ラテン語をはじめたら英語が使えるようになった話
ラテン語学習をはじめたら、なぜか英語がめちゃくちゃ使えるようになってきました。
英語の学習法としては意味が分からなさすぎる。けれど有用性はあると確信しているので、英語を向上させている中で停滞を感じている人のちょっとした気晴らしにでもなれば幸いです。
ラテン語を学び始めて半年弱が経つのですが、先日たまたま英語を話す機会があり、自分でもびっくりするくらい英語が口をついて出てくるようになっていました。
読み書きは使っているけれどしゃべりになると急激に英語レベルの落ちる、典型的な日本人。日常でそんなにしゃべる機会のないまま過ごしていたのに気づいたら向上していたという点がポイントです。
もちろんこの期間、特に英会話に通ったりもしていないです。
最初にまとめると
なぜラテン語学習が英語の上達につながるのか?を自分なりに考えてみた結果、以下のような構造だと推測しています。
・知らない単語がなんとなくわかるようになった
→日本人が知らない単語に出会っても、使われている漢字からニュアンスはわかるような状態
・マスコットバット効果で英語への抵抗感が減った
→野球でバッターボックスに入る前、バットを二本重ねてもって振っていると一本が軽く感じるやつ(ラテン語はすさまじくつらいです)
・日本語を介さない思考の機会が増えた
→ラテン語を英語で学ぶと、日本語を毎回引っ張り出してくる方が面倒
最後の効果はラテン語でなくてもできるのでお勧めです。
そして以上三つの結果、英語の構造が自動で身についていくスパイラルに入ったので、特に学習せずとも英語力が向上した(そして、これからもしていくといいな)のだと思っています。
そもそもラテン語ってなんだ
ちょっと日本語のできる海外の方が、漢語を勉強していたら。ちょっと面白いヤツだなと思いませんか。
日本人がラテン語を学ぶというのはそれに近いです。
現代日本語と漢語の関係は、現代英語とラテン語の関係に重ねられます。
漢語を目にすると、文法は違うけれど単語のニュアンスはなんとなくわかって文の意味もなんとなく察せられたりしますよね。
ラテン語も同じで、文法は英語と違う一方で、単語は(語形や意味の変化はありつつ)同じものがあったりします。
距離感としては漢語(中国語)⇔日本語よりもラテン語⇔英語の方が近い一方で、日本では漢語が必修となっていることに対して欧米では選択科目となっている様子。
ラテン語は端的に言うとローマの言葉です。古代ローマが紀元前753年に作られ、1453年に崩壊した後も共通語として使われていて、今は死語となっています。
交易や学問、専門的な職業は(ヨーロッパの)どの国でもラテン語で、今における英語に近い立場でしょうか。
逆に考えると、ヨーロッパ中心の社会が変わっていき言語体系の異なるグローバルな参加者が増える過程で、新しい共通語としてラテン語の代わりに当時影響力が最も強かった英語が選ばれた。そんな視点もありますね。
歴史的な意味では、ラテン語は英語の前身とも言えそうです。
英語とラテン語の関係
英単語の約半数がラテン語由来です。日本語の語彙もおよそ半分が漢語なのでますます似ています。
異なる点は、文字自体は英語とラテン語が完全一致している一方、日本語においては漢字ひらがなカタカナがあり、それぞれがおおよそ漢語和語(漢語以外の)外来語と一致している点です。
この状況を例えると、ラテン語を知らないことはconsumerという単語を“消費者”と一対一で覚えることにつながります。これは、日本語で言うと漢字を全く使わずに意味を覚えていこうということになります。
日本人からすると、もしはじめて見るとしても「消」「費」「者」の意味をとらえてイメージがつきますよね。
英語話者的発想にすると、con(complete)sume(take)erと分けてとらることができ、もし単語が初見でもなんとなくの意味が分かるのです。
もちろん英語話者=ラテン語の知識がある、ではないのですが、圧倒的に基礎英単語への理解が深いため、根底にあるラテン語も無意識的に「わかっている」状況です。
例えば、英語由来の言葉が多い最頻出100語は以下画像のようになっています。“the” “be” “have” “that”など一見してよく使われるとわかるうえ、シンプルで短い単語です。
これらはラテン語など外来由来の言葉ではなく、英語固有の言葉とされています。
正確に言えばもっと古いゲルマン古語、印欧祖語など親の方で混ざっているかもしれませんが、系譜をとしては固有化されているわけです。
93%が英語基準とされる100位前後を探っても、いかにも「英語」という印象の単語が並びます。
これが、半分がラテン語由来とされる500位前後になった途端に顔ぶれが変わっています。
これら18単語を成り立ちによって分類すると、四つに分けられます。
ちょうど英語/ラテン語半々になっていますが狙ったわけではなく、500前後を適当にスクショしたところ半々でした。ちょっと鳥肌が立ちました。
