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芸術の先にある生と死

僕はいじめだろうと虐待を受けようと、それはそれでいいと思っている

人を作るは試練だからです

でも今回は何をそんなに怒っているのかと言えば、僕に食べる事と芸術をさせる事を宮若市行政は放置して母のお金と母の命を奪いに行ったので怒っているのです

僕が食べる事と芸術がやれてれば何も言わなかっただろうし、母のお金を宮若市行政が奪いに来なければ母が脳梗塞で倒れる事もなかったのです

僕は今回の事で何もかも失ったのです

大切な人も芸術も、何もかも失ったのです

でも僕の再起こそが、弱者の逆襲と言えると思ったのです

ただ今は食べれない芸術も出来ない不遇の時代になっています

精神障害者と芸術は似合いませんよね
でも僕の芸術写真は本物です

精神障害者だから創造出来た写真

今の僕には家族は母しか居ません

母が死ねば天涯孤独の身になるのです

だから僕は精神障害者が手掛けた芸術写真を保存できる民間企業に僕を買ってもらおうと思っています

民間企業が僕の技術を買って下されば、僕は写真だけに集中出来るのです

はっきり言って芸術とは、精神障害者の僕にとっては生きる術なのです

それは状態を緩和させる術があるからです

それが集中力です

集中してる時だけ、僕は状態を感じないのです

日常の僕は状態を感じて、それをストレスと感じてます

精神障害者が何も感じてない訳じゃないのです

病気だから不快感は常にあります

それは健康的な人にもあると思います
ただ疲れるだけでも気怠いとかです

精神障害者なんてその気怠さは常に感じているでしょう

だから芸術にしろ運動にしろ、やりたがる人が居ないのです
それは疲れるからです
怠いからです

ただ本当の意味知らないだけです

その集中力の意味を

僕の状態は既に壊れてます
壊れている状態だからこそ至高の芸術の集中力ほど状態を消す方法はないのです

理解さへ得られれば民間企業は動いてくれるんじゃないかと思っています

行政機関は無理でしょう
縛りがある

だから民間企業に繋げれれば僕はまだ生きられます

これは生きるか死ぬかの話し
失敗すれば死ぬと想います

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