自分との睨めっこ 自問自答
自分との睨めっこは大切です
自分との対話とも言うのかも知れません
自分を洞察出来る事は非常に人を知る上では重要ではあります
なぜかって痛みを知る事、こそ人に優しくなれるからです
痛みを知っている人は人には優しくなれる筈です
だって痛い事を人には強要しないはずだからです
ただこの頃は自分との洞察をやる人が少なくなって来たんじゃないのかと思います
その理由こそが痛みです
誰だって痛みを見るのは嫌なのです
それは自分の痛みであってもです
でも捉え方や思考の仕方なんです
物事をポジティブに考える事こそが大切なのです
私は精神病です
絶えず苦痛を感じてます
ですが無理矢理です
ネガティブな思考になったとしても無理やりポジティブに思考します
なぜそんな事をするのかです
痛みをわかったら徳を積んだと思いません?
自分の痛みをわかり人の痛みも理解出来て優しくなれるとは人として立派だし人間として徳を積んでまた成長したと実感出来る喜びがあるからです
何が喜びかです
やっぱり自分の成長は喜びですよね?
ましてや自分の成長は他人にとっても有益に与える事にも繋がるならばそれは尚更、喜びです
自分の成長は他人の向上を促す役目もあるのです
だから私は人知れず徳を積むのです
何かを発見する喜びは格別です
本当に自分の能力だけで喜びを感じてみて下さい
多分、お酒も煙草もやっている人は意外に辞めれるかもです
本当に実感した喜びは外部要因から取り入れるものより格別に最高な気持ちになれます
だから私はだいたい第一義に他人を前提に考えながら自分を考えています
確かに自分は一番です
ですが他人があっての自分でもあると言う事を忘れてはならないからです
そこにはいつも感謝の気持ちがあります
常に人が居たら善の気持ちで望むぐらいがいいです
確かにふざけんなよとは想う相手もいます
でもそれすらも私は大人だ、ぐらいの思いでやり繰りした方が自分の心にはいいのです
そうやっていい事した、いい気持ちになるだけで心も穏やかになるし成長もします
その成長を実感出来る事が出来たら喜びです
これが偽善と思いますか?
偽善じゃないですよ
ただ単に素直になればいいだけの問題なのです
人間色々な人が居ます
でも自分は純粋で居たいと思ったら人には優しくも出来るし人の態度もふざけんなと思っても直ぐ笑える
自分だけがやっても意味ないと思わないで下さい
いつかは繋がりの輪は広がります
人間は馬鹿じゃない
だって皆、考える事が出来るからです
さぁ始めましょう
自分の痛みを理解して人の痛みを理解する
そして優しくなりましょう
誰に対してもありがとうございますと言う事は気持ちが良い事です
感謝の想いは言葉で伝えよう
言葉で伝えなければ相手には伝わらない
ありがとうございますと言われて嫌な相手はいない
皆んなが優しくなれる事がお互いの成長に繋がるのです
社会人で会社に属している人は馬鹿な上司もいるだろう
でも馬鹿な上司であっても人間だ
おおらかに見てやってくれ
私はネガティブな思考でもポジティブに変換する能力を身に付けていると思っているので他人をリスペクトする事を忘れてはいません
どんな人間もいい事は一つはある
人が人を想う気持ちが広まれば人の生活は穏やかになり生活出来るんだと想います
どんな相手でもリスペクトは忘れない
ならば嫌な相手でも納得出来、そしてthank youと言えるのです
これからは思いやり社会です
ふざけている他人も人間だ
今日はどこか不調なのかと思ってやる事で明日は明日の風が吹く、そうなればいいなと思ってやる事です
でも一つだけ言えば許してはいけない人間も居ます
そもそも許せないなと思う人間です
正直、私は自分に対して攻撃を仕掛けて来た人間は許せません
なぜかって命の危険性があったからです
そこまでになれば、まだ徳を積みたい私でも許せないみたいです
ただなぜ許せないからです
それは私はただ写真という芸術を生み出したかったのです
芸術をやる事が生きる上で状態を自由にする時間だからです
精神病で闘って尚且つ、芸術をやる事すれ奪われような行為を受ければ怒りは鎮まらない
ただ洞察はしてます
母が脳梗塞で倒れるも、自分の精神状態をある程度安定させるという事は出来ている訳だからです
私はまだ仏にはなれないと思います
究極は仏でしょう
私も人間、そして攻撃を仕掛けて来た人も人間
同じ人間なら許すべきかも知れません
まぁこうやって自分との自問自答こそ自分との睨めっこです
自分を知る事は他人を知る事でもあるし、他人から教わる事もあります
その私にふざけた行動をやった人間からも教わる事はありました
人間は心の生き物だと思います
心理を知る事は生きる上では大切な事だと思います
知るという事は良い事も嫌な事も知る事になります
良い事だけでいい訳ではありません
やはり嫌な事も知らなければいけないのです
その嫌な事こそ程、逆に真理だと思います
嫌な事は他人にとっても嫌な事です
だからそれをやるのは辞めようとなるのです
これは今の誹謗中傷を辞める為の行動なのです
だいたい自分が嫌な事は他人にも嫌です
ただ私は他人から、その嫌な事をされてる人間です
それをされて許せるのかが私の課題ではあります
人生を生きていく上では課題はいくつもあった方がいいです
その為に学ぶのです
そして成長を実感して喜べばいいのだと思います