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#72-6 戦争の犬たち、ビアフラの子どもたち

1972年、作家のフレデリック・フォーサイスは、傭兵を雇いマシアス・ンゲマ政権転覆を謀りました。失敗しました。

BBC 特派員としてナイジェリアに行き、内戦に敗れ祖国を失ったビアフラ人に同情して企てたもの。ビアフラと同じイボ人が居住する赤道ギニアをビアフラ人の安息の地とするためでした。

この資金は処女作『ジャッカルの日』の印税収入から

ジャーナリスト時代にビアフラ戦争の取材を行い『ビアフラ物語』を執筆した彼はビアフラに同情的でした。

前史

ビアフラ戦争(ナイジェリア内戦。1967年7月6日 - 1970年1月12日)は、ナイジェリアのイボ人がビアフラ共和国として分離・独立を宣言したことにより起こった戦争です。

ナイジェリア南東部は石油埋蔵量の豊富な場所です。

1968年に、連邦軍がビアフラを包囲し、食料、物資の供給を遮断したため、ビアフラは飢餓に苦しむことになりました。

各国のメディアが報道してその悲惨な飢餓状態が国際的な問題となりました。

特にお腹だけが異常に膨らんだ子どもの写真はショッキングでした。

その写真は衝撃的で、我々子どもには意味がわからなかったけど、自分の腹を膨らませ「ビアフラ」と言って怖がっていました。

1969年6月新谷のり子のデビューシングル「フランシーヌの場合」80万枚のヒット

1969年3月30日の日曜日、パリの路上でフランシーヌ・ルコント(当時30歳の女性)が、ビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺した事件によるもの。

郷伍郎が作詞作曲。ただし作詞は妻の「いまいずみあきら」名義になっている(彼は妻名義が多い。節税?)。

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1970年、亀渕昭信のオールナイトニッポンで『外務大臣に手紙を出そう』と呼びかけ、これがきっかけとなって政府は米をビアフラに送りました。

1970年オジュクは亡命し、ビアフラは消滅しました。

その後

1974年 この実話をもとに第3作小説『戦争の犬たち』出版

1980年 同名の映画が作られた(The Dogs of War) 監督ジョン・アーヴィン、主演クリストファー・ウォーケン、トム・ベレンジャー。原作とは異なっています。

ナイジェリアは人口と経済規模から「アフリカの巨人」と呼ばれます。

ナイジェリアはサッカーが強い。イボ人の選手にはヌワンコ・カヌ、オーガスティン・オコチャなどがいます

楽天のオコエ瑠偉のお父さんはイボ人です。

親がナイジェリア人の有名人は、ボビー・オロゴン、関口メンディーがいます。



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