#308 「と思っていて・・・」問題を提議する
最近の若い方に多くて気になる言い回し、「と思っていて・・・」
特に社会起業家とか意識高い系の。
シンポジウム、コメンテーター、インタビュー・・・やたら使う。たいてい早口で。
最初、気づいたのは古市という人。やけに使うなあと。
それが伝播した模様
これまでなら「私は・・・と思います。それで・・・」でよかったはず。
どちらも主観を開陳しているわけだけど。「思っていて」の方は、何やら自分の心をあけっぴろげに強調した感じがする。
あなたの心などどうでもよいし。興味もないんですけど。自分が主役というか自己顕示欲の強ささえ感じる。
ナルシスティックな。自意識高い系の方が当たっているかもね。
少し前にいた「私って・・・な人じゃないですかあ・・・」のような無邪気な人。あなたの事なんぞ知らんがな。
もう一つは、文をつなぐことで、自分の時間を遮られることを恐れているのでは、と感じた。
これは限られた時間で、自分の言いたいことをしゃべりたい願望のなせるわざ。
『スミス都へ行く』(1939)のジェームズ・ステュアートの議会シーンを思い出しました。
「わたしは昨夜、ある人から教えを受けましてね。議会では他人に発言を譲る必要はないと知りました。つまり好きなだけ話せるのです」としてフィリバスター(牛タン戦術)として延々と弁舌を振るい続けたクライマックス・シーンです。
同じ「思っていて」について、コラムニストの「ゾルゲかわはら」さんの記事を見つけました。同じ事が気になっている人はやっぱりいるもんだ。うれしい。
しかし、事は深刻でうれしがってばかりいられない。
ニュース記事なので消える前に引用させて頂く。
沖縄返還50年のシンポジウムの進行役をやったときだそう。
『途中から内容そっちのけで、この違和感は何なのかに関心が寄ってしまった。象徴的なのは「…と思っていて」という言い方だ。』
『イラついたのは内容ではない。本土の学生が言う「…と思っていて」の話法にある。』
『何度も聞くうちに彼らの主張は、大前提として示された「…」部分にあることが分かってきた。』
『つまり「…と思っていて」話法のトリックは、最も言いたいことをあたかも所与のことのように装って示し、その後の話に重点を置いたような言い方で論難を避けている点にある。要は「…」部分は突っ込んでくれるな、というリスク回避だ。』
『沖縄の学生にその話法が通じなかったのは、本土では暗黙の了解とされたはずの若者話法がまだ行き渡っていなかったからか。』
『ではなぜこのような詐術まがいの話法が流行るのか。それは「熱い論争」に巻き込まれ、返り血を浴びたくないという無意識の自己保身術なのだろう。』
『「…と思っています」と言い切ると、そこに焦点が当たり炎上する恐れがある。だから「言いたいこと」を「前提条件」のうように装い、凡庸な“結論”を付け足して話を丸くするのだ。』
『本土の話者には「個人的には」という言葉も頻繁に登場した。これにも同様の潜在意識がみてとれる。・・・(中略)・・・あまり攻め込まないでね、とあらかじめ予防線を張る言葉だ。』
【引用終わり】
なるほど、「無意識の自己保身術」なのね。
つまり「知らんけど」を付け加えるのと同じ保身。沖縄の学生が、声を荒げ、イラつくのもわかる。
私は「言いたいこと」をあたかも周知の「前提条件」の如くに使っている事にイラつくけどね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/58176f239450eb01b4ca4813478f5ae98d2a364e