1-1 基礎英語 - 7語
“farm” “further” “morning” “top ”“trade” ”fear“ "wonder"
例えば“top”はゲルマン祖語からきているようです。
1-2 基礎英語を組み合わせたもの - 2語
“outside” “sometimes”
“outside”はout+sideの組み合わせです。
2-1 基礎ラテン語起源 - 6語
“claim” “firm” “operation” “pressure ”“piece”“ ”beauty“
“beauty”はラテン語のbellus(美しい)からきています。
2-2 ラテン語を組み合わせたもの - 3語
“property” “amount” “demand”
“amount”はad(○○の方へ)+montem(山)からきています。montemは別途、英語“mountain”(山)の起源にもなっていますね。
“demand”はde(完全に)mandere(命令する)から。こちらもmandereは英語“mandatory”(義務)の起源となっています。
この際全部やってしまうと“property”はproprius(自分の)が起源です。そしてこのラテン語自体がpro(のために)+privo(自分自身)の合成語。
proは“professional”、privoは“private”で、いずれも既に日本語にまで取り入れられています。
リストの最後になると、合成語っぽいものが増えていることがなんとなくわかります。
なぜここまでラテン語経由の言葉が多くなったかをざっくりと説明すれば、社会が進化する過程で使われていた共通語がラテン語だったからだと考えられます。
例えば今のラテン語に相当する共通語は英語で、日本語に入ってくる新しい言葉は英語経由が多くなっていることを想像するとわかりやすいです。
「ネットで調べる」のネットの語源はinternetですが、この語源は当時まだ実機すら存在しない想像上のネットワークがinter-netと名づけられたところにあります。学問や技術は共通語である英語で考えられて発表されることが多いので、これからの日本語の新しい語彙は英語語源のものが増えるでしょう。
(もちろんその英語の先にラテン語やほかの言葉があったりするのですが)
上でも書いた通りラテン語が共通語だった時代は長く、紀元前後から1800年代まで共通語だったと言って差し支えないかと。
英語の祖国たるイギリスは、もともと庶民の使う英語と権力階級の使うラテン語が並行していたところ、1500年代あたりから権力構造的にも宗教的にも経済的にも大陸として決別していきました。王権を教会から分かち聖書をラテン語から英語に訳し産業革命に突入していったわけですが、依然として学問ではラテン語が利用され続けていた経緯があります。
今でこそ共通語ではありませんが、1930年に命名されたPluto(冥王星)はローマ神話の神様からきています。
単語の構造
上で見たように、言葉はどんどん合成されていきます。一方で、よく使われる言葉がなくなるということはありません。
よって、基礎ラテン語を300語覚えたとすると、300*299、およそ9万語の単語に至る可能性を手に入れられるわけです。
一方で、一般的に語彙力は以下とされています。
20,000語 - ネイティブ
10,000語 - 日本人学習者の一般的な最終到達目標
5,000語 - おおよそ大学レベル
3,000語 - 中学・高校
中学英語のうち500語が基礎英語と仮定すると、およそ25万語の可能性があり、ラテン語も合わせると34万語の可能性が秘められているわけですね。
ちなみに英語のすべての語彙数は50万語程度といわれています。
もちろんくっつきようのない単語もたくさんありますし、必要な語彙力と合成語の範囲がどれだけ被っているかという問題は残りますが、単語の意味を推測するにあたって強力な武器になりそうということはイメージできます。
(本当は合成語の割合などの情報も知りたかったのですが、ぱっと調べた感じはデータが見つかりませんでした)
単語を覚えるもう一つの方法
日本語を学びに来ている留学生になったと想像してください。憤怒という知らない単語が小説に出てきたとき、どうするでしょうか。
恐らく“憤”という字は馴染みがないけれど、“怒り”は初めの方に教わっています。となると、文脈も合わせれば辞書を引かなくてもおおよその意味は取れるわけです。
憤怒に何度か接するうちに“怒り”というイメージがつくと、同じ“憤”がつかわれる憤然・憤慨・憤激・憤懣・義憤・鬱憤が出てきても“なんとなく怒っている感じ”としてわかってくるはず。
