大学を辞めた時の話をしようか
大学を辞めた理由
僕は大学を4年次の後期で辞めた。
卒業の直前に辞めた。
辞めた理由を何度も聞かれたことがあるが、随分前のことで忘れておりその都度なんとなくで答えて流していた。
そんな中で自分が大学を辞めたことを失敗前提で話してくる輩が現れた。
久しぶりにムカついた。
強がりでもなんでもない。
正直に失敗ではないと思っている。
その怒りをきっかけにちゃんと辞めた理由を思い出してみた。
そうだ、
あの時は辞めるしかなかった。
辞めた理由は、
"若者に囲まれているのが精神的に辛かった"からだ。
1回目の退場
僕は2度大学を辞めている。
1度目は4年次の前期が終わり夏休みに入ってから退学届を提出した。
理由は薄毛だ。
高校卒業したあたりから頭髪が薄くなってきており精神的にダメージを日々負っていた。
それを理由に大好きだったソフトテニスも辞めた。
若い時はビジュアルを気にしがちな面がある。
それも相まって周りの目(被害妄想)と描いてた未来へのギャップからくるショックにより精神的に辛かった。
このままではいかんと思い、育毛治療を決意。
学費に充てるお金を治療費に使う為に退学した。
結果、その治療に効果は無かった。
約100万円はチリとなった。
このまま精神的に病むのを恐れたので吹っ切れる為に頭を丸刈りした。
その当時アルバイトで接客業をしていてハゲ頭で対人コミュニケーションを取るのはすぐに慣れた。
周りの人達も似合ってると言ってくれたので心をうまく持ち直し吹っ切れて回復することができた。
高校の時も部活引退するまで丸刈りだったし、
その姿には案外すぐに慣れていた。(鏡を見るとびっくりはしていたが笑)
復学をする為に昼のバイトと夜のバイトを掛け持ちを1年間続けた。
そうして、ようやく学費が貯まり退学届を出した同じ季節の夏に復学届を提出して大学へ舞い戻ることができた。
大きな計算違い
僕は今の姿を見られることを接客のアルバイトでたくさん経験し見られ慣れていた。
大学に通うことも問題ないだろうと思っていた。
ただ、大きく計算が違っていた。
見られる層で僕は受けるダメージが違ったのだ。
接客のアルバイトは老若男女のお客様と一期一会。
しかし、大学のゼミは同年代の男女と頻繁に会う。
この時は完全に忘れていた。
前回退学した理由はハゲを隠しながら、
若者に囲まれ、被害妄想してしまい精神的に辛かった
からだった。
同時に新たな問題が発生してしまう。
卒業論文を残りの半年で就活をしながら完成させなければならなかった。
退学前に作成していた卒論はあった。
しかしその論文は2人で作っていたため、その相方がその論文で卒業していた。
(その論文はほぼ僕が作っていた、相方は前期ほぼゼミに来ず、論文作成してくれず、8割型僕がその論文を作っていた)
前回の論文作成は1年以上掛かった記憶がある。
それを踏まえて半年で作ることを考えると絶望でしかなかった。
論文に関しては、復学前からわかっていたが目を向けていなかった部分もある。
もっと熱心に教授と相談していれば希望を見出せたんじゃないかと今では思う。
しかし、大学に通い若者に囲まれることへの精神的ダメージはどうしようもなかった。
卒業の希望は全く見えず、自宅から片道40分の大学へ通うことはもうなくなった。
それから
話は変わるが今読んでいる本を紹介したい。
『サードドア-精神的資産のふやし方』
この本はビル・ゲイツやレディー・ガガなど成功者になった人たちのターニングポイントを知りたいと思った大学生がそれらの成功者へインタビューして本にするという夢に向かって奮闘する物語だ。
その中でこんな一節があった。
これを読んでいたら涙していた。
確かに僕は大学を辞めた。
しかしふざけた態度で通学していたわけではない。
真面目に受験をして、
ちゃんと学費を払い、
真面目に講義を受けて、
取るべき単位もちちゃんと取っていた。
卒業論文にもちゃんと手をつけたし、
就職したい企業もあり、就活もした。
卒業?したかったさ。
でも、無理だった。
心が弱かった。
卒業して、おめでとうと言われたかったさ。
でも無理だった。
区切りをつけるしか当時の僕にはできなかった。
でもがんばったことは確かなんだよな。
本のセリフの「今までよく大学でがんばったよ」
が凄く沁みた。
自分に言ってくれたかのようで嬉しかった。
卒業おめでとうなんて言葉はもうもらえない。
だけど、お疲れ様やがんばったの言葉は
あの時の自分へ手向けられるんじゃないかな。
お疲れ様、あの時の俺。
よくがんばった、あの時の俺。
これからもよろしくな俺。
ここまで読んでくれた方へ
当時の僕へ労いの言葉をコメントやらいいねやらを送ってやってください。
それではまた。