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インド体験記① 人の命が牛よりも軽い国

インドに行ってきた。

とは言っても仕事で1ヶ月弱ほど滞在したくらいで、かの有名なガンジスの流れを見ることもなく、巷でよく言われているような人生観が変わるような体験には残念ながら巡り合えなかった。

それでも日本にいては決してお目にかかれない光景を見たり、味わえない体験をしたりすることはできたので、そうしたことをぼちぼちと書き留めていきたい。

インドの人々には「譲る」という意識があまりないように感じる。

何かを待つために並んでいても、平気で横から割り込んできたり、少しでも列の前の方に並ぼうと体当たりをしたり、ヒジで前の人達を強引にかき分けたりしている。

そんな中にあって、日本人は子供の頃から、譲り合いながら大人しく列に並ぶよう訓練されているので、こうした想定外の事態ではなす術もなく、大勢のインド人たちの後塵を拝することになってしまう。

これは車の場合も同じである。

車同士も譲り合わないので、街中にクラクションがこだましていて実にうるさい。
軽い接触なんかは日常茶飯事のようで、接触した運転手同士が窓を開けて罵り合っている光景を何度も目にした。

「おっまえふざけんなよ、どう落とし前つけてくれんだこのやろー」
「うっせ、てめえがボケっとしてっからぶつかるんだろ気をつけろやカス」

ヒンディー語は全く分からないけれども、きっとこんなことを話し合っているんだろうなというのは容易に想像がつく。

車の横暴ぶりは相手が生身の人間であっても変わらない。

横断歩道がないこともないが、こちらが渡ろうとしてもスピードを緩めることも、少し除けてくれることもない。むしろ敢えて轢きに来てるんじゃないかと思うほどの猛スピードで突進してくるので怖いったらありゃしない。

人間が日本の10倍もいる国なので、1人や2人交通事故で死んだところで誤差みたいなものなのだろう。

しかし、そんな傍若無人に振る舞っている車たちも、牛が道を歩いている時は態度が一変する。

どんなに車通りの多い道でも、牛は気にすることなくゆっくりゆっくり道を横切っていて、あれほどせっかちだった車も牛が道を渡り終えるまできちんと待っている。

ヒンズー教では牛は神様なので、車で轢くなんてことがあってはならないのである。

この国では牛>>>>俺という厳然たる序列があることを思い知らされた。

そうかと思えば、街中に山と積まれている生ゴミを牛が犬と一緒に漁っている光景もよく見られた。

神様に生ゴミを漁らせてんじゃねーよと思ったが、変に崇め奉ったりすることなく、やりたいようにやらせてあげるというのが、この国の神様に対する敬意の表し方なのかもしれない。

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