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決戦前夜の食事


「じゃあ、行こうか」
 先輩の合図でホテルの部屋を出て歩き始めた。翌日は、いよいよ初の総会での学会発表だった。地方会での発表は何度もこなしていた。
「やっぱり、地方会とは違うんですか?」
 先輩は、一度、僕の言葉に立ち止まった。
「地方会は親戚の集まりみたいなもんだけど、総会は周りはみんな敵だからな」
 そっけなく答えると、ぐるりと僕に背を向け、歩き出した。
「俺もつっこまれたよ」そう言った先輩は、振り向き微笑んだ。「二、三年目の新米研究者に対して、よその大学教授が『ちょっとこの分野に詳しくないので教えて欲しいんですが』って、意地悪な質問をしてきた」
「それはひどい嫌味ですね」
「そんなもんさ。今、緊張してるだろ」
「当たり前です。今日は、寝られないかもしれません」
「だから、美味しい料理と美味しい酒を飲んで、いびきをかいて寝ればいいさ」
「串揚げですよね」
「なんだ、予約する時に大丈夫って言ってたのに実は苦手だったのか?」
「いえ、串カツは大好きです。幼稚園の頃、神戸に住んでいたんですけど、近くに東山商店街ってあって、母親と買い物に行った時には、そこの稲田串カツ屋さんで、鯨カツを帰りに買ってもらって、二度づけ禁止のソースにつけて、歩きながら食べたもんです」
「じゃあ、楽しみだ。ほら、ここだよ」
 先輩に続いて店に入って立ち尽くした。
 ずいぶんと、おしゃれな店内だった。バーのようなカウンターやテーブル席。木の壁は、間接照明に明るく照らされ金色に光っている。落ち着いた大人の雰囲気の店内は、油の匂いがしなかった。
 名前を告げて案内されたカウンター席に座るとおしぼりが出てきた。手を拭きながら、店内を見まわした。れんこんとか、椎茸とか、ジャガイモとか書かれた表札のような木のメニューを探したが、そんなものはどこにもなかった。
「生でいいよな」
 先輩がチラリと僕を見た。
「はい」とうなづくと、先輩がカウンターの中へ声をかけた。
「生二つ、おまかせで」
「あの、先輩……」僕は声をひそめて先輩に顔を近づけた。「おまかせって、ジョッキの大きさですか?」
 先輩は、鼻で笑うと「いや、笑ってすまん。おまかせっていうのは、食べるスピードを見ながら、ストップとこちらが言うまで、どんどん、種類の違う串を揚げてくれるんだ」
 なるほどと言おうとした時に、野菜スティックが目の前に置かれた。さらに、何区画にも分かれた長方形の皿が出された。ソース、ポン酢、塩、レモンなどが入っている。もはや、僕の知っている串カツではなかった。
「食べられないものなどありますか?」
 お店の人の言葉に「大丈夫です」と先輩が答え、僕の顔を見る。
「えっと、くさやの干物とか、ドリアンとか、臭いのきついのはダメですね」
 先輩が、クックックっと声を抑えながら、マナーモードのスマホのように揺れる。
「大丈夫です。そちらはメニューにございませんので」
 笑いを堪えた店員さんの言葉を聞いて、そこで初めて、今からおまかせで順に出てくる串揚げの中から外して欲しい材料を聞かれたのだとわかった。
 この時にはもう、翌日のことなんて忘れていた。
「芝海老の紫蘇巻きです。ポン酢か塩、レモンでどうぞ」
 目の前の皿に出された黄金色の串揚げは上品で焦げ目がなかった。ひらがなの「く」が二つ並んだ串揚げをポン酢につけて口に運ぶ。ぷりぷりした海老の新鮮な味に紫蘇がメリハリをつける。手が込んでるなと感心する。
「生椎茸の海老ミンチ詰です。このままでどうぞ」
 一口でパクリと食べられるほどのかわいさの黄金色の串揚げの上には、白い粉々の何かと緑のバラバラの何かがこんもりと盛られている。綺麗だった。
 二度漬け禁止のただ茶色いだけの串揚げと違い、彩まで楽しめる。一口で食べるとあっさりとした野菜の味と椎茸、海老の味が絡まって口の中で広がる。噛めば噛むほど、椎茸と海老のジューシーな味が広がる。上に乗っていた訳のわからないものが、全体をあっさりとした味に包み込む。
「美味しいですね。上にのってたのは、なんですか?」
店員さんにそう聞くと笑顔で答えてくれた。
「香味野菜です」
「タルタルソースにしては、味が違うと思いました」
 クスッと店員さんの失笑を買う。すると、先輩が耳打ちする。
「お前、正直すぎるんだよ。あーなるほどねってわかってたフリしていればいいんだよ。明日の学会で、わからないこと聞かれても、わかりませんなんて恥ずかしいこと言うなよ」
「え、じゃあ、なんて言えばいいんですか?」
「その角度からはまだ検討できていません。今後の検討課題とさせていただきますって言うんだよ。何聞かれても、今後の検討課題とさせていただきますって言っとけば、その場はおさまるよ」
 この言葉でやけに気分が落ち着いた。いや、生ビールで酔ってきたからか、美味しいものを食べて心が落ち着いたからか。