一回一回辞書を引いていって憤然=indignant、憤慨=resentment、憤激=rage、憤懣=chagrin、義憤=anger、鬱憤=frustrationとするよりも、一旦“怒り的な何か”とだけ覚えておき、単に触れる文章を増やすうちにイメージをより精緻に細かくしていくが効率的かつ正しい語彙力が身につきます。
逆に言えば、“indignant” “resentment” “rage” “chargrin” “anger” “frustration” “irritation”を一対一で細かく日本語にして覚える人はなかなかいないでしょう。少なくとも自分はそうです。
そもそも憤然・憤慨・憤激・憤懣・義憤・鬱憤の怒りの性質を細かくわかっているのかと言われると説明できる気がしないです。
そして元々違う言語体系である以上、ニュアンスの違いが小さくなるほど正確に対応する単語がなくなってくるという根本的な問題もあります。
つまり、母国語に一対一で対応する言葉を見つけて暗記せず、単語の大雑把なイメージを作り、あとは使いながらそれを修正していくことが結果的に効率的になると実感しています。
ラテン語経由の単語の覚え方
英語のtakeという単語を学んでいれば、 mistake, caretaker, retake, takeover, overtakeという単語はなんとなくイメージがつくと思います。
何もなくtakeover=獲得、企業買収と覚えるのではなく、“over”で“take”するイメージを付けた後に、“I'll take over from here.”(ここからは引き継ぐよ)という例文や“company takeover”(企業買収)を使った方が言葉の意味を正確にとらえられる上、覚えるのも早くなります。
同じことがラテン語起源の英語にも言えます。
sumere(ラテン語take)を知っていれば、assume, consume, presume, resume, sumptuous(英語)の意味もなんとなくイメージできるのではないでしょうか。
例えばcon sumeは完全にtakeする、で消費する。presumeは前もってtakeする、で予想するなど。
重要なのは、こうやって意味を深掘ることで“take”の理解も深まることです。
基礎的な単語は多用されるがゆえに意味も多様になりがちで、“take” = 取ると覚えるだけでは全く使いこなせません。
takeを実際に使ったり、果てはラテン語まで追ったりすることで、takeのイメージをより深く広く精緻にしていくことが英語力の深化に直結するのです。
実際問題、英語力とは暗記した語彙の数というよりも、“take”や“over” “on”といった基礎的な単語の意味や文脈がどれだけ豊かに体に刻み付けられているかということなのだろうなと予感しています。
もちろん日本語を介さずに、です。
ここを語っていくと長くなるので以下の本に託します。
ラテン語を学ぶ意味
以上のようなことは、一見語源をその都度調べていけば事足りるように思えます。consumeが出てきたらcon+sumeなのねと納得し、次にassumeが出てきたときに適用するような。
僕の意見だと、そう上手くことは運びません。なぜなら、人の脳はサボりがちだから。
英語の語彙がラテン語経由でありイメージができることが身体的に実感されないと、脳みそは語源まで思い出そうとは思ってくれません。
そして、ラテン語を少し勉強し始めるとその実感はすぐに身に染みます。なぜなら、新しく出てくるラテン語のほとんどが“なんだか見たことがある”ものだから。
なので、たとえ少しでもいいからラテン語の文章を読んでみることは、英語学習にとっても大事なことだとここに主張させてください。
僕の場合はもともと単語の語源を調べることはあっても、実際にラテン語そのものを使うようになってはじめて英語とラテン語とつなぐか細い回路が開通しました。
英語→ラテン語という学ぶ言葉の方向と、新しいラテン語を見て英語を参照するというラテン語→英語の双方向です。
そうすると、調べたとも新しかったりあやふやな単語が出てきたときに言葉の成り立ちや言葉そのものをイメージする癖がつき、結果的に単語を覚える方式が変わり効率的になったのではないかというのが今の推測です。
そして日本語への置き換えてはなく言葉のイメージが刻まれることにより、短縮された回路で既知の単語に反応できるようになったため、喋りも上達しています(といいな)。
もちろん語彙の中でラテン語語源は半分なので直接的にラテン語の恩恵を受けるのは半分ですが、そうでないものも語源をイメージに変換する癖が勝手についています。そして、ラテン語語源以外のほとんどが英語起源なので結果的にほぼすべての単語で語源を確認する習慣がつきます。
実際にやってみる
“Such barriers preclude penetration by many sensors.”という文が出てきて、“preclude”が初見だったとします。
preはわかりやすく前もって、でcludeはcloseなので前もって閉じる・・?
