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精神障害者の俺の場合です
俺は精神障害者、精神病です
病気である事で世間から話しにくいと思われていると思います
障害者にどう接していいか、わかる人は少ないと思います
特に心の病気の精神病の人にどう接すればいいのかは、わからないと思いますが自分の場合は普通に接してもらうことを望みます
これは多くの精神障害者は思うのではないのでしょうか?
普通に話しかけてもらえればそれでいいのです
自分から言えばボケてツッコンでまたボケまくって楽しんでもらえばいいと思います
言葉と言う言葉をかけずらいのはわかります
傷つかないだろうかの配慮もあるのだと思います
ただ普通に話して普通に傷つくかと言えば傷つきません
ここで生まれているのは遠慮と遠慮です
精神障害者もまた遠慮して声をかける事に躊躇してます
ただ精神障害者の方が躊躇しているはずです
もともと世間の精神障害者の見方を知っているから話の輪に入るのは躊躇しているのです
ただおしゃべりするぐらいなら精神障害者は出来ます
ただお互いの遠慮で配慮になってしまって、なかなか腹を割った対話が出来ないのです
そんな壁を取っ払いたい、想いが自分には強くあります
精神障害者も同じ人間です
人間としての人格も備わっています
だから一緒に話してボケてツッコンでまたボケて笑いあいたいのです
でも差別的偏見の壁は高いと思います
精神障害者は異常ではありません
心が壊れている事は異常じゃありません
ただ心が壊れている、おかしいが異常に繋がってしまっているのです
でも意外に精神障害者と話てみて下さい、別に異常でもおかしくもない、ただ引っ込み思案なところはあると思いますが根はいい奴らばかりです
自分から声をかけれるような奴らじゃないと思います
明らかに声をかける事いが出来ていればこんな精神障害者に対するネガティブ発想も出てこなかったと思います
俺は喜んでボケてもらってツッコンでもらってまたボケてもらったら嬉しいです
でも自分はもう友達は要らないとは思いました
人間は正直、疲れました
自分は仕事の繋がりとたまに世間話ができる人、そして最愛の人が一人いればいいです
俺は最愛な人が一人いれば満足だと思います
人は疲れました
人は自分を傷つけるだけでした
でも自分は人と話しをする事は嫌いじゃない
出来ればノリよくテンポよく話したい
でもガチ友達はいいかもしれません
でも話は好きです
精神障害者は心が打ち解ければとても面白いと思います
自分は自分を面白いと思っています
自分のノリ、ボケ、ツッコミは精神業界、探しても一人とはいないと思います
普通という概念がなんなのかイマイチわかっている訳じゃありません
普通の人が普通じゃないことをしても異常と非難する事は少ないのにただ精神病というだけで既に異常と見られているのは差別でしかありません
精神障害者は話しかけられるのを待っています
自分から話しかけにいかなければいけないのに精神障害者は恥ずかしがり屋なのです
精神障害者はいい奴ばかりです
自分からも自分の事、日本、世界の精神障害者をよろしくお願いします
寂しがり屋の多い精神障害者です
普段、皆さんが友達に言っている言葉を語りかけてあげて下さい
その言葉を待っている精神障害者は沢山います
もしその言葉をぶち壊す精神障害者ははっきり言って異常です
なぜかって言葉の意味的強さを知っているのは精神障害者だからです
優しさや素直な言葉を蔑ろにするのは精神障害者に関係なく全ての人たちにも異常と言える事なのです
優しさや素直な言葉を台無しにしてはいけないのです
ありがたく受け入れる、それも受け入れ側の優しさであり素直です
だからお互いが尊重し合う世の中こそが、精神障害者にとっての新しい世界になるはずです