
↓
モノでしかない劣った存在(=女性)にさえ相手にされない/見下される人間は「負け組」であるとの思考につながる
↓
「負け組」レッテルの発生
そしてこれに対し、以下のように突っ込むのです。
男性の憎悪の由来は、あくまで「女性から見下された」「女性ともうまくいかなかった」でしかない。
(中略)
だが、そこには漫画が示唆するような「ミソジニーから生まれた負け組レッテルによる憎悪」を明示的に読み取ることはできない。
一応、これには首肯できるのですが、しかし次はどうでしょうか。
男性の言葉から読み取れるのは、ただただ「女性に見下された」「うまくいかなかった」ことへの恨みつらみであって、そこから「女性一般への憎悪」「ミソジニー」そして「社会の空気」が犯罪につながったというのは、マンガ作者の手前勝手な解釈でしかない。
仮にですが本件が「自分を見下した特定の女性への凶行」だったならば、許されることではないとはいえ、「女性一般」へと憎悪を広げたとは言えない。
また、容疑者の供述は殺す相手が「誰でもよかった」のか「(女性であるならば)誰でもよかったのか」が今一判然としない。
そんなわけで現段階でフライング気味の批評を量産すること自体が、あまり好ましくないのですが、小銭を稼ぐためにも敢えて続けましょう。
青識は上にもある通り容疑者の「女性から見下された」「女性ともうまくいかなかった」を重視しているのだから(これを重視すべきかどうかは何とも言えないけれども、その青識のスタンスを正しいとするなら)、やはり「女性一般」への憎悪はあったんじゃないでしょうか。
上に挙げた青識のフローをもう一度ご覧ください。
女性を「モノ扱い」する価値観が社会的に共有される(ミソジニー)
↓
女性が誰か特定の男性を相手にしない/見下す
↓
モノでしかない劣った存在(=女性)にさえ相手にされない/見下される人間は「負け組」であるとの思考につながる
↓
「負け組」レッテルの発生
これをもう少し、簡略化したらどうでしょう。
女性が誰か特定の男性を相手にしない/見下す
↓
「負け組」レッテルの発生
これだけで成立しちゃってますよね。
パレットーク師匠はこのシンプルなフローに二つ、余計なもの(容疑者にはミソジニーがあった、そうじゃなきゃイヤだ)を付け足し、わけのわからないものにしているのです。
青識はこの漫画の卑劣なやり方に憤り、
いまわしい悲惨な事件を利用して、まったく無関係な運動に人々を動員しようというのだから。
これはもはや「政治的火事場泥棒」というほかない。
あまりにも厚顔無恥な主張だ。
と痛烈に批判します。
これに、ぼくも完全に同意します。
いや、もちろん、同意はするのですが、しかし……何だかおかしくないでしょうか。
青識の指摘はそれはそれで、全くの正論ではあるけれども、ぼくの指摘を踏まえた上で見ると、「何だか突っ込みどころ違くね?」との感想が湧くのではないでしょうか?
そう、青識がなすべきツッコミは、「容疑者にミソジニーがあったとは言えない」ではなく、「そもそもお前らの言うミソジニー定義がおかしいんじゃい!」というものであるはずなのです。
・「補論:フェミニストの「不必要」な論理」を読む
――さて、ここで終わりにしたかったところなのですが、先にも書いた通り、いつのまにやら元の記事に「補論」などというものがプラスされていました。
読んでびっくり、上のぼくの指摘と被るところが大です。
どうなってるんだ……と思いつつ、放置することもできません。
こっちの方もやっつけておきましょう。
このnote記事投稿後、uncorrelated氏から興味深い指摘が寄せられたので、取り上げたい。
とのたまい、青識はuncorrelated氏の意見を引用します(この方、小山エミ師匠が「オカマは女湯に入る権利がある!」と主張していた時、彼女に追従していた方なんですが……)。
「負け組」認定されなくても「女性への嫌悪をためてしまう」理屈であることに、青識亜論氏(@BlauerSeelowe)は気づいているであろうか。
それに青識は我が意を得たと、以下のように評するのです。
容疑者男性の自供から犯行に至るまでの心の動きを描写した3枚目のカットにおいて、パレットークのマンガ作品は「社会からの負け組認定」という要素を挿入しているのであるが、この要素は一切なくても話は成立するのである。
もっと言えば、「ミソジニー」の下りも不要だ。
「女性は自分を見下してくる」
「女性と自分はうまくいかなかった」
容疑者男性の自供から動機を考察するならば、女性から個人的に手ひどい仕打ちを受けたが故に、女性性全体への憎悪につながったというだけで十分なのだ。