と考えると、文意は「たくさんのセンサーによって、そのようなバリヤーは貫通を前もって防ぐ」で間違いないだろうと当てがつきます。
この文だとprecludeが一切わからなくてもなんとなく文意の予想はつきますが、penetrationの意味が怪しかったとしたらこの推測はかなり役に立ちます。
余裕があれば辞書を引くと、“to prevent something or make it impossible, or prevent someone from doing something”なので合っていた。さらに時間があれば、includeやconcludeを思い出し、recludeなんて単語もあるんだなぁと思いを馳せる。
一度ここまで考えてしまえば、この四つの単語が聞こえてときにcloseのイメージが浮かばないということはなくなるはずです。
※GMATという大学院レベルの試験勉強をしていたと想定し、そのリストに含まれていた“preclude”という単語を取り上げてみました。
副次的な効果
ラテン語を学ぶと、英語にもたくさん触れることになります。なぜなら、ラテン語の日本語教材は限られていて、結局は英語で学ぶことになるから。
Duolingoも英語⇔ラテン語しか用意されていないですし、最も有名な“Wheelock Latin”は日本語訳されていません(韓国語や中国語訳はあるのになぜ?)。
結果的に、これが僕の英語力向上をブーストしています。
思い返してみると、いままでは英語を使っていてどうしても脳がさぼろうとするせいで日本語を経由してしまっていたのだろうと思います。
たまに英語で夢を見るようになってすら、根源的には日本語のOSで英語の仮想マシンを動かしていたのです。
しかし他の言語を学ぶにあたって英語が一次情報だと、それを日本語OSで動かすのは負荷が指数的に上がるようで。
他言語を英語で学ぶという一見バカげた行動ですが、日本語を強制的に介在させない効率的な手段だと思い直しました。
あと、シンプルにラテン語がつらいので英語が現れるとうれしくなってきます。これはドMの思考ですね。マラソンとか好きな人は合いそう。
最後にまとめると
英語を学ぶのではなく、好きなことに深く入っていった結果英語を使わざるを得なくなる。これが一番楽かつ効率的な英語力向上のさせ方だという認識は昔から変わりません。
これがたまたま他言語学習だと、日本語を使う方が非効率になるので脳内で英語OSが稼働するようになりそう。
さらにそれがラテン語だと、語源の半分をカバーするので単語の意味推測に役立つ。
そんなところです。
英語学習法としては遠回りすぎると思われそうですが、ここに実際英語力が向上した人間もいることですし、ちょっと試してみるかとなった方がいれば嬉しいです。
英語はもともと仕事では使っているけれど(読み書きメインでたまにしゃべる)、日常会話は特に相手が複数になるとキツイしこっちから喋るときは体温が上がっちゃう、という程度でした。
頭に思い浮かんだ日本語を英語に訳しちゃうこともしばしば。
自分のラテン語のレベルとしてはDuolingoのラテン語コースを完了し、文法書(日本語)をいくつか読み、“Wheelock Latin”は1/3くらいまで進んでいる程度。
いまは、英語だけでずっと話していても涼しい顔をしてられる状態になっています。基本的に英語だけでいけています。(と思いつつも、実際は結構日本語OS使っていそうではありますが)
これからも細々と続けていき、もっと向上したよ!というnoteをまた書けたらいいなぁ。