「悩む」のではなく「考える」:主体性の時代に求められること
先の読めない現代社会では、自ら考え積極的に行動する「主体性」が求められます。上司や監督などの指示通りに積極的に行動する「自主性」では、社会を生き抜くことはできません。
主体的な生き方、働き方をするためには、「何をすべきか」を自ら考え、結論を出すことが求められるのです。
ところで、「考える」とはどのような行為なのでしょうか。主体的な生き方をする上で、注意すべきは「考える」と「悩む」の違いを明確にしておくことです。
「考える」とは、明確な結論を出すこと、行動の目的を定める行為のことです。これに対し、「悩む」とは、心配事が頭の中を堂々巡りしているだけの状況をいいます。二つの違いは、結論・目的の有無、行動に結びつくかどうかにあります。
悩んでいる人は多くの場合、同じような言葉や映像が頭の中をぐるぐる回り続けています。結論を出せず、ただ神経をすり減らしているだけです。その後、行動に転じることは稀です。
これに対し、考える人は、頭の中に次々と言葉やアイディアが浮かんできます。連想が連想を呼び、次第にやるべきことが明確になっていきます。考えれば考えるほどアイディアが出てきますから、ノートなどのツールも必要になります。考えるとは生産的な行為であり、悩むとはその対極の非生産的な行為なのです。
しかし、悩むことはだれにでもあります。そうした場合、目的、結論、望ましい状態などを言語化し、具体的な問題や課題として定義しなおすようにすれば、生産的な「考える」という行為になります。
「考える」はマネジメントできている状態、「悩む」はマネジメントできていない状態と見ることもできるでしょう。