 どちらにしても、なんだか、翌日のことなんてどうでも良くなってきた。今、差し出された串の方が何十倍も気になる。ポリポリとにんじんスティックをかじりながら、串を眺めていた。
 一口サイズのちっちゃな丸い黄金色の上に、また、何かがのっている。
「子持ち昆布の生うにのせ、そのままでどうぞ」
生うにがソース、これもまた、絶品だ。
 串揚げといえば庶民的な食べ物だが、この店ではその串揚げをご馳走として、いや、芸術作品として提供している。子持ち昆布の食感と、うにの美味しさが口いっぱいに広がって、自然と顔が緩む。
「ジャガイモのベーコン巻きです。お塩でどうぞ」
 いつもの串カツなら、じゃがいもはじゃがいも、レンコンはレンコンだ。じゃがいもをベーコンで包むなんて、なんて、手が混んでいるのだろう。
「うずらの卵です。お塩でどうぞ」
 やっとで、見慣れた串が出てきた。卵は二つ。一気にパクリと食べる。今までの色々な味が混じったものとは違い、あっさりと単純な味にホッとする。
「間でこう言う単純なのもいいですね」
 先輩に向かってそう言うと、
「そうか? 俺はなんか裏切られた気分だ」と声をひそめた。
「絹さやのささみ巻きです。ソースでどうぞ」
「先輩、絹さやってなんですか?」
「さやえんどうだよ」
 先輩の答えを聞いて、僕は、すました顔をして言った。
「あー、なるほど。そうだと思っていましたよ」
 先輩は、僕を肘打ちした。
「お前、絶対知らなかっただろう」
「あー、なるほどって言えって言ったの、先輩じゃないですか」
 僕が笑うと先輩もつられて笑顔になった。
「そうだったな」
「真蛸と甘酢ソースです。そのままでどうぞ」
 黄金色の串揚げの上に、粘調性の薄茶の液体がかかり、黒い胡麻と白い胡麻がまばらにふりかけてある。一口で食べると美味しさが広がる。ここにくる途中で、先輩が、美味しい料理と美味しい酒を飲んで、いびきをかいて寝ればいいさと言っていた。料理? 串カツは料理というほどのものだろうかと思っていた。もちろん、インスタント食品ではないから料理は料理だ。でも、ことさら、手が込んでいるようなニュアンスが滑稽だった。今ならわかる。これは、料理だ。すごく手の込んだ料理だと。
「グリーンアスパラです。そのままでどうぞ」
二十センチはあるグリーンアスパラに衣がついている。二横指ほど衣がついてない部分があり、竹串は刺さっていない。衣の部分にはマヨネーズがかけてあった。衣がついてない部分を掴んで持ち上げると先端がお辞儀をして落ちそうになる。慌てて衣の中央を左手で持ち上げて、口へ運ぶ。手づかみは行儀が悪いのではないかと先輩を見ると衣がついていない部分を左手で持ち、右手に持った箸で衣の中央を掴んでいた。先輩は、フンと鼻で笑った。
「俺も、この食べ方が正解かはわからない」
 そう言って、また、笑った。サクサクとした食感に甘みが後から追ってくる。思わず、美味しいと口にすると、お店の人が、うちの人気メニューなんですよと笑顔を返してきた。
「車海老です。お塩、レモンでどうぞ」
大きな海老が、頭から尻尾まで串刺しになっている。頭は食べられるのだろうかと先輩を見た。頭からかじりついていた。ここで、僕は、お店の人に反抗した。車海老は、絶対ポン酢だと思った。 
 カウンターで、店員さんが真剣な目をして、次の串を油の中に入れる。バチバチバチバチと音がする。今だ!と、エビをポン酢にくぐらせ、口へ運んだ。口に入れた時のサクッとした食感、口の中に広がる美味しさ、やはり、こっちが正解だ。
 店員さんに見られてはいなかった。そこまでする必要もなかろうが、それでも、それが礼儀のような気がした。油の音が、ピチピチピチという音に変わってくる。揚げる音が時間と共に変わることを初めて知った。揚がる音や香、職人の手捌き、串揚げの全てを感じられるカウンターは、特等席だった。
 油煙の発生を抑える特殊な換気扇やフライヤーで揚げるため、油の匂いがしないようだ。目の前で音を立てながら揚げる串揚げ、香ばしい香り…
「和牛ヒレ肉です。ソースでどうぞ。調味料は、ご自分の好みで、自由にされていいですからね」
 見られてた。絶対見られてた。思わず苦笑いをした。
「あのさ」先輩が言った。「お前、もう、明日のこと、忘れてるだろ」
「えっと、明日って……ああ、学会発表でしたね」
「それで、いいんよ」
 先輩は、僕の背中を軽く叩いた。その後も串は続き、三十本を超える串を食べた。サクっと揚がった串揚げは軽くて、たくさん食べても全然胃もたれしなかった。
 ビールもすすんだ。
 次の日、僕は、壇上で緊張することもなく、得意げにペラペラ喋っていた。質疑応答の時に、「それは、今後の検討課題とさせていただきます。あ、それも今後の検討課題とさせていただきます」と言っていたのは、ナイショの話である。

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