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もうだめ人生録④ "ガクチカ"もやりたいこともないままブラック企業に流れ着いた
私は就職活動で上手くいかなかった人間です。
"ガクチカ"もなければ、やりたいことも特にない人間だったので、なかなか内定は出ませんでした。
就職するための活動なのか、企業からご活躍をひたすらお祈りされるだけの儀式なのかわからなくなるくらい上手く行きませんでした。
私の就職活動サマリー
私の就職活動を数字でまとめるとこんな感じです。
・約50社にエントリー
・約30社で面接を受ける
・内定が出たのは1社だけ
エントリーした会社の2%からしか内定を手に入れられませんでした。ゴミofゴミですね
また、内定が出るまでに半年くらいかかっていますので、結構長いことかかったなと思います。
優秀な人は早くに就職活動を終わらせて卒業旅行の話しているのに、季節が変わってもまだ就職活動をしているのは割とメンタルにきました。
自己分析に苦戦
就職活動を行うにあたって「自己分析」をやったのですが、強力にPRできるような強みは見つかりませんでした。
逆に自己分析をすればするほど、自分は何もしていない残念な人間だなぁという思いが強くなっていきました。
また、私は寡黙で、真面目にコツコツ取り組むタイプ(陰キャラ)だったので、就職活動では割とウケが悪いタイプだなぁと自覚しました。
自己分析で自分のことは分かってきたものの、自分をPRする素材はなかなか見つからなかったという点で苦戦しました。
グループディスカッションに苦戦
グループディスカッションはマジで苦手でした。苦手すぎて1回もグループディスカッションで選考に通ったことがありませんでした。
コミュ力がないので、グループの話の流れを掴んでそれに沿った話題を出すのがとても苦手でした。
ある程度の規模がある会社では、一次選考としてグループディスカッションを取り入れているところも多かったので最初の難関でした。
就職活動が後半になればなるほど学生が減っていくのか、グループディスカッションをやっている企業が減っていくので楽でした(良くない傾向です)
面接に苦戦
面接では、「困難に直面しても諦めない『粘り強さ』が強みです」と言っていました。
ただ今振り返ってみると、自己PRの内容自体よりも、話し方とか表情みたいな振る舞いを面接で見られていた気がします。
最初は自己PRすることがないと悩んでいた私ですが、面接を繰り返すうちに受け答えにも慣れて通過率は上がりました。
「面接は場数だ」とよく言われている通り、早めに面接の練習をしておくことが大事だなと思いました(手遅れ)
不穏な流れ
就職活動を始めた時から、「大企業にはどうせ私は入れない」という思い込みがありました。
なので就職活動でも自然と中小企業にアプローチする機会が多くなりました。流れ的にはこんな感じです。
・大学のキャリアセンターから「大企業だけじゃなくて中小企業にも目を向けなさい」と言われてた
・中小企業の会社説明会に行くと、大企業のデメリットを強調された
・中小企業に行けば、大企業よりも早く現場を任されるので業務経験が積めるといわれる
・どこでも通用する能力を身に着けるには、中小企業が一番良いと力説された
大企業も受けてはいましたがグループディスカッションで落とされるので、持ち駒は自然と中小企業になって行きました。
こうして私は、就職活動で一番だめなパターンである、「なんでもしますから内定ください」モードになってしまい、労働環境や待遇がそこまで良くない会社にも普通に応募するようになっていました。
なんとか内定
そんな私を拾ってくれ、内定を出してくれた会社が1社だけありました。
その会社の簡単な説明と、選考の状況はこんな感じでした。
・創業30年の中小企業
・会社説明会では社長が説明
・一次選考は集団面接(学生4人 対 面接官4人)
・最終面接は社長が面接
最終面接では、なんか社長が「ワシが現役の頃は徹夜当たり前」「土日は休みじゃあ! とか言っているやつは仕事できん」とか不穏なことを言っていました。
しかし、「仕事ってそんなもん」「仕事を通してどこでも通用するスキルを手に入れたい」と思っていた私は、社長のブラック発言を全て受け入れました。
そしてブラック企業へ…
その面接では見事内定を獲得し、私は長かった就職活動を終えました。
人事担当者からは、「真面目に仕事をしっかりやってくれそうと感じた」とフィードバックを頂き、コツコツやるだけが能だった私でも内定が貰えるんだ! と有頂天でした。
しかしいざ社会人になってみると、私が選んでいたのは他社だとドン引きするレベルのガチのブラック企業でした。
そして私は、若き20代半ばの4年間を、ガチブラック企業のために身も心も捧げることになるのでした…