どうも、前半は「格差犯罪」という視点を否定したいようにも読め、あまり首肯できませんが、後半になるにつけ、青識の考えはぼくの指摘に近づいてきます。
要は「女にバカにされたヤツが女へと復讐をもくろんだ」。
本件はただそれだけの下らぬ事件です。
ただ、「自分を不当に扱った女」へと報復したのなら、許せないとはいえ、一応のリクツは通っている、しかしながら別な女へと言ってみれば「八つ当たり」した時点で、本件の容疑者の正当性は完全に失われた*1。
ただ、問題はこのパレットーク師匠が、「女にバカにされ、怒った」この男には「最初から女への蔑視があったのだ」との詭弁のチート技を使っている点です。
一般的な考え方をするのであれば、彼女らの言は「容疑者には元からミソジニーがあったのだ、そうに決まっているのだ」との思い込みをさりげなく滑り込ませ、ことの責を「社会」へとなすりつけるものです。
しかし、いつも使う表現ですが、「フェミニズムは正しい」と仮定するならば、「男という男は女を蔑視している」というのが大前提なので、彼女らの言い分は正しいものになってしまう。結局、彼女らを否定するならば、フェミニズムそのものが間違っていたとするしかないのです。
いえ、実のところ青識もパレットーク師匠の言を、女性側の非を「社会」へとなすりつけるものだと批判しているのです。
だが、そのことは、容疑者の自供にない「社会全体の女性蔑視」なる無関係なものの告発に、事件を都合良く利用して良いことにはならない。
もしもどうしても、容疑者の女性への憎悪が社会全体の問題として考察されるべきだという立場にこだわるのであれば。
まず、次のように「男性への蔑視」を煽り立ててきた思想について、批判的・反省的に言及するのが筋ではないだろうか。
そして驚くべきことに「アンチフェミ」界隈で貼られている画像を得意げに並べ立てています。
このような思想を「女性の素直な本音」として語る人々を温存しながら、なお、
「女性は男性であるあなたを見下してなどいない」
「女性の男性蔑視など存在しない」
「フェミニズムは憎悪と戦っている」
と言いうるだろうか。
もう一度、よく考えてみてほしい。
青識の発言に、ぼくは全面的に同意します。
しかし、先に強調したように、彼の記事の主語はあくまで「ツイフェミ」。
後は彼がこの記事のタイトルの「ツイフェミ」の「ツイ」をカットすれば、記事全体に快哉を叫ぶことができるのですが……。
*1 もっとも、本件を格差犯罪として考えた時(どういうわけか青識はその見方を否定したいようですが)、持てる者への憎悪による犯罪という、許せないとはいえこれまた一応のリクツが通った事件として成立してはいます。
青識が近年、「自分はフェミニストだ」とカムアウトしたことは周知です。また、上野千鶴子師匠の弟子である坂爪真吾とも関係を深くしていることも、周知の通り*2。
だからこそ、彼らは「ツイフェミ」を主語にしているのだ、いわゆる学術的なプロのフェミを逃がすためのスケープゴートにしているのだ、とぼくは繰り返し厳しく批判してきました。
にもかかわらずこれでは、開いた口が塞がりません。
いや、これは要するに青識もわかってきたのだ、フェミ全体の欺瞞に気づき始めたのだ、と肯定的に解釈することは不可能では、ありません。
しかし、仮にこれ以降、青識がフェミ全体を批判し始めるのであれば別ですが、そうでもない限り、とても信頼はできません。
*2 坂爪の『「許せない」がやめられない』は「ツイフェミ」を攻撃すると共に、「ツイクイア」などという造語を作り上げるなどして、「都合の悪いことは市井の者に押しつけ、権力者は延命させる」というスタンスの書。青識がこの人物に接近した時は本当にがっくり来ました。
・「男女対立の連鎖を止めるためにできること」を読む
これ以降も、青識は先のパレットーク師匠の無責任さに憤り続けます。
パレットーク師匠が弱者男性の苦しみを、あくまで弱者男性の自己責任としているのに対し、以下のように批判するのです。
「「負け組」というレッテルを貼り、自分を苦しめているのは、「女性」ではない」としつつ、「そのレッテルを貼るのも、自分を苦しめているのも、社会と、周りじゃないだろうか」というのだ。
結局、「女性叩き」には理があるではないか、批判されるのも自業自得ではないかというのが青識の主張です。
もちろん、この辺りは正論であり、ぼくも全力で青識の言に首肯します。
ただまあ、同時に以下のようなことも言っているのですが。
その女性叩きに正当性を与えているのはなんだろうか。
(中略)
結局、それはもう一方の側の「男叩き」ではないだろうか。
もちろん、逆もしかりだ。
(中略)
バッシングがバッシングを生み、加速していく永久機関。
この辺になるとやたらと改行が目立ち始め、青識の筆致も左派様お得意のポエム文体へとシフトしていきますが、何てぇこたぁない、「男叩きも女叩きもどっちもどっち、喧嘩両成敗」と言っているのです。
どころか、私はアンチフェミニストのアルファアカウントとして、眼前の政治的目標のあまり、ときに冷静さを失い、しばしばいたずらに男女対立を煽ってしまったことを告白し、謝罪しなければならないだろう。
同時に、このようなすっとぼけたことも言っており、正直、論理が混乱していますが、要は「喧嘩両成敗」とうことにしてフェミの責任をうやむやにしたいんじゃないかなあと。
先にも青識は信頼できないと書きましたが、そう言い得る根拠は他にもあります。
そもそも青識は、何故このパレットークとやらいう誰も知らない謎のアカウントの漫画に噛みついたのでしょうか。
いえ、この「パレットーク」とかいう御仁、商業出版などもしており、それもメチャクチャ売れてるっぽいんですが、でも名前は聞くの初めてだし、一般的に知名度があるかは疑問ですよね。
答えは言うまでもありません。
冒頭に挙げたタイトル、ヘッダ画像からもわかるように、青識の敵はあくまで「ツイフェミ」だから、なのです。
実のところ本件に対しては、日本のフェミニズムのボスと言っていい上野千鶴子師匠も『AERA』で語っていました。期せずして(本当に期せずして)ぼくは『WiLL』様の記事で、そちらを引用し、批判しています。
それとパレットーク師匠の漫画とを見比べると、驚くべき(ホントは全然驚かないべき)ことが明らかになります。
そう、両者の主張には、何ら違いがないのです。
上野師匠は本件を(非モテの犯罪であると決めつけた上で)「ミソジニー犯罪」と称します。
彼女さえいれば、というのは、実際は、女性1人を所有すれば男としてのアイデンティティが保てたのに、という解釈の方が正しいでしょう。女性は男性のために存在するものだと無意識に思っているのです。
これは先に挙げたパレットーク師匠のうわ言と、丸っきりおんなじではないでしょうか。
「セックスしたいから彼女ほしい~」(中略)知っておいてほしいのは、これは全部ミソジニー(女性蔑視)が根底にある発言だということ。
両者は共に、「女を求めた時点でミソジニーだ」とドヤ顔で断言していらっしゃるのですから。
(もちろん、彼女らに問い質せば「そうではなく相手の女性を一人の人間と見て一対一の対等な関係性を築きどうのこうの」といったさらなるうわ言が聞けることはほぼ確実ですが、では「彼女さえいれば」「セックスしたい」が、女性を対等に見ない見下した態度なのか。ぼくは全く、そうは思いません)
何しろ、容疑者は「出会い系サイトで知り合った女性ともうまくいかなかった」と述べているのです。となると、彼は女性を恋人として求めており、それが叶わなかったという挫折体験がある。仮にフェミニズムを正しいとするならば、この容疑者が「ミソジニスト」であることは自明なのです。
先にも青識が坂爪と接近していることを指摘しましたが、坂爪もまた、東京医大の不正入試の件に「ツイフェミ」が怒ったことでさえ、「怒りの全体化」だと否定していました。上野師匠もこの件に怒りを表明していたのですが、そこはスルーです。
つまりご両人は常に、上野師匠の言はスルーし、同じことを言っている下っ端ばかりを叩いているのです。
「上野様をお守りするぞ」との硬い決意で結ばれた仲間、と評することができるのではないでしょうか。
――いえ。そればかりではありません。
青識は以前、上に書いたパレットトーク師匠、上野師匠と限りなく近いことを言っていたことがありました。結局は同じ穴の狢なのです。
今回の混乱ぶりを見ても「悪意で尻尾を隠している」というよりは、あまりものを考えず、行き当たりばったりに言葉を発しているだけなのでしょうが――さて、その「上野師匠と同じこと」については、久し振りに課金コンテンツにしたいと思います。
何、動画で青識を評した時に言ったことに近いので、そちらを観て代りにしていただいてもいいのですが――。
ただもう一つだけ、この動画の中で「しょせん青識は考えの違う者とは対話を持とうとしない」と主張しました。が、この後、どういうわけかぼくと青識とを対談させたがる人物がいて、青識もそれにおkを出したのです(ぼくのスケジュールの都合で、対談自体は実現しませんでした)。
そんなわけなので、その箇所だけは、取り消しておきたいと思います。
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