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立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』について考える 5.知的欲求とオートマン
「こんな本を読んだ」の番外篇として、立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』からいくつかのテーマを選び、それらについて考えています。
この本を選んだ理由は、「知の巨人」と呼ばれた立花隆が。「知」をどうとらえていたかを明らかにしたかったからです。
今回は、「知的欲求とオートマン」
立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』について考える 目次ページはこちら
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5.知的欲求とオートマン
【結論】知的好奇心と人の生き方のよしあしとは関係ない
*今回は、文春文庫 1999年3月10日第1刷 35~39ページです
*この本には「知的好奇心」「知的欲求」「知識欲」ということばが混在しています。ここではすべて同じ意味として読んでいきます。
今回のテーマは「知的欲求とオートマトン」
「オートマトン」とは、数理理論や情報理論、言語理論などで登場することばです。
立花さんは、これをかんたんにいうと「ある入力があったときに特定の出力を自動的に行う構造」としています。
さらに、人間の日常の行動というのは、このオートマン(自動化された)部分と、自動化されていない意識化された部分からなっている。量的にはほとんどがオートマン化されたものであるとしています。
<人間というのはどんどん新しいことを学習して、その新しく学習したことを自動化部分へしまい込みながら、また次の学習へと意識を振り向けていく。そうっやて、次々に新しいことを学んで成長していくわけです。>
<ところが、知的欲求のレベルが低い人は、自分のオートマンの現状に満足して、すぐに学習の意欲を失ってしまう。新しいことはもう学ぶ必要はない、自分がこれまで学んだことだけをやっていれば、人生十分だということになってしまう。>
<オートマンの自分に満足しないで、知的欲求を常に新しいものに振り向け続けている人間というのは、永遠に内面的に成長を遂げていくことができる。まさにそういう生き方こそが、本当の意味で、人間としてより良く生きるということなのだろうと思います。>
もっとなことのようにみえますが、はたしてそうか?
ここからは、私の感想です。
立花さんは、知的欲求というものに価値を置きすぎているのではないか。
<知的欲求が高い人こそよりよく生きていける>なんて、大きなおせわと思ってしまいます。
この章が、カルチャーセンターでの講演を起こしたものなので、「知的好奇心」にあふれた受講生へのリップサービスかもしれませんが、立花さんは本気でそう思っているようでもあります。
私自身は知的好奇心はつよい方だと思いますが、それでも、学びや生き方は、ひとそれぞれであり、それのみで測られるものではないと思います。
結論。知的好奇心と人の生き方のよしあしとは関係ない
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すみません。今、体力がなくてお返しのスキができておりません。ご了承くださいませ